第5.5話 カツジにいさん

 母方の従兄のカツジにいさんは母に言わせれば「腹たつくらい勉強ができるくせに、気がきいてかえってにくったらしい甥」だそうだ。

 何が不満なのかわからない。

 従姉がもう一人いて、こちらは小学生の時にかわいがってもらったが、今は短大を出て東京で就職したばかりで大変らしい。見合いの話が持ち込まれて断り切れないそうだ。

 美人だものね。

 すごくちゃっかりしていて、そういうとこは母と気が合ったらしい。

 カツジにいさんとは最近よく会うようになった。

 確かに母の言う通り気遣いのできるいい人だ。いい人すぎる。それがあだになってもてないんじゃないかと心配になる。なぜか世間ではちょっとだけ悪い男のほうがもてるものらしい。

 こういう人は前世にもいたけど、あの人は自信がないからよい人として受け入れてもらおうと無理をしていた人だった。カツジにいさんはそうじゃない。貴族のぼんぼんや小娘によくいる善人ぶった自己満足野郎でもない。

 誠心誠意やってれば困難はあっても未来は開ける。前世の神殿にいる敬虔な信徒にだってなかなかいないタイプだった。この母の身内でなんでこんな人が育ったのかわからない。これであの従姉の兄がよくつとまったものだ。

 従姉にはなんだかなつかしい感じがあって、わたしも仲良くできたのだけどカツジにいさんにはちょっと同じようにはいかない。だいぶ薄くなった前世の男性としての記憶をほりおこしてもどうしたもんか途方にくれる。

 カツジにいさんは社会人二年目、大学は最高学府ではないけど遜色はないいいところだ。就職先もだから一流企業。最近、転勤で関西にやってきた。うちに真っ先に手土産もって挨拶にきたり父のお酒の相手をしたり、社会人って大変だ。

「お酒、本当は嫌いでしょ。無理はしないほうがいいよ」

 父に付き合わされて庭で少し休んでいたときにそういってもにいさんは弱弱しいけどかぶりをふった。

「大人だからね」

 大人って大変だ。やってたことはあるけど、この国の大人ってほんとうに大変そう。

「そんなにきつかったらやめちゃえばいいじゃない。にいさんは英語ぺらぺらなんでしょ? 外国で仕事したら」

 人間の王国の貴族社会が窮屈なら、ドワーフの組合制社会でも、エルフの部族社会でも、魔族の実力主義社会でも好きなところにいけばいい。その感覚で言っちゃった。実際、肌にあわないからって異種族のところで苦労しながらもなんとかやってる人もいたしね。

「でもここで三年もがんばれないなら、どこにいっても頑張れないんだ」

「そんなの誰が言ったの? 」

「世話になってる上司だよ。すごくできる人だ」

 ふうん。

 でもね、見切りをつけるのに長いも短いもないと思うんだ。

 相性の悪いのとパーティ組み続けてもお互い気分が悪いし最悪殺し合いにまでなっちゃう。

「そうね、あたしもあんたが気に入らなくなったらバイバイだね」

 そういえばユカリにもそんなこと言われたな。つまらないことで簡単に見切りはつけたりしないけど、駄目だとわかったらさっぱりわかれて復縁はない。

 あのときはよほど情けない顔をしてたのか彼女が噴き出しちゃったね。

 そういう割り切りは避けて、どんなに血反吐はいても粘り強く居座るのがこの国の大人らしい。

 やだやだ、この国の大人にはなりたくないね。

 まあ、本人が納得してるのならこれ以上余計なことはいわないでいいだろう。

 カツジにいさんのことはほっておくことにした。

 ある日カツジにいさんは会社にいけなくなってしまった。

 心配した母が時々様子を見に行くし、わたしも食べ物をもっていくことがあったがにいさんは無気力に感謝の言葉をいうだけ。

 上司という人に会った。身だしなみがきれいできちんとしていて、母はかなり好感をもったようだ。彼も励ましたが本人のやる気の問題はどうにもならないという。

 きっとこの人はカツジにいさんに「がんばれ」の言葉をたくさん届けたんだろう。

 でも、ユカリが前世知識に基づいていっていたな。

 心が弱って休息が必要な人にそれは禁句なんだって。

 ユカリの前世はもっと後の時代だから、このころはそんなことを知る人はいなかったんだろう。どこにいっても王都かと思うほど人がいて、活気に満ちて、がんばりがいのある世界。不平不満は多いのに、みんな未来を明るいものと信じてる。

 おかげで時々ニヒルとか言われるのだけど、幸せな人たちだよ。

 カツジにいさんみたいになっちゃったら、そんなきらきらした中にひっそり消えていってしまったりしないかな。

 カツジにいさんの救われる道はないんだろうか。わたしも母といっしょでこの人は少し苦手だ。だけどだからといって見捨てるのも寝覚めが悪いよね。

 カツジにいさんは一度、社会から離れて再出発したほうがいいんじゃないかと思うけど、それは外聞が悪いとかなんとかくだらないことを言ってる。

 くだらないというけど、男性だった前世を思い出すとそのころの自分もつまらない見栄だの粋がりだのでなんかそんな縛りをしてた気がする。今となってはアホだったとしか思えないのだけど。

 まあ、これは一種の呪いだね。前世なら呪いなら魔法で解除できるものなのだけど。

 きっかけは、カツジにいさんの部屋に無造作に投げ出してあったエアメール。

 英語で書かれてるし、別にユカリのいう言語チートがあるわけでもないし、中学生なので英語は習っていたけど、そんな英語力で読めるものじゃない。

「うお、英語だ、英語の手紙だ」

 玉つぶしのえりかと呼ばれるにふさわしいゴリラ的興奮。

 気になった単語とかカツジにいさんに質問してると苦笑して内容を教えてくれた。眼鏡をはずすと結構ハンサムな人なので、ちょっとどきどきする。そう、前世男なのに、女として生まれ変わって長いせいかそういうのはしょうがないとあきらめている。同時に可愛い女性見るのも好きなんだから二倍おいしくないかしら。

 たいがいわたしもアホですね。

 といってもハンサムでもこんな面倒な人はごめんだ。

 教えてくれた内容。それはカツジにいさんが留学してたころの指導教官からで、優秀な助手がほしいんだが来ないかという内容。期間は二年。あとはボスともども成果しだい。

「行かないの? 」

「行けないよ。この人ワンマンで無意味にポジティブだし、何より先の保証がない」

 終身雇用だっけ、少なくとも破綻するとはだれも思ってないし、そんな生活手放すのは確かに腰がひけるよね。

「でも、このままだとクビだよ。一緒じゃん」

 そのときの彼の表情。完全においつめられた者の絶望の目。

 あ、これは自殺しかねないな。はげましちゃいけないはずだ。なら。

「それとももう死んじゃう? 」

 続けた言葉には自分でもびっくりした。

「一人で死ぬのがさびしかったら一緒に死んであげてもいいよ。にいさんは全然好みじゃないけど、顔は悪くないし、世話になった人だし、わたしも生きてていいことないかもだから、別にいいかな」

 それ死ぬことになるならそれが帰還の時かもしれない。けどなんだこの心中の申し出。自分ってほんとわかんない。

「吉原の遊女みたいなこというなよ」

 え、なにそれ。

 びっくりして、わたしをたしなめようとして、彼の心にわずかばかりの余裕ができた。微弱な魔力で解呪の手がかりをさがしていたわたしは、ぶっつけ本番だが前世の知識のままに解呪の魔力を送り込んだ。心と体の循環が戻りますように。

 むしばむ呪いとは悪循環そのものだ。それが正常に循環すれば自力で回復する。それがわたしのしる解呪だ。

 同時に、自分がなにいったのかじんわり実感がもどってきた。どうも人をのろわばで、カツジにいさんの不調にまきこまれていたわたしにも解呪がはいったらしい。

 いやもうかっと顔が熱くなりましたとも。勢いでもえらいこといっちゃったじゃないか。それはそれはもううろたえましたとも。

「ごめん、変なこといった。忘れて。うわぁ」

 顔を覆って彼のところを飛び出し、何事と驚く通行人のみなさんを後ろに逃げ帰って布団にとびこみ、しばらく悶絶。

 くっそう、これであいつ今までと変わってなかったらもう許さんぞ。

 その晩、カツジにいさんがうちにきたがわたしは会わなかった。

 彼とはそれっきりだ。

 その後さっぱり勤めをやめた彼は外国にいった。帰還の時にもまだもどってきてなかったので、たぶんうまくやれてるのだろう。


おしまい

 



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