第1.8話 にぎやかな集まり

 小学校三年生の夏、母のほうの祖母の家に行った。

 母は近畿の山のほうの出身で、母の実家はとても立派なかやぶきの家だった。

 昔は十数人の家族で住んでいたというが、いまは祖母一人だけになってしまった。

 その時にはそれに対して七家族三十人もがあつまり、広い家が狭く感じられるほど賑やかになった。いとこだけでも十二人はいたと思う。

 ワタシの前世でもこういう賑やかな集まりはあった。本家の祝い事があると分家や家の外で働いている子供たちが集まってきてお祝いを献上し、宴でごちそうをいただき帰っていくのだ。

 あそこでも子供たちは表向き大人しくするようしつけられるが、目のとどかないところではやりたい放題だ。こっちの親族も同じ。

 以前にあったことのある男の子のいとこはワタシのことを警戒し、敵視したが初めてあうやんちゃな男の子のいとことはかなりバチバチにやりあった。体術の心得があって子供なりに鍛錬してるワタシにかなう男の子はいなかったし、人数をかさにきるほど恥知らずな子はいなかったから助かったけど。

 女の子のいとこにはそろっておもちゃにされた。肩まで延ばさせられた髪を編んだり梳いたり、そしてできあがったのを見て満足そうに。バカな男の子とあばれるより手ごわかった。

 だけど、そんなはしゃいでいい場でもない。何しろ祖父の四十九日なのだ。あったのも数回のあんまり印象にない寡黙な老人で、ただにこにこ見ていたことだけを覚えている。前世でも母方の祖父はそんな感じだった。一回しかあってないが、やはり目じりをさげていたのを覚えている。信じられないことに、昔は鬼のように味方にも敵にも恐れられた武人だったというから信じられない。

 今生のこの祖父はどんな人だったのだろう。母はあまり語らない。葬儀にかこつけ聞いてみたが、元軍人でとてもつらい戦争を経験した人らしい、とのこと。戦争で何があったのかは語らず、つらそうにしているだけだったという。そして甘い父親だったようだ。ただ、あんまり娘である母には好かれていなかった。

 できて百年はゆうに超えているこの家には古い写真がいくつも飾られている。知らない人ばかりで、軍服すがたでびしっと記念撮影をしているはにかんだ青年が祖父の若いころだったらしい。ワタシの知ってる数少ない祖父のどれとも合致しない。知らない人といっていい。

 母含め、大人の女性陣はみんなで会食の支度にはいっている。父と大人の男たちは卓を囲んで昼間っから飲んで談笑している。こういう風景は前世でもあった。実家ではなく、世話になった村の祭事でだ。男たちには力仕事などやることがないわけではないが、協力してさっさと済ませたらこんな感じで飲んだくれていた。庶民の女性というのは損な生きものだなと思ったものだ。

「そうだけど、そうとばかりも言えないのよ」

 ユカリにはそういわれた。あのときは「そうなのか」としか言えなかったが、今世ではそれを知る機会があるかも知れない。

 法事は翌日午前で、その日は準備だ。男性陣ののんだくれるのが準備になるのかどうか知らない。中学生以上のいとこは厨房の手伝いに駆り出されている。では、あてにならない小学生以下の子供たちはどうあつかわれるか。

 遊んで来いと追い出されるのだ。

「山にはいくなよ。たまに熊が出るから」

 注意はそれだけ。五時までにかえってこいとだけ言われる。

 いい機会なので、ワタシは一人山に入って日課のトレーニングをすることにした。みんな寝静まってからやろうかとも思っていたのだけど、風呂をあがってから汗をかくようなことはあんまりしたくもなかった。

 近くの渓流に深すぎない淵があったので汗をかいたら飛び込んで泳ごう。絶対叱られて止められるようなことも考えていた。

 熊? うん、気配を感じたら退避するので大丈夫。

 思えば、ワタシは少しいい気になっていたのかも知れない。

 ひと汗かいて小動物の気配以外ないと安心していた。

 がさっと茂みをかき分ける音に驚いて振り向くと一頭の鹿が真後ろにいた。

 とても立派な角をもつオスのニホンシカ。

 思わず硬直したワタシに、シカは頭をさげてそっと角をおしつけるようにしてきた。攻撃する気はなさそうだが、この仕草、出ていけってことか。

 怒らせるとひどいめにあう。

 ワタシは早々に退散することにした。腕立てができてないけど、それは寝床でやっても大丈夫だろう。親に怒られなければ。

 押しやられるのから逃げるようにワタシは山道を下った。あんまりあわてたものだから蜘蛛の巣にはつっこんだりと転びこそしなかったけど、結構汚れたので、山側の崖から誰もいない淵に手に靴をもってどぶんと飛び込んだ。

「わあ、あぶね」

 驚きと非難の声にワタシは見落としに気付いた。

 見覚えのある男子がおもいきり水しぶきをあびてこっちを睨んでいる。

 この男子は祖母宅の近所の子で、つまり地元の子だ。田舎じゃ珍しくないクソガキの一人で、去年かな、ワタシにしつこくうざがらみして最終的に肘をくれてやったことがある。

 すっきりした、整った顔立ちでそんな表情しなければずっといいのに、と惜しいなと思ってたのだけど、粘着質なところがあって我慢してたワタシをひるんでると思ったのか無防備な脇をさらしてくれたので遠慮なく一撃いれさせていただいた。

 正直、面倒なやつに出会ったというところだ。だけど、それよりワタシはこいつが先に泳いでいるのをなぜ見落としたのか、というところが気になった。

「おい、聞いてんのか」

 彼の気配を感じながらぐるっと回ってみると、ふっとその気配が消える角度があった。これはどういうことだ?

「聞いてんのか」

 淵といえど川の一部、流されて上がれなくなっておぼれる危険がある。

「とりあえずあがろ。流されちゃうよ」

 怒ってた彼もこの提案にはのってくれた。彼だって淵の危険性はわかってる。用心できると思ってるからこんな危険なことをやってるのだ。

 ワタシだって漬かってすぐあがるだけなら大丈夫と思わなければ飛び込みはしない。

「おどかして悪かったわ。ごめんなさい」

「ごめんですんだら警察いらんのじゃ」

「そんなことより」

 嫌な予感がする。ワタシは居丈高になる彼をさえぎった。

「ワタシ、なんであんなとこから飛び込んだと思う? 」

「そりゃおまえが暴力女のゴリラだからだろ」

 失礼な奴だな。もっかい肘いくか、それとも玉つぶしのえりかの本領みせようか。

 でも、そんなことはしなかった。

「山で獣に追われたんよ。熊か鹿か猪かわかんないけど。あそこ飛び降りたら振り切れるでしょ」

 彼は絶句した。獣については親からかなり警告されているはずだ。

「今日はもう帰ったほうがいいと思う」

 髪をしぼりながらそういうと、彼は意外にも素直に「うん」といった。

 へえ。

 案外かわいいとこがあるじゃない。

「だけど、お前のこと許したわけやないからな」

 別れ際にもらったのは相変わらずの憎まれ口。うんうん男の子だねぇ。

 ずぶぬれの靴をがっぽがっぽいわせながら戻ったワタシはこっぴどく叱られた。

 気配の察知が利かない状態は、一晩で回復した。ということは、何かが原因で一時的に五感の一部が麻痺してたことになる。気配察知は空気を触れる感覚、聴覚などの感覚を研ぎ澄まして行うものだ。どれかが部分的にかけていれば見落としが発生する。

 考えられるのはあのシカだ。あれが何かしたのではないか。あの気遣いのある押しやりようといい、あれがただのシカとは思えない。

 そんなものがこっちにいるとは思ってもいなかったが、あれは妖精なのかも知れない。前世のあの世界にも妖精はいたが、人の姿をとるものはほとんどいながった。どれもちょっと通常と異なる生き物の姿を取っていた。人の姿を取ると面倒が増えるかららしい。もしかすると、こっちの昔話に出てくる神とかヌシとよばれるものは妖精なのかも。

 なぜ追い払われたのか、そこはどうもよくわからなかった。ワタシは鍛錬やってただけだ。

 夕方、門限を少しやぶるのもいたが小さいいとこたちは全員帰ってきた。釣りにいった二人を除くと、みんな廃業寸前の古い鉄道で町までいってきたという。小さいけれど商店街を備えた市で、みんなそれなりに楽しんできたらしい。

 ちょっとうらやましかった、なんてことはない。ないが、ずぶぬれで帰ったワタシだけ残念な子扱いするのはやめてほしい。

 まあ、おかげでぐっすり眠れたけど。

 翌朝にはみんな身支度を整え、住職さんが来るまで準備をする。ワタシも座布団をならべるのを手伝った。昨日のんだくれていた大人の男性たちは蔵から出しておいた会食の机を並べ、仏壇を整え、女性陣は料理の最後の仕上げをしている。祖母は住職に渡すお金をつつんで達筆すぎて読めない字で表書きをつくった。

 最後に仏間に集合し、いつもと違う仕事用の袈裟をまとった老齢の住職の到着を待った。昨日のだらしなさが消えてみんなかしこまってる。

 読経そのほか、法事は一時間もかからず終わり、会食になった。

 ビールとジュースが回され、にぎやかに会話が場を満たす。昨日から準備していたごちそうは全部膳の上に据えてあるので、住職が帰るまではみんな着席して和気藹々としていた。

 こういう親戚の集まっての会食は前世の実家でもよくあったけど、あれはかけひきの場で結構緊張するものだった。ここにいる人たちは対立していてもすぐに戦争を始めたりするわけじゃない。ずっとましだ。

 住職がさて、といって祖母に挨拶した。

 そろそろ帰るという。みんな見送りに立ち上がろうとするのを住職は制した。

「それにはおよびません。どうぞお楽しみください。故人も喜ばれましょう」

 住職が帰ったあと、ワタシと川で釣りをしていた二人が祖母に別室に呼ばれた。

「中藤の家のケン坊が昨日おぼれたそうだよ。おまえたち、何か見てないかね」

 それは、あの淵で出会ったクソガキの名前だった。

 住職はこれからその通夜、葬儀を行うのだという。

 釣りをしていた二人は見ていないという。ワタシが何か隠しているのはすぐに見抜かれた。

「お話し」

 祖母は怖かった。ワタシは淵に飛び込んでからのことを正直に話すしかなかった。

 それから駐在さんのところまで連れていかれて同じ話をした。

 隣村出身だという若い駐在さんはワタシの帰宅した時間、医師の所見をつきあわせて首をふった。

「ケン坊は確かに一度家に帰ってる。時間も合う。その後また川にいって遭難したようだ。お嬢ちゃんのせいじゃないよ」

 こうしてワタシは無罪放免になった。帰り道、不思議なシカの話をすると、祖母は黙ってワタシの頭を撫でた。

「そのことは胸にしまっておきな」

 祖母は信じてなかったのだろうか。それともワタシの知らない何かを知っていたか、知っていると思っていたか。

 そして、会った数は祖父より少ないのに、あの男の子が死んだと聞いてワタシの胸は痛んだ。何度か組んだ知り合いの冒険者が死んだ時のような気持ちだった。

 生きてさえいれば最後には友達になれたかもしれない。ケッコンは無理だけど。


おしまい




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