灰鉄の魔剣士

スエコウ

灰鉄の魔剣士


いつもの通り、娼館では商売女たちの矯声が響いている。


用心棒にあてがわれた詰所、古びた椅子が一つポツンと置いてある。おれはそれに座って煙管キセルを吹かしながら、顔を上げて天井を眺めていた。



「ラギード、来い」



乱暴にドアが開くなり、いかつい男が不躾におれの名前を呼ぶ。おれは肺に残った煙をため息混じりに吐き出して立ち上がり、男について行った。



「金は払う、払うからもうやめてくれ…」



髭面の男が血まみれの顔で呻く。


おれは右のに付いた血を布切れで拭った。この義手はいくら魔力を流し込んでも精密な動きができないが、とびきり頑丈な灰鉄魔鉱の合金でできている。義手というより篭手ガントレットに近い。金払いが悪かったり娼婦に暴力を振るう冒険者アウトロー崩れを2、3人ぶちのめしたところでビクともしない。


お客様の頭を掴み、廊下を引き摺って歩く。騒ぎに気付いた客の何人かが、ドアから顔だけ出してこちらを眺めていた。いい見せしめになるだろう。


店の外に放り出した後、背後からおれを呼んだのは娼館の女主人だ。この女がおれに声を掛けるのは、新しく入った娼婦の顔を覚えさせる時か、トラブルを力づくで解決したい時だけだ。



「新人よ、顔覚えておいて」



前者だったようだ。美人だが年増の女。どこか怯えた表情。家が潰れたか男に騙されたか…もちろん外見だけでわかるわけもない。ほどなく女主人のそばに控えていた男が女を連れて行く。廊下の奥に消えていく女の背中を見送った後、おれは再び控室に戻り煙管キセルをふかした。いつもの日常だ。


***



「ラギード、来い」



相変わらずの調子で乱暴に開けられたドアから、相変わらずのいかつい男が顔を出す。最近出番が多い気がする。


少し前ならはした金をケチって商業ギルドに喧嘩を売るバカは皆無だった。


近年は領土争いの小競り合いが少しづつ激化しているせいか、複数の国境沿いにあるこの城塞都市に傭兵崩れやならず者共が大量に流れ込んでいる。大体はこいつ等がトラブルを起こすのだが、逆に云えば奴等のおかげでおれのような用心棒バウンサー稼業が繁盛してるともいえる。


だが今回は少し毛肌が違った。娼婦が逃げたらしい。



「探してこい」

「おれの仕事じゃないだろ」

「人手が足りないんだよ。駄賃はやる。見つけたらな」



取り付く島もない。おれは反論するのをやめ、雇い主の意向に従うことにした。



娼婦が寝泊まりしていたタコ部屋にはだれもいなかった。出払っているらしい。逃げた娼婦は来たばかりの女…ついこの間女主人に紹介された年増の女である。あてがわれたベッドには少数の私物が転がったままだった。


おれは周囲に人がいないのを改めて確認すると、口の中でささやくようにルーンを紡いだ。



『狼』



鼻孔の奥にツンとした痛みがわずかに走る。部屋の風景が奇妙な鮮明さを帯び、本来人間に知覚できない情報…臭いやわずかな空気の流れなどだ…が視界を彩った。


おれが隠者ドルイドから学んだ古いまじないを扱えることは誰も知らない。隠し玉を持つのは生き延びるための知恵と言うやつだ。



一時的に強化された嗅覚を頼りに、おれは女の跡を追った。



匂いは街の外まで続いていた。街は古代の巨大城塞を利用して造られており、それぞれの国境に向かって跳ね橋が一つずつ掛けられている。橋の向こうに広がるのは沼と背の低い灌木が広がる不毛地帯である。


匂いを追って、点在する藪の一つに入る。薄暗い木陰の中で動く人影があった。見たことのある顔だ…同じ娼館で雇われているごろつきの一人だ。顔を腫らしてぐったりと動かない女にのしかかり、服を引き剝がそうとしている。


すぐそばには知らない男が血を流して倒れている。手に鉈のようなものを握っていた。この男が女を逃がそうとしたのだろうか。ごろつきに追い付かれ、争いになったといったところだろうか。



「おい」



おれが声をかけると、ごろつきはぎょっとしてこちらを振り向いた。おれの顔を知っていたのだろう。すぐにほっとした表情で女を傷物にしようとした言い訳をはじめた。



「あんたか…男と一緒に逃げようとしてやがった、抵抗しやがって」



苦々しげに倒れた男をにらみつけて唾を吐きかけると、ニヤリと笑っておれに向き直った。



「なあ、なかなかいい女だと思わないか?連れて帰る前に少し楽しもうぜ」



おれは返事する代わりに、このごろつきに呪いルーンをかけることにした。



『切り裂け』



ごろつきの首がぱくりと割れて、鮮血が噴き出す。男は自分に何が起こったかわからない様子だった。しばらくの間ぽかんとした表情のまま首をカクカクと痙攣させた後、女の上に覆いかぶさるように倒れて絶命した。


ごろつきの死体を蹴り飛ばし、女の様子を見る。何度も殴られて顔がはれ上がり、ひどい有様だ。おれは女の顔に手を当て、意識を集中させた。



『鎮まれ』



炎症を抑えるまじないを試す。隠者ドルイドルーンは単音節で発動が早いが、効果や対象範囲が極めて不安定だ。相性が悪く全く効果がない場合もある。だが今回は上手くいったようだ。女の顔は見る間に腫れが収まり、呼吸も落ち着いてきた。


次に倒れている男の様子を見る。すでに死んでおり、懐には女のものらしき手紙があった。書かれているのは後悔、謝罪、過去の幸せな思い出・・・どうやら浮気して駆け落ちしたらしい。その後浮気相手に騙され、あの娼館に売り飛ばされたとある。どうやって手紙を受け取ったのかわからないが、男はこれを読んで女を助けに来たのだろう。手紙には「娘に会いたい」とも書かれていた。この女は夫と子を捨てたのだ。


背後の気配に気づいて振り返ると、女が立っていた。意識を取り戻したらしい。男の死体に縋りつくと、折れた歯からひゅうひゅうと音を立てて嗚咽を上げていた。おれは女に声を掛けた。



「逃げな」



そういっておれは、藪の奥を指さした。ルーンで強化された嗅覚が、藪の向こうにつながれた馬の匂いを嗅ぎ取っていたからだ。男が逃走用に用意したものだろう。だが女は泣きながら首を振るばかりで動こうとしない。



「娘に会いに行け」



ようやく女が顔を上げた。おぼつかない足取りで藪の中に消え、しばらくすると馬が走り去る音が聞こえた。おれは近くの木に寄りかかると煙管をふかして、時間をつぶすことにした。



***




夕刻。藪に近い街道沿いに、捜索役のごろつきどもが集まっている。



「馬の足跡は途中で消えてたよ。これ以上追うのは無理だな」



ごろつき共の中からでてきた男が、俺に話しかける。同じ娼館に雇われている用心棒の一人だ。長身細身だが屈強。つり上がった細い目をしていて、その異相から「蛇男」と呼ばれて恐れられている奴だ。冒険者崩れで得物は大剣のはずだが、今は腰に短刀を一本差しているだけの軽装である。


二つの死体を眺めながら、男は言葉を続ける。



「こいつが女を逃がそうとして、うちのモンとかち合ってになった。お前が駆け付けた時はどっちも死んでた。そういうことだったな」



「ああ」



おれのを繰り返すと、蛇男は表情の読めない細い目でおれをじっと見つめている。おれは眠たげな顔で相手の顔を見返した。実際のところ、ルーンを長時間使用したせいか、身体に若干の倦怠感もあった。互いの間に、ほんの微かな緊張感が漂う。おれたちのやりとりをごろつき共が遠巻きに眺めていたが、口をはさむ度胸がある奴はいないようだった。



「ふん」



蛇男は鼻を鳴らすと、踵を返してごろつき共に「引き上げるぞ」と言った。奴が俺の話を信じたかわからない。元々おれと同じく荒事専門で雇われた身だ。案外奴も、担当外の仕事を押し付けられて面倒だったのかもしれない。


あらためて男の死体を見る。ほどなく街の衛兵がこいつを共同墓地の穴倉に放り込むのだろう。


こいつにとっては妻が不倫した末の、ろくでもない結末だったろう。だがおれは少しこの男をうらやましく思った。少なくとも女は男を頼り、その死に悲しみの涙を流したのだから。右手の義手を眺めながら、おれはあの女…おれを裏切り、嘲笑いながら俺の右手を切り落としたあの元恋人を思い出していた。


連れ戻せと言われていた女を逃がしたのは、おれの一時的な感傷である。女を犯そうとしていたごろつきの顔…まるでいずれはお前もこのごろつきのように落ちぶれるのだと言われているようで、妙に腹が立ったのだ。打算だけで割り切れないおれは結局、この前ぶちのめした冒険者アウトロー崩れとそう変わらないのかもしれない。


ぐるぐると回る思考を煙に乗せて吐き出す。煙管の種火を街道の石畳みに踏みつけて消すと、ごろつき共のあとを追って門に向かった。もうすぐ日が沈んで門は閉鎖され、夜の花街は活気を取り戻す。おれもその日常へと戻っていくのだ。

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