第39話 国を守る者、一人残されて……
ドクンドクンと、脈打つように噴き出す血は、何をしても止まるものではないのは理解していた。
どれだけ押さえつけても、赤いシミが広がり続けた。
彼との別れが近付いている事が嫌でも分かり、逝くなと、私を、キーラを、置いて逝くなと、自らの責務を投げ捨てて縋り付きたかった。
「俺は、ローザを、身代わりに、差し出したんだ」
意識を失ったキーラを支えると、テオドールは懺悔するように話し続けた。
「そんなつもりじゃ、なかった。姉に干渉せずに、姉の為にイイ子でいろと。そう命令した。けど、“イイ子”だから、あの男の、欲求を、他の男の、欲求も、全て受け入れて。あの子は、キーラを、蔑んできた。それでも、あの子を、あれ以上、酷い目にあわせないでくれ。俺は、あの子に、許されない、事をした。俺たちの、妹なのに。俺は、あの子に殺されても仕方が、ないんだ。俺の、罪は、それだけじゃない……」
彼の目の端から零れ落ちる涙は、いくら拭っても溢れ続ける。
テオドールがどれだけ自分を責めているのか、この国の現状を見た彼の心情を察することだけは容易い。
だからこそ、その苦しみは理解できた。
「もう、いい。自分を責めなくていい。分かっているから。君が一人で何もかもを背負わなくていい」
「国を、切り捨て、キーラを、選んでも、お前が、赦してくれるのは、分かっていたから、だから……」
国を治める者として育てられた私が、多くの民を見捨てる決断を下したテオドールを、赦す事は間違っているのかもしれないが、
それでも、
「いつだって、君の幸せを願っている。今でもだ」
その言葉すらも彼の救いとはならないのか、私の服を握りしめ、懇願するように彼は言った。
「俺を、恨んで、欲しかった」
それが罪に苛むテオドールの望みであったとしても、
「君に、生きて、幸せになって欲しかった」
やがて浅く、僅かに繰り返されていた呼吸も止み、最期はキーラの腹部に頰を寄せるようにして、テオドールは息を引き取った。
学園にいる頃、テオドールがいつもキーラのそばにいて、見ているだけで幸せだと、彼女の事を間近で見守っていたのは知っている。
あんな風に、幸せにしてあげたいと思う相手に巡り会えた事が羨ましかったし、誰よりも大切な友人であるテオドールに、そんな子と添い遂げてもらいたかった。
他に道は無かったのかと思う。
彼らを無理にでも、帝国に置いてくるべきだった。
それ以前に、帝都で見かけた時に声をかけるべきではなかったんだ。
罪の意識など、二人と生まれてくる子供がいれば、きっと乗り越えられたはずだから。
無意識のうちに最後に縋った私の甘えが、彼らを別離させた。
これは、私の、未来永劫、赦されることのない、罪だ。
その後、私が行った事は、罪を明らかにする事と粛清だった。
ギフトを持つ国王だけは処刑できない為、幽閉した。
国王は、国を混乱に貶めた原因を作ったこと、実の娘であるギフト所持者を処刑しようとしたこと、キーラに言った通りにその罪を認めて抵抗は一切せず、その命が尽きるまでそこから出る事はなかった。
王家の血をひいていないという、私の出自についても公表した。それでも私を王太子として、王として立ててくれようとした騎士や臣下達には感謝したい。
ただ、テオドールが懸念していた通りだった。
私とキーラの婚姻を勧める声が多くあがった。
それを私は一蹴し、この悪夢の元凶はなんだったかと説いた。
そして、何よりも彼女達は、帝国のカルロス殿下を証人として婚姻している。
周囲を黙らせるのは、簡単だった。
キーラを虐待したブランシェット公は、断頭台にすら送る事はしなかった。ギフト所持者への虐待など、その罪名を付けることもできないほどだ。この男は、凌遅刑に処され、ミステイル国からの侵攻で失われた民と同じ数だけ斬り刻まれ、血を流し切ってから息絶えた。それが行われた処刑場には、凄惨な行為が長きにわたり繰り広げられたにも関わらず、多くの民が集まり、誰もが目を背けることもせずに憎悪の視線を送り続けていた。
ブランシェット家の使用人達は、怒り狂った領民に勝手に殺されていた。
アニストン伯。ブランシェット公爵夫人。そして、王妃。
何れも姦通罪としてはあり得ないほど重い処罰となり、3人とも揃って断頭台へ送った。
テオドールの母親アニストン伯爵夫人は、夫の処刑が執行された後に自害しているのが発見された。
ローザは、気が触れたまま正気には戻っていない。彼女は、王城内で3人を殺していた。どこも人手不足なのが災いしたのか、彼女の狂行を見咎めるものはいなかったそうだ。今は、療養所のベッドの上で過ごす事がほとんどで、言葉を発することはない。どこを見ているのかも定かではない。
粛清の鬱々とした空気の中、一つだけ明るい事があった。
キーラが離宮の静かな環境の中で無事、元気な男児を出産したことだ。
何もかもを忘れ去ってしまった彼女は、生まれてきた我が子を見て、穏やかに微笑んでいた。
一人で子を抱くその姿を見るとやるせない気持ちになったが、彼女が穏やかに生きていくにはテオドールの判断も仕方がなかったのかもしれない。
彼女は、侍女達に手助けをしてもらいながら、自らの手で子育てをし、子育ての手が空いた時は、本を読んで過ごす事が多く、その本の間にはテオドールから貰った栞が知らず、挟まっていたそうだ。
彼女も、彼女の子供も、優しい人達に見守られて大切にされている。
私はキーラの子供を新国王とし、彼が成人するまでの間の摂政として国の立て直しを図った。
人も物も足りない、ボロボロになった国を再生するのは困難な道のりだった。
それでも、二人の子供が成人し、ギフトを所持した彼が即位できる歳になる頃には、平穏な日々を取り戻す事ができるようになっていて、彼に、聖獣の加護がある綺麗な国を治めてもらう橋渡しができた。
侵攻を受けた際には介入しなかったローザンド帝国も、復興の段階では随分と力を貸してくれた。
その混乱する初期の段階で経験の浅い私を助けてくれて、陣頭指揮を執ってくれたのが、カルロス殿下だ。
おかげで、テオドールの子供の成人までに間に合ったと言えるかもしれない。
「せめてもの、友人への手向けだ」
テオドールの墓標の前で、カルロス殿下と2人きりになった時の彼の言葉だった。
疑問に思っていたことがあってカルロス殿下に尋ねたことがある。
テオドール達の能力に気付いているようだったのに、囲い込まなかったのは何故かと。
「手を出してはいけないモノがある。その見極めが出来ることが大国所以だ」
掴み所のない表情で、そう仰っていたが、
「二人を囲い込んで、閉じ込めて、俺が恨まれた方が良かったのかもしれないな」
ぽつりと付け足された言葉に、私が言える事は何もなかった。
成長したテオドールの子供はとても彼に似ていて、会うたびに、言葉を交わすたびに何度も泣きそうになった。
彼に会いたいと、今でも願う。
私の唯一の家族で、かけがえのない友で、それは、今でも変わらない。
生まれ変わりというものがあるのなら、今度こそ、彼らには幸せになってほしいと、願わずにはいられない。
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