或る夫婦の戯言

おめがじょん

第1話:この浮気野郎!




「孝行。お前、浮気しているだろう? 私の直観がそう告げている!」


 妻が帰るや否やそう告げた。

 仕事を終えて疲れている身ではあるが、妻のこうした戯言に付き合うのは今日だけではない。サービス残業頑張りますか、とスーツの上着を脱いでハンガーにかけ、ネクタイを緩めてゆっくりとソファーに座った。


「それで、その直観に至った経緯を教えてくれよ」


「よーし、この浮気野郎。よく聞け。何かおかしいな、と思ったのは1週間前。いつもなら携帯が鳴ればリビングだろうが風呂だろうがすぐに操作するお前が操作しなかった。それどころかわざとらしく「ゲームの通知か」なんて独り言を言った時点で、これは何かあるなって確信したね! 普段は何事もなければ無言でずっと携帯弄ってるくせに! 思わせぶりかよバカ野郎! 浮気はそういうスリルも楽しいんだってな!」


「確かに、それは怪しいけど。それだけで浮気だって思われるのは心外だ」


「それだけじゃない。一昨日、リモートで近くの拠点に出社するって言ってたよな? その件もあったから、私午前休入れたんだ。いつも通りを装って、出社したフリをして近くの公園からずっとこのマンションを監視していたが、お前あの日、始業時間後に車でどこかへ行ったな? 徒歩五分で駐車場もないあの拠点に何で車で行くかっていうのも謎だが、始業時間後に出発してるのは明らかにおかしいよな?」


「その件について説明させて貰うなら、課長に近所の拠点から本社まで資料を運んで欲しいって言われたんだ。電車通勤だから、いちいちそのぐらいで私有車利用許可証出すのめんどくさいし、社用車使うなら一回いつもの遠い事務所まで行かなきゃいけないから面倒くさいじゃないか。だから闇で午前中リモートワークにしてさ。ゆっくりと拠点に行って、午後から通常出社装って本社に行ったんだよ」


「成程なぁ……。まぁ、一見筋は通っているように見える」


「筋も何も真実しかないんだけど……」


「じゃあ、これは何だ!? 袋に5℃って書いてあるぞ! 女物のブランドだよなこれ!? 何でお前の部屋にあるんだ!?」


 妻がドン、と机の上に某ブランドの紙袋を叩きつけた。これがあるからここまで強気に来たらしいという事だけはわかった。


「バレちゃったか……」


「ようやく観念したか浮気野郎。早く女の所に案内しろよ。10発は殴ってやらんと気が済まん! お前は100発だけどな!」


「いや、美月。……実はこれ、美月へのプレゼントなんだよ」


「はぁ? おいおい、そんな言い訳を今更──」


「来月。美月の誕生日だろ? 美月、ネックレスとか全然つけないからさ。フォーマルな場に出る時困らないかなって思ってプレゼントしようと思ってたんだ」


「……ほんと?」


「嘘なんかつくかよ。バレちゃったから白状するけど、スマホの通知はジュエリーショップからの入荷のお知らせで、リモートワークはショップまで取りに行ってたのを誤魔化すためだったんだ……」


「あっ……!」


「サプライズとかやった事ないからさ。偶には変化も必要かなって思ったからやってみたんだけど、逆に不安にさせたみたいだね……」


「すまない孝行! 私は折角のお前の好意を無駄にしてしまった……っ。なんて、ダメな妻なんだ!」


「誤解が解けたならいいさ。サプライズはダメになったけど、来月きちんとお祝いをしよう」


「わかった! 腕によりをかけて美味しいもん作るからな」


「ははは。じゃあそれでお互いチャラって事にしよう」


「孝行……!」


 妻の事は愛している。これは紛れもない事実だ。

 おずおずと近づいている妻をゆっくりと抱きしめ落ち着かせる。妻が落ち着いた後、着替えて風呂に入ってくると告げて部屋を出た。妻は抱きしめてあげたら元気がでたようで、何時もの調子を取り戻している。全部丸く収まって良かった。自室に入り、ネクタイを緩めて一息つく。


「それにしても、本当に良かった」


 あの日、スマホに通知が来た日の失態を思い出す。何となく誤魔化せたと思っていたがやはり妻は感づいた。妻の様子が少しおかしいと直観した俺は、罠を張る事にした。あの通知をきっと浮気だと疑っているだろうから、それを逆手にとって誤魔化そうと。俺と妻の直観勝負。どうやら今回はこちらの勝ちらしい。ほっと胸を撫でおろし、クローゼットを空けた。


「高い出費だったが……バレるよりマシか……」


 こっそりと購入したバイクのマフラーがそこにあった。早く取り付けたい。乗り回したい。バイクのカスタム費用に妻の理解はない。我が家の財務省の理解もなく勝手に6万のパーツを買えば間違いなくボコボコにされる。全てはショップからの入荷の通知が始まりだった。これを妻に見られてはまずいと判断し、あえて携帯に触れなかったのがまずかった。俺が浮気を疑われているという直観が当たって良かった。お陰でショップにマフラー取りに行った後、アクセサリーショップで来月の妻の誕生日プレゼントを買うだけで全てが丸く収まった。

 俺は浮気はしていない。だが、ルールに反する買い物はした。それだけの話である。テンションが上がったのでついマフラーに頬ずりしてしまう。


「よーし孝行! 私の直観が外れたお詫びに、今日は一緒にお風呂に入ろう!」


 突然バーン!と部屋のドアが開き、妻が現れた。

 この行動は流石に予想できなかった。妻が一緒にお風呂に入ろうだなんて言った事は一度もない。流石に予想外としか言えなかった。そして、俺の妻に対する直観はよく当たる。謎のサプライズプレゼント。部屋でこそこそしている旦那。しかも見た事がないバイクのパーツに頬ずりしている。


「孝行いいいいいいいいい!!!! 歯ァ食いしばれえええええええええええええええ!」


 渾身の回し蹴りがやはりというか、炸裂した。


 

 







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