観の目

江田・K

直観とは――

 ――彼は「勝てぬ」とした。




 突如町に現れたその浪人は、道場破りを繰り返していた。既に五つの道場が看板を奪われており、市中でも噂の的となっていた。


 彼は六つ目の道場を訪れていた。

 二、三人を斬り伏せると――無論殺してはいない――、師範代が出てきた。それすら鼻歌混じりに一蹴したところで道場の奥から姿を見せたに、彼は反射的に距離を取ったのだった。



 其れは枯れた老人だった。



 先程たおした師範代より二回り以上も小柄。道着の裾から覗く腕は骨に皮が張り付いているだけで細枝の如し。

 なのに。

 彼は距離を取った。

 彼の中の何かが警鐘を鳴らしていたのだ。


「ふむ。勘はええようじゃの、わっぱ

手前てめぇ、何者ナニモンだぁ?」


 彼の誰何に、老人は呵呵と嗤った。


「道場破りに素性を訊かれるとは長生きはするもんじゃのう。童は儂を潰しにきたのであろうよ。儂の道場の面子を潰しにのう」

「手前ぇが道場主ってことかい」

「左様。童が斃して好い気になっておったのはまあ、前座よな」

「……そうかよ」

「どれ、ちと手解きしてやろうか」


 言うなり老人は構えも取らず棒立ちになった。

 だらりと手を下げ、ただ適当に立っている。

 腰に剣すら差していないのだ。

 一見すると隙だらけ。

 なのに。


「……」

「来ぬかよ、童」


 挑発されても尚、彼は動けないでいた。

 じっとりと汗が滲む。

 斬りかかれば、そんな直感だけがある。


「老い先短い年寄りの時間を奪ってくれるな、童」


 老人が溜息を吐いた。

 刹那――


「ッ!?」


 老人はぬるりとした動きで彼の眼前に迫っていた。

 いつの間に、と思うが早いか彼は剣を振る。木剣とはいえ直撃すれば骨くらいは容易く折れる。だが、その一撃は途中で止められていた。老人の手が彼の肘に軽くあてがわれていた。それだけで剣が振れなくなっていた。


「糞ッ」


 彼は剣を振る間合いを確保するために後退した。

 老人はぴたりとついてくる。

 更に後退。

 だが。


 間合いが取れない。


 何度か繰り返した時、足元の感覚が無くなった。

 彼は道場からまろび出て、尻餅をついていた。


「ぐあっ!」

「呵呵、道場破りが道場から逃げ出してどうする。ぬるなら追わぬが?」


 老人は道場のへりから彼を見下ろし告げた。背を向け、道場の中へと戻っていく。彼に無造作に背を向けて。


「舐めるなぁッ!」


 彼は咆哮した。跳躍。斬撃。

 手応えは――無し。

 空振りした剣が道場の床を撃ったのと同時、彼は後頭部を掴まれそのまま床に叩きつけられていた。勿論、叩きつけたのは老人である。


「勝てぬと分かって尚かかってくる気概だけは買うてやろう」

「どけ……」

「勝てぬとわかっていよう、童。勘はええのじゃろう。剣才もある。じゃがなあ」


 宣告した。


「儂には勝てぬよ」

「どけ……!」

「勝てぬ理由を教えてやろうか? ん?」


 老人は楽しそうに笑う。ついには、どっこいしょ、と彼の背中に腰を下ろした。


「儂は童を一目見た瞬間ときから負けぬと直観しわかったのよ。理由わけなど考えれば幾らでも挙げられるがの。そんなものは統べて後付け。ただ直観わかる。一方、童はどうか」


 老人は詩でも吟じるように語る。


「童の勘が、剣才が、なんとなく告げるのじゃろう? この爺には勝てぬ、と。其の嗅覚に根拠など無い。ただの直感。其の勘の冴えは良いがの。其れだけでは儂には生涯勝てぬよ。直感と直観の違いが判らぬうちは、儂には絶対に勝てん」

「どけ……!!」


 彼が三度吠えた時、老人はもう彼の背中には座っていなかった。

 いつの間にか、道場の上座にすわっていた。


「童よ、如何いかがする?」






 ――彼は「負けぬな」としていた。

 から、幾十年。師は既にこの世を去り、彼は道場主となっていた。


 そして、あの日の自身と同じような才気溢れる道場破りと相対している。

 笑ってしまう。

 きっとあの時の師も今の自身と同じような心持ちだったのかもしれぬと思えば、笑わずにはおれまい。だが、年若い道場破りは嘲笑されたと勘違いしたらしく、彼に向かって不用意に飛び掛かってきた。


 ああ。

 これは負けぬわ。

 彼はぬるり、と前に身体を動かした――



(了)

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観の目 江田・K @kouda-kei

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