第5話 先輩

 時間はトモグイが隣の車両に向かった直後まで遡る。

「すぐに診ますので、横になってください」

 男は言われた通り床に横になる。

 ハコビヤは男のシャツを鋏で切ろうとして気付いた。

(この人、外傷がない。血は全て返り血だ)

 不思議に思ってナイフの刺さった場所を見てみると、腹に雑誌が挟んであった。

 この状況でこんな手の込んだことをする理由はそれほど多くない。

 反射的にハコビヤは距離を取る。

「あらあ、気付かれちゃったか?」

「あなたが、ハラサキですね」

「お嬢ちゃん、俺のこと知ってるんだ? 警察官には見えないけど」

 ハラサキは腹に挟んである雑誌からナイフを引き抜き、ハコビヤに舐めるような視線を向ける。

 ハコビヤはトランクに目を向ける。

 いつもなら拳銃をコートの内ポケットに入れておくのだが、今日はワンピースだ。

 仕方なく、拳銃はトランクに入れていた。

(トモグイさんの言う通りだ。こんな装備じゃ戦えない)

「じゃ、いっくぞ~」

 そう言うとハラサキはナイフを逆手で握ってハコビヤに迫る。

 ハコビヤは格闘術は使えない。拳銃がなければほとんど素人なのだ。

 パァン!

 銃声が響き、ハラサキの足に銃弾がめり込む。

(トモグイさん?)

 だが、おかしい。トモグイは貫通扉に向かった。だが、今の弾丸は貫通扉と反対側から撃たれたのだ。つまり――

(新たな殺人鬼⁉)

 ハコビヤは恐る恐る後ろを振り向く。

「大丈夫かい? お嬢ちゃん」

 そこにいたのは黒髪に少し白髪の混じった初老の男性だった。服はスーツで、拳銃はトモグイやハコビヤと同じニューナンブМ60だ。

 わざわざそんな旧式の拳銃を好んで使う殺人鬼はトモグイしかいない。つまり――

「警察……」

「よく分かったな」

 男は胸ポケットから警察手帳を出し、ハコビヤに見せる。

(私がハコビヤだということはまだバレてない。このまましらばっくれれば……)

 その時、貫通扉が勢いよく開いた。

「無事かハコビヤ⁉」

(トモグイさん、心配してくれるのは嬉しいけど、よりによってなぜ今……)

 トモグイはハコビヤと一緒にいる男を一目見ると、目を丸くした。

「センパイ?」

「……トモグイ」

 センパイはトモグイを苦虫を噛み潰したような表情で見る。

「今、ハコビヤと言ったな。近くにいるのか?」

 トモグイに拳銃を向けながらセンパイが問いかける。

 トモグイは辺りを見回す素振りを見せると、ニヤリと不敵な笑みを浮かべる。

「いいや。残念ながら、みたいだな」

 それがトモグイのメッセージだとハコビヤにはすぐに分かった。

「お嬢ちゃんは安全なところまで逃げろ。こいつは俺が引き受ける」

「はい。

 果たしてそれは、誰に言ったのか?

 ハコビヤが逃げたのを確認すると、トモグイはセンパイにきさくに話しかける。

「センパイ、あんた一人か?」

 それをセンパイは忌々しそうに聞いていた。

「俺がそれをお前に教えると思うのか?」

 トモグイはセンパイに拳銃を向けられているにもかかわらず、ニコニコと楽しそうに会話を楽しんでいた。

「じゃあ、俺が教えてやるよ。あんたは一人だ」

「何故そう思う?」

「あんたはハラサキを抑える役。ついでに、俺とこうしてお喋りでもして、時間稼ぎをする役だ」

 センパイの顔が引きつる。

「本隊は駅のホームで万全の態勢で待っているんだろう? 俺を捕まえる為に」

「チッ」

 センパイは唾を吐くように舌打ちをした。

「それが分かってて、何でお前は逃げないんだ?」

「逃げる? 自動車よりも遥かに速いこの電車から? 身一つで飛び出せば、それこそミンチだよ」

 だが、センパイは納得いかないといった表情でトモグイを見る。

「それで諦めて捕まるお前じゃないだろう」

(流石センパイ。俺のことをよく分かってる)

 そんなことを話している間に、電車は減速を始めた。

「センパイ。あんたとできるだけ長く話していたくてな」

センパイは黙って聞いていた。

「俺が警察を抜けたせいで、センパイは嫌な思いをしたんじゃないのか?」

 センパイは何も答えない。だが、手塩に掛けて育てた後輩が警察官を辞め、連続殺人鬼になったわけだから、当然周りからの視線は冷たかったであろう。嫌味の一つも言われていても不思議ではない。

「あんたの為にも俺は――」

 十分に減速したところで、トモグイは拳銃を抜き、撃つ。所謂クイックドロウだ。

 狙ったのは自分に一番近い窓。撃ちながら窓へ駆け寄り、そのままぶつかるつもりで叩き割る。

「英雄になるよ」

 それだけ言い残すと、トモグイは窓から逃げた。

 センパイはトモグイを殺せない。何年も世話を焼き、語り合い、飯を食った後輩を殺すことができないくらいには、センパイも常識人だ。

 故に、センパイがトモグイを撃つ際には、足元に標準を合わせる必要がある。

 トモグイはその隙に、十分逃げられるのだ。

 

トモグイを逃したセンパイはしばらく茫然としていたが次第に怒りを覚えた。

「クソッ!」

 自分が仕留めなければいけないことは分かっている。自分の失態だということも分かっている。

 だが、それでもセンパイの脳裏には、無邪気に笑う正義感溢れる警察官時代のトモグイの姿がこびり付いて離れなかった。

(俺が終わらせるべきなんだ……)

 センパイは拳をグッと握りしめた。


 トモグイは電車の窓を体当たりで割り、そのまま地面にゴロゴロと転がる。

 全身が軋むが、構っている時間はない。

 センパイが本隊に連絡を入れれば、増援がトモグイを確保しに動くだろう。そうなる前にトモグイはここを離れなければならなかった。

 線路の上を全力疾走し、町に近づいたところでレールから逸れる。これで人ごみに紛れることができる。

 一息ついたトモグイはハコビヤに電話をかける。

(そういえば、ハラサキを殺すのを忘れていたな……)

 最も、センパイの前では絶対に無理だろうが。

 少し待つと、ハコビヤが電話に出る。

『もしもし、トモグイさんですか?』

「ああそうだ。無事か? ハコビヤ」

『おかげさまで』

 トモグイは失笑する。ハコビヤにしては珍しい皮肉だ。

要するに今のは「お前のせいで死にかけたんだぞ」という念押しだ。

「このお詫びは必ずするよ」

『では、聞きたいことがあります』

「なんだ?」

『トモグイさんの過去について』

 トモグイの顔から貼り付けたような笑みが消える。

「それを聞くということが、どういうことか分かるか?」

『あなたのトラウマを抉る……ということになりますかね?』

 トモグイは溜め息を吐く。そこまでの覚悟があるのなら、話しても問題ないだろう。

 何より、慰謝料を取られるよりはずっとマシだ。

「じゃあ、話すか――」

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