魔界の住人
微糖
第1話 魔界に生まれて
「魔界」
現代社会においては、小説や漫画などのフィクションの中でしか聞くことのない言葉だ。
幽霊や妖怪、UMAや宇宙人といった存在はオカルトとして扱われ、死後の世界、天国、地獄と言った概念も最近の人間たちからは眉唾物の作り話という認識をされることが多くなってきた。
ましてや「魔界」など物語の中の世界であり、その存在について真面目に議論されることさえない。
だが、「魔人」は存在する。
彼らは人知れず人間界に現れては、時に妖怪として、時にUMAとしてその姿を目撃されている。
そして、その魔人たちの住む世界こそが、「魔界」であった。
____________
彼の死因は事故死。会社への通勤時、工事現場のビルの近くを通って行くのだが、その時たまたま落ちてきた鉄骨に押し潰されて死亡した。
その時の事故は全国的にも大きく取り上げられ、連日ニュースが放送されたほどだ。まあ、一月もすれば他のニュースに食われ、多くの人から忘れ去られているのだが。
そんな不幸な事故の被害者である彼は、魔界にて1人の魔人として生まれ変わっていた。珍しいことに、前世の記憶を持ったまま。
魔人には親というものはいない。魔界に満ちている魔力がなんらかの原因で塊になって、そこに魂が宿ることで魔人として生まれる。
なので、赤ちゃんとか子どもという概念はなく、年齢という概念すらない。魔人は皆、生まれた時から成体なのだ。ちなみに、魔人は生きるのに必要な知識を得た状態で生まれてくるため、精神年齢が赤ちゃんな成人ということにもならない。実に便利な存在である。
類もまた、この世界に生まれた時から成体であり、その時この魔界についての知識も得た。なので、魔界での暮らしに困ることはなく、2ヶ月が過ぎた。
結果。
「魔人マジ怖いやばい帰りたい死にたい死ねば帰れるかないや死にたくないマジ怖いはあどうしよこれから俺マジどうすればいいのかわからんてかどうしようもねえのはわかるからはやく死のうかな」
精神的にだいぶキテいた。
何故か。それは魔人の生き方が、元人間にとっては恐ろしく合わないからに他ならなかった。
類が精神に異常をきたした最も大きな理由は一つ。「魔人は闘い以外に娯楽を持たない」ということだ。
彼らは生きている間ずっと闘いのことを考えている。話しかけられれば闘い、目が合えば闘い、コロシアムに行っては他人の試合を観戦し、試合の合間に隣のヤツと闘い。
類は、生まれてからずっと出会う魔人全てに襲われてきた。話をしようとしても問答無用で襲いかかってくる魔人。傷だらけになりながらも逃げ続け、どうにか撒いては再び襲われる恐怖に怯える日々。
そんな生活が続き、ひと月半ほどたったある日、精神を病みはじめた類は街に繰り出した。大きな街ならばきっとまともな魔人がいると考えたからだ。
一番近くにあった街は、ソドムの街というところだった。そこにたどり着いた類はすぐ、1人の魔人に笑顔で声をかけられた。
手を振ってこちらに近付いてくる魔人。おおかた初めてこの街を訪れた者に対して親切にも案内でもしにきてくれたのだろうと暖かさで胸をいっぱいにし、類は持ち前の営業スマイルでフレンドリーに話そうと近づいて行ったらその魔人にいきなり殴られた。
最初は戸惑い、混乱して動けなかった。それでも、ボコボコにされトドメを刺される寸前でどうにか逃げ、それでも追いかけてきた魔人をこの世界に生まれたときに覚えていた魔法【魔具召喚】を駆使してどうにか返り討ちにした。
なんなのこいつと思いながら周りを見ると、いい闘いだったと口々に褒め称える魔人たち。
類は彼らに少し引きながらも礼を言うと、その輪の中から出てくる魔人が1人。
「次は俺が相手だ。楽しもうぜ」
類は全力で断ったが、周りを取り囲む魔人たちが闘え闘えと囃し立てる。逃げようにも囲まれていては逃げられない。
類の終わらない闘いが今、始まった。
その後、1人の魔人が十数人の魔人相手に大立ち回りをしているということが街で話題になり、集まった野次馬は100人を超えた。
類は半狂乱になりながらも迫り来る魔人をなぎ倒し、人の輪の手薄なところを強行突破した。追いかけてくる魔人たちをどうにかこうにか殲滅する。
それでも追いかけてくる猛者たちからは全力で逃げながら各個撃破。街から命からがら逃げた時には、もう精魂尽き果て精神は崩壊。極度の魔人恐怖症に陥ってしまっていた。
「魔人怖い魔人怖い魔人怖い……あれ、俺も魔人? ひいっ助けて」
彼の周りはただ荒野が広がるのみ。まるで人気のないその場所で類は頭を抱えて縮こまっていた。
「人間になりたい帰りたい。戻りたいもうやだおかしくなる」
彼はすでに狂ってしまっている。彼に起こった出来事は、その全てを処理するには多過ぎた。
「落ち着け落ち着け落ち着け。冷静に考えろ。俺は死んだらこの世界に来た。ということはこの世界で死んだら人間の世界に戻れるんじゃないか?」
彼の目に光が戻る。
「よし、死んでみよう。死ぬしかないじゃないか。試す価値は十分にある。希望が見えてきたぞ」
死に希望を見出す。それはもう病んだ者の末期だ。彼の儚い魔人生は幕を閉じようとしていた。
「おや、もしやあなたですか? ソドムの街で大立ち回りを演じたという魔人は」
「どひぃ!!」
突然声をかけられ、驚き飛び上がる。振り返ると、そこには何やらダンディな魔人。一見執事のような格好をしているように見えるが、
「探しました。お嬢様があなたのことを気になっていまして、コロシアムに連れてくるようにと命を受けたのですよ。おっと、申し遅れました。私は上級魔人ソアラ様に使える執事アルと申します」
一礼するアル。一方類は、あまりの衝撃に言葉を発せなかった。彼は自分に話しかけてきたのだ。それは魔界に来てから初めての体験。
つうっと頬を流れる涙。思わず顔を触る。それはたしかに自分から流れた涙だ。
「おれは……ルイです。初めてまともに会話出来る相手に出会いました」
涙がひとつ溢れるたび、カラカラに乾いた心に染み渡るような気分だ。
「ふむ、あなたは下級魔人にしか出会ってこなかったのですね。生まれてまもない魔人は実に交戦的ですからね」
アルは涙を見て目を細めると、優しげな瞳を浮かべてルイに一つうなづいた。
「先ほどの話ですが……その、お嬢様が俺をお呼びだって言うのは、どういうことなんでしょう」
ルイが質問する。久しぶりのまともな会話に内心は喜び一色だが、それを表に出すことはしない。せっかくの話し相手に不審がられたくない。
「はい。実は私の使えるお嬢様はソドムの街のコロシアムを管理しておりまして、そこの選手としてあなたに出場してほしいと言っておりました。あなたならば、きっと試合を盛り上げてくれるだろうと」
「はあ、試合ですか……」
気持ちが一気に盛り下がる。結局闘いか。魔人ってやつはどいつもこいつも。人の命をなんだと思っていやがる。いや、目の前のアルが悪いわけではない。彼は主人の命令に従っただけ。彼の主人が戦闘狂なだけだ。
「申し訳ないですが、闘いはこりごりなんです。俺は戦闘狂じゃあないし、人を殴って喜ぶ趣味もありません。ソドムの街でのことも、ただ殺されそうになったから抵抗したっていうだけなんです」
「珍しいお方だ。とはいえ、そうですね、私も人を殴って喜ぶ趣味はありません。なのでそのお気持ちはよくわかっているつもりです」
やはりアルという人物はルイの知る魔人像とはいい意味でかけ離れており、好感が持てる。
アルは言葉を続ける。
「そこで、一ついい条件を教えておきましょう。コロシアムでいい成績を残した魔人は、お嬢様にひとつ願いを叶えてもらえます」
「願いを……?」
「ええ。ただしお嬢様の叶えられる範囲で、ですがね。そのほとんどは強くなりたいという願いですが。領地を願う魔人などもいることはいますが、少ないですね」
魔人の願いなんてそんなものですとアルは苦笑する。
正直、別に強さなんていらない。下手に強くなっても、より強い魔人に絡まれるだけの気もするし。面倒ごとを増やしたくない。
「アルさん。ほんとに申し訳ないですが、俺は……」
「あ、あと人間界への門の自由通行券なんてものを願う魔人もいますね。ソアラお嬢様は門の管理人の役目を任せられているお方でもありますから」
「あ、俺コロシアム出ます」
「おお、それはそれは。お嬢様もきっとお喜びになるでしょう」
思わず口を突いて出てしまったルイの言葉に、アルは満面の笑みを浮かべて頷いた。
こうして、ルイはアルと共にソドムの街へと帰っていくのだった。
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