3


 やがて帰国から三か月が過ぎたころ。実地調査の手筈も整い、目的地付近の気候も落ち着いた七月某日、サムはアマゾンの奥地へと舞い戻った。


 現地での先導は雇わなかった。というよりは、ついてくる者がいなかった。それも無理はないだろう。サムは決しては安全とは言えず、交通の利便性も低い人里から離れた森の奥深くに向かおうとしているのだ。


 車両の類がまともに入ることができないていどには陸地が整備されていないため、モーターボートで河川を行くほうがまだ現実的である。


 また、ヘリを用いて空路を行くというのも難しかった。広大な森林地帯の懐中では着陸のためのスペースが限られているからだ。くわえて、目指す一帯は上空の気流が乱れやすく、着陸はおろか侵入すら憚られるような地帯である。万が一の墜落事故が往々にして起こるような場所に、果敢に挑もうという協力者はそうそう現れるものではない。


 結果、サムは単独での調査開始に踏み切った。これは彼にとっては珍しいことではなかった。元来、一匹オオカミ的な性質であったし、そうした生き方をするのに相応しいだけの能力というのも持ち合わせていたからだ。


 人並外れた運と素早い機転。逆境をはねのける精神力。鋼のような肉体。と胃袋。それらのすべてをフルに活用すれば、ザ・ビッグノーズに不可能の三文字はない。


 実際、調査は悪くないペースで進行した。もちろん平坦な道のりだったとは言えない。それは比喩的な意味でも、また文字どおりの意味でもそうだった。ジャングルには山も谷もありあまるほどにあるのだ。


 本格的な調査の初日。調査開始地点の最寄りの川岸までは、どうにかこうにかチャーターしたモーターボートで向かうことになった。これは快適な船旅だった。


 時間で言えば四、五十分といったところだったが、オレンジ色の光を投げかける朝日の下、前後左右にと揺れるせわしない河の流れと、視界の側面を覆う城壁さながらの樹木の群生とを眺めるうちに、あっという間に終点へとたどり着いたという感じだ。


 その船路のさなかには気がつかなかったが、いざボートが去って行ってしまうと、あるものに四方八方をすっかり取り囲まれているのが実感された。


 そのあるものとは何かというと、それはつまり無数の音というものである。ざあざあと止め処なく続く波の音や、耳たぶをひっかいて通り過ぎるような風の音。インコだかオオハシだかとかいう野鳥の声もそうであるし、中型の霊長類らしき掠れた叫び声も多く聞こえている。ホッホッというような軽い音色ではなく、オウオウとどこか脅すような調子である。


(自分はこれから、この世界の中に飛び込まねばならないのだ)


 下草と蔦とに埋もれた道なき道を前に、サムの心臓はこれ以上ないほどに高鳴るようであった。


 最初の関門は沼地であった。迂回できればよかったのだが、悪いことに周囲は高い崖に囲まれている。なんとかして悪路を突っ切るしかない。唯一の救いは、とにかく沼の底に足は着く、ということぐらいだった。


 腰から下を水に浸けながら、連なる波紋を伴って彼は前進した。まだ午前中で陽が高く、かつ水質も比較的――あくまで比較的だが――悪くはないため、足もとの視界は存外に良好だった。水草が群生する部分を避けて進めば、地形を見誤ることはなさそうだ。


 道中で拾った適当な長さの木の棒を杖代わりにして、前方の沼底をあらためる。水面から突き刺すようにして棒の先端を下ろし、サムの体重と荷物の重さとに耐えられる地面かどうか確かめるのだ。


 くわえて、実際に足を踏み入れるより先にあらかじめ進行方向に対して干渉を加えておくことで、他の生物に対するけん制を図るという意味合いも、この行為には含まれていた。


 大ナマズだろうがピラルクーだろうが、大型の肉食魚への警戒は欠かすべきではない。頭からがぶりといかれる心配こそ不要であろうが、三メートル級の魚類が備える筋力を侮ることはできない。万が一の事故は充分にありえるのだ。


 そうしていくらか沼を進むうち、サムは一たび足を止めた。彼の右手側前方、二時の方向に現れた光景に、思わず目を奪われたためだった。


 そのとき彼の両目が見つめる先には、円形の盆そっくりの丸い葉が二十個ほどまとまって水面に浮かんでいる、というような情景が存在していた。それらはオオオニバスの群生だった。オオオニバスとはつまり、その名が示すとおり蓮の一種たる水生植物である。


 このときサムの前方の水面には、いくつも並んだ葉と葉との合間を彩るような、鮮やかな桃色の花もいくつか確認できた。


 深いグリーンと軽やかなピンクという組み合わせが、浅黒い沼の一角に際立つコントラストを生み出している。まるで図ったかのような構図だ。


 それにしても面白いのは、遠近感が狂ったかのようなそのサイズというものだ。ふちの反り返った緑の葉は、驚くべきことにその一つ一つが一メートル半から二メートルほどの直径を備えているのだ。そうした巨大な葉がいくつも並ぶ光景はじつに華やかで、かつ幾分かは情緒的でもあるが、ここまでの迫力ともなるといかんせん不気味さというものもまたつきまとう。


 その群生と一続きになった水の中に身を置くサムにしてみれば、その景色というのは決して心癒されるばかりのものではなかった。


(あの下にはいったい何が潜んでいるのだろうか?)


 たとえば、もし仮になんらかの生き物がこちらに向かって飛び出してきた場合、今の自分はその相手から無事に逃げ切ることができるだろうか? 腰から下をどっぷりと沼水に浸けた、この状況下にあって。


(いや、無用な心配はよそう)


 サムはそう自分に言い聞かせながらも、しかしそれ以降しばらくのあいだ、例のオオオニバスから目を離すことができなかった。


 その後、とにもかくにも足を進めること約一時間。サムはようやく沼地を超えた。


 疲労の度合いは極めて高かった。肉体的な疲れというよりかはむしろ、自らの取り越し苦労というものに対し強い徒労感を覚えるというような具合だった。


 また同時に、不快感という面でも凄まじいものがあった。なんといっても気温三〇度、湿度八〇パーセントという蒸し暑さのなか、ブーツから靴下から下着からずぶずぶに塗れているのである。額と首筋などはもうまったく汗まみれ。半端に開いたジャケットの襟もとから湯気が上がってくるような気配さえあった。


 もしこの状態にストレスを感じないのであれば、それはそれで自分自身の精神状態を疑ってみるべきだろう。必要以上に浮かれているか、必要以上に消耗しているか、平常の感覚を失う理由は大抵そのどちらかだ。


 ともあれどうにか柔らかい土の上に腰を落としたサムは、続けて沼の水を利用して靴や衣服にこびりついた泥を落としはじめた。衣類に付着した泥をそのままにしておくと、それらが乾いたあとに皮膚がこすれることで、擦過傷を生じさせるおそれがある。たかが擦り傷と侮ることなかれ、体表面の傷はすべからく感染症のもとである。


 泥を洗い流すと気分がいいのはもちろんだが、しかしそれ以上に、不意のアクシデントを避けるという意味でもあるていどの清潔感は必要不可欠なのである。つけ加えるなら、吸血ヒルを見つけるのにも都合がいい。


 やがて沼地を超えて以後、サムはただひたすらに獣道を進み続けた。


 ナタで草木を切り払い、なんとか身体が通るだけのスペースを作っては、それでもなお視界を塞がんとする枝葉を腕で払い除けながら歩みを進めた。そうする彼の姿というのはともすると、団子になって群がるファンを押し退け押し退け歩道を行く、売れっ子の映画スターかのようでもあった。


 ほどなくして、サムはまだ陽の光が残っているうちに寝床の準備を整えると、そのまま一日目の行軍を早めに切り上げた。


 目立つ巨木の下に簡易のテントを張ったのち、湯で戻すタイプの即席マッシュポテトと、平たいパウチに入ったジェル状補給食、くわえて油分の高いナッツとでカロリーを摂取する。


 そうしてあるていど英気を養うと、彼は、今度は楽しみのための食事に手を伸ばした。といっても、その内容はサラミソーセージとチョコレート味のエナジーバーのみ。調理というか、単純に温める必要すらないようなメニューである。


 食の喜びというものからはかけ離れているかもしれないが、ことこのときのサムにとっては、これでも充分に魅力的で贅沢な品であるといえた。


 味覚を心地よく刺激する塩気と甘み。ほどよい抵抗感のある噛み心地。そこには「食物を摂取した」という満足感が存在していた。「味をつけた糊」とも形容されるジェル状補給食に比べれば、どんなものでも大抵は絶品なのである。




 夜が明けて二日目。朝日が空に顔を出し、周辺の様子がはっきりと目視で確認できるようになってきたところで、サムは現在位置と方角の確認を行うことにした。地図とコンパスとGPS専用機。昔ながらのオーソドックスなやり方だ。


 GPS専用機にはあらかじめ地図機能が搭載されたものも多いが、それでも現物の地図とコンパスとは持っておくのが無難である。シンプルなものはそれだけ強い。並大抵のダメージでは、これら二つの道具からその機能を奪うことはできないだろう。


 さらにいうなら、電子機器のバッテリーを温存するという側面においても、やはりアナログな道具は用意しておいて間違いはない。


 昨夜は気温、温度ともに高く、寝つきやすい夜だとは言えなかった。


 されど、腹がしっかりと膨れていたおかげで、それなりに熟睡できたというのもまた事実だった。顔も身体も寝起きの汗でべたついていたが、ともあれサムは悪くない気分で二日目をスタートさせることができた。


 が、気分がいいのも最初の二時間までであった。当日の行動開始時刻は午前七時。日の出からちょうど一時間が経過したところで、晴れた空に輝く太陽にも爽やかさを覚える気候であった。


 ところがそれも、朝九時をまわったころになると事情が変わってきた。とにもかくにも暑くて暑くてたまらないのだ。


 鼻の頭からしたたるほどに噴き出した汗が、高い湿度のせいか一向に乾いていかない。「身体が水分を失っている」という事実を否応なしに思い知らされるようなありさまだった。


 当然ながら飲み水は潤沢に用意してある。サムの背負うバックパックの重量の大部分を占めるのが、体力維持のための食料品である。


 なんといっても行きで三日、目的地付近での調査で三日、帰りもまた三日という全行程九日間分の物資に加え、万が一の場合にと二日分の予備を足した計十一日分の飲食物だ。


 なんといっても命綱。行動中の消耗を充分に考慮し、最低限以上の量を確保しておいて損はない。


 とはいうものの、そうした大切な物資の存在をさえ疎まく感じてしまうほどには、このときのサムの不快感というものは強かった。


「自分の背中とバックパックとの隙間にカビが生えるんじゃないか」などと馬鹿馬鹿しい考えが頭に浮かぶほど、強烈な蒸し暑さだったのだ。


 それでなくても辛い行軍が続くなか、このときさらなる困難がサムの行く手を阻んだ。山である。さほど標高は高くないが道中のアップダウンが激しく、またその表面を嫌というほどに大量の植物で覆われた、なんとも意地の悪い地形を備えた低山だ。


 大回りすれば迂回できないこともないのだが、そうすると片道で約一日分、余計に時間を取られてしまう。生き帰りなら二日分の遅れだ。サムとしてはそれだけの遅れを許容することはできなかった。


 旅路をだらだらと長引かせるのは得策ではない。体力という意味でも、また集中力の維持という意味でもだ。「来た、見た、勝った」ではないが、簡潔さとスピード感は何をするのにも重要なのである。


 サムは上り下りを何度も繰り返す悪路を黙々と突き進んだ。ときには両手を地面に突きながら、またときには、座り込むほどに腰を落としながら。そうしてころ合いを見ては休憩と間食とを挟みつつ、都度都度に位置と方角を確かめて驀進した。


 そうした行軍を続けるうち、蒸すような気候からくるストレスが溜まってくると、今度は自身の周囲を取り囲む音というものが無性に気に障るようになってきた。鳥の羽ばたき。際限なく繰り返される甲高い鳴き声。沢を流れ行く水の音。中型から大型の哺乳類らしき獣の叫び。ざわざわざわざわと休むことを知らないような虫の声。


 そのうちに何か、人の口笛にも似た異質な音色を耳にした気もしてきたが、これに関しては幻聴かもしれなかった。でなければ、知らずのうちにサム自身がそれを発していたのかもしれない。


 このとき彼は努めて何も考えないようにしていた。この状況下において頭の中に浮かぶ事というのは、大抵は悪態か弱音かのどちらかでしかないからだ。


 こうした思考の放棄というのは、サムにとってはある種の護身術とも呼ぶべき技術の一つであった。


 思考とは脳の労働だ。また、労働はすべからくエネルギーの消費である。すなわちストレスについて考えるという行為は、わざわざ体内のエネルギーを使ってまで苛立ちを増長することを意味している。これほどむだな体力の使い方もそうはあるまい。


 彼はこれまで何度も「タフガイ」だとか、「不撓不屈の男」だとかというふうに他人から評されてきたし、また自分自身でも、そういう賞賛に値する人物であるように心がけながら生きてきた。


 かつて、広大な砂漠地帯の真ん中で一人立ち往生した際にも、また地下二〇〇メートルにある鉱山跡で片腕を骨折するという憂き目にあった際にも、決してネガティブな感情に呑まれることなく、冷静かつ大胆な方法で苦境を脱したものだ。


 要するに、それらの苦境に際して用いたのと同じ技術に頼らねばならないほどには、このアマゾン熱帯雨林の環境は過酷であるということだ。


 彼は自らの身体を前進させることのみに集中した。ナタを振るって深緑の壁に隙間を作り、右足と左足とで胴体を押し込む。ふと気まぐれに、見るともなく右方を見ると、やや離れた位置に立つ細い木の一本に大きな蛇が巻きついているのに気がついた。ちょうどサムの目線の高さに近い位置であった。


 その蛇は胴の太さが成人男性の二の腕くらいはあるだろうか、かなり大型の種類であるらしかった。長さというのはわからなかった。張り出した木の枝にぐるぐると絡みついているために、どうにも判断ができないのだ。


 ただ、アナコンダほど大きいということはなさそうだった。こいつはボアコンストリクターというやつかもしれない、とサムは考えた。


 今やサムの頭上ほとんどの部分が、折り重なる枝葉によって塞がれていた。辺り一面に並び立つ木立のその一本一本が、遥か頭上から小さな冒険家を覗き込むかのような気配だった。


(この森は蛇を使っておれを殺すんだ)


 サムは考えるでもなく考えはじめた。


――もしも樹木に殺意ってものがあるなら、きっとそうするだろうさ。でなけりゃあ、殺しの道具なんていうものは数えきれないほどにあるのかもしれない。


 たとえば毒蛇というのはどうだ。以前に聞いた話では、「ハララカ」なる種の蛇は出血性の猛毒を備えているとのことだった。


 この毒には生物の血管を破壊する作用があるそうで、いざそれが全身に回ると多量の鼻血だとか結膜下出血だとか、より悪い場合には患部の壊死なども引き起こすのだそうだ。


 身体中の血管という血管から血を流しつつ、じわりじわりと弱りながら死んでいくというのはどういう気分なんだろうか?


 凍えるほどに寒いのか。はたまた全身に焼けつくような痛みが走るのか。考えるだけでも吐き気がするようだ。


 であれば、毒をもたない種なら安全か?


 答えはノーだ。それこそオオアナコンダがどうのこうのという話である。この種は大きい個体で一〇メートル近い長さをもつ場合もあるとのことであるが、さすがというべきかそのサイズともなるとシカやワニなんかでも丸のみにして食べてしまうことがある。


 彼ら――これはアナコンダのことである――はまず、その長大な胴体で獲物に巻きつき、そのまま締め上げる。然るのち相手が弱ってきたら、今度は獲物の頭から丸ごと飲み込んでいくのだ。それは言うまでもなく、獲物を消化して自らの養分とするための行為である。


 そうなると、締めつけによる骨折の激痛か、もしくは呼吸困難で死にいたるほうが幸運なのかもしれない。それこそ、生きたまま消化されるよりはまだマシというものだろう。


 とはいうものの、そうした図体のでかい生物というのはある意味で「やりよう」がある。無警戒にぼうっと歩くような真似さえしなければ、大抵は危険のサインに気がつくことができるからだ。


 サインとはすなわち敵の姿や物音といったものである。そういった脅威の兆候に気を配り、常に適度な緊張感を維持して事にあたることができれば、不意の事態を避けるのも不可能ではない。たとえどれほど強靭な化け物が相手であろうと、だ。


 そういったことを踏まえるなら、小型の生き物のほうがよほど厄介だと言うことができる。


 たとえば、毒虫などというのは最悪の部類に入るに違いない。世界一の猛毒をもつとしてギネス世界記録にも認定されたクロドクシボグモは、紛れもなく中南米に生息する毒蜘蛛である。


 足を広げた際の体長は約一五センチメートル。この小さな暗殺者は強力な神経毒を備えており、激痛、麻痺、呼吸困難などといった症状を引き起こすことで知られている。


 もし仮に人間がこの蜘蛛に噛まれた場合には、被毒から三十分以内に処置をしなければ命の危険さえあるとのことである。


 ただ、意外なことにというべきか、記録のうえでは七〇〇〇例ある事故のうち死亡が確認されたのは十名ていどということで、死亡率の面で言えばさほど高い数字をもつわけではない。


 無論、それは血清が存在し、かつ適切な処置を受けられる環境があってこその話である。人の寄りつかぬ野山で噛まれればタダでは済まない。無謀にも単独でアマゾン熱帯雨林を行く冒険家は、全長たった一五センチの蜘蛛をさえ恐れなければならないのだ。


 体の大きさは問題ではない。向こうから噛みついてくる相手は誰だろうと危険だ。


 ならば動かない手合いというのはどうだ? たとえば、植物の類などは安全と言い切れるだろうか?


 否、そうではあるまい。この地の先住民族が扱う矢毒のなかに、「クラーレ」と呼ばれる種類のものがある。これは特定の植物の樹皮を煮詰めるなどして製造されるもので、材料や製造地域の違いからいくつかのバリエーションが存在している。


 その種別というのは、運用や保存に用いられる容器から「壺クラーレ」、「筒クラーレ」などと呼称される。これらの毒はいずれも動物の神経と筋肉との接合部に作用し、信号の伝達を阻害することで、筋肉を麻痺させる効果をもつ。


 こうした効用から、一部には外科手術に際して麻酔薬として利用されたり、破傷風などを原因とする痙攣を抑えたりといったように、筋弛緩剤として活用される成分も発見されている。


 適切な治療のために用いられるなら結構な医薬品だろうが、いかんせんここは病院ではない。医者もおらず、また人工呼吸器もないような密林の懐中で、全身の筋肉を麻痺させられるのは誰にとっても許容しがたい事態であるに違いない。


 当然ながら、管理された人工の毒物が自ずと人を襲うようなことはない。その毒物を扱う人間こそが、人を毒牙にかけるのだ。悪意と、知能と、道具とを持ち合わせた人間がだ。


 もし仮に、誰かが誤って毒矢を撃ち込んできたのであれば、ともあれ治療が施される望みくらいはあるかもしれない。


 しかしもし仮に、明確な殺意をもった者が襲撃を仕掛けてきた場合には? 考えたくもないことだが、そのときは覚悟を決めるしかないだろう。


 あり得るのだ。文明社会に銃を携えた殺人鬼がいるのと同様、この深い森のどこかにも、そうした危うい人物が身を潜めている可能性は充分以上にある。


 この南米の樹海の中では、弓矢や槍などといった物を向けられるという、それこそ夢か幻かというような馬鹿げたことさえ、現実のものになりかねないのだ――。


 と、そこまで思索がいたったところで、サムはやや乱暴気味に頭を振った。次から次へと連想される物騒極まりない事柄の数々を、頭から払拭したかったのだ。


 いったん深呼吸でもしようと鼻から大きく息を吸い込むと、かえって息苦しさを覚えさせられた。匂いに色があるわけではないが、とにかく緑の匂いが強烈だったのだ。いわば、不必要なまでに色味の濃いダークグリーンといった調子である。


 視界の一面を埋め尽くさんばかりのその色が、目から口からサムの体内へとなだれ込んでくる。汗がとまらず、頭痛と吐き気が治まらない。


(どの死に方が楽だろうか?)


 この人里離れた樹海にあって、もっとも苦痛のない死因とは?


 サムはほとんど瞬間的に、一つの答えにたどり着いた。彼自身の背中、そこに見えるバックパックの横に添えられた、大口径のライフル銃にだ。


 なるほどこれなら一瞬で済む。脳天でも心臓でも好きなほうに風穴を開ければいい。いずれの場合も、そう長くは苦しまむまい。ライフル用のマグナム弾なら、頭蓋骨や胸骨で止まる心配は無用である。


(いざというときだ、サム・モーティマー。いざというときだ……)


 心の中でそう唱えるみると、少しだけ不安感が和らいだ。



 そうして騙し騙し山道を行くうち、突然、サムの前方に煌めく海面が姿を現した。幅広の白波が二重三重に列をなし、ざあざあと波音を響かせる。


 と同時に、油絵の具のように濃密で、塩気の強い「青」の色がサムの網膜に飛び込んできた。


 彼は一瞬、道を間違えたのかと考えた。彼の目的地は内陸部の、それも窪地になっている一帯である。順当に行けば海岸になど行きつくはずがない。


 しかしながら、サムはそんなふうに考えた直後には、道を間違えたという認識自体が間違いなのだと理解した。


 進む方角を誤ったのではない。この巨大なブルーの壁面は、海ではなく、空だ。行き交う白波はたなびく雲であり、また鼓膜を触るのは波の音ではなく、山頂に吹きつける風の音色だ。


 木立の群れがひととき途切れ、視界が開ける。サムは無事、低山の頂上までたどり着いたのである。


 視界を覆う樹木の渦を抜けた途端、不思議と肩が軽くなるのを感じた。それからほどなくして、今度は背中から腰、背骨、膝、足の裏にいたるまで、徐々に力がみなぎってくるような感覚があった。それまで滞っていた血流が、身体中の血管の隅々にまで行き渡るような心地よさだ。


 直前までのサムはまさしく、呑まれていたのだろう。緑の天井に。滴る汗に。ひと時たりとて鳴り止むことのない喧騒に。ときに身体を押し戻し、またときには引きずり込もうとするかのような、地面の傾斜の変調に。この熱帯雨林がもつ威圧感に。


 だが、とにかく彼は今日を戦い抜いた。さしたる高度はなくとも険しいばかりの、この山の頂こそ、調査二日目の目的地であったのだ。


 腕時計を見ると時刻は一六時。日の入りまでにはまだ二時間ほど余裕がある。


 GPS専用機を使って確かめる限りには、事前の計画と、実際の現在位置と時刻とのあいだには大きな祖語は見られなかった。進行のペースはこれ以上ないほどに順調である。


 それからサムは、この日の寝床を確保すべく行動を再開させた。


 当日の行動目標を無事に達成したとなれば、あとは明日のために英気を養うのみ。可能な限りじっくりと時間をかけてカロリーを取ったのち、あるていどは安全なテントの中で夜明けまでぐっすりと横になるのだ。


 糊状の栄養剤。乾燥肉。足も満足に伸ばせない一人用の自立式テント。そういった物たちがもたらす喜びを、サムはあますことなく貪った。


 身の回りの四方八方を宵闇が埋め尽くすなか、焚き火が発するオレンジ色の明かりのみを頼りにして時を過ごす。気温三〇度、湿度六九パーセント。理想的と言ってもいい夜だ。


 ぼうっとそんなふうに考えるうち、彼はほどなく眠りに落ちた。




 そして三日目。この日こそが彼、サム・モーティマーにとっての現在。すなわち、ジャガーである。


 くだんの格闘はちょうど、「そろそろ昼食をとるべきか」と思いはじめたころの出来事だった。


 日常的な生活習慣から極端に外れた行動をとるのは、大抵の状況下においては好ましいことではない。食事や睡眠、起床などの生活リズムを一定に保つということは、時間の感覚を整えることに直結しているからだ。これは存外重要な事柄である。特に、命がけの行軍の最中には。


 だが、そうは言うもののなかなかどうしてこれが容易なことではない。結局、この日の昼食は予定より一時間以上も遅れることと相なった。


 というのも、恐ろしい肉食獣に負わされた傷の手あてに時間がかかったことにくわえ、出血や痛みなどに起因する不快感と、見事に敵を返り討ちにしたという達成感とがないまぜになった歪な興奮を落ち着かせるために、少なくない時間が必要だったからだ。そのためにこそ、彼は独りこれまでの旅路を振り返ったのである。


(ここまでやる価値はあるか?)


 今一度己自身にそう訊ねると、


(ある。そうするだけの意義と情熱が、この胸にはあるからだ)


 と、力強い答えが返ってきた。


 四年間にも及ぶ情報収集。三か月をかけた入念な下準備。命がけの二日間。決死の一瞬。


 ともすると、ありもしない宝を追いかけているのかもしれない。これより先、取り返しのつかない代償を支払ったうえで、なおすべてがむだな徒労に終わるのかもしれない。 


 実地調査を開始してからこの三日間というもの、サムはとてつもない不安感のなかを進み続けてきた。されど、まだ旅ははじまったばかり。


 彼はいまだ、調査目標があるとされるその地域の景色を、〈望みの間〉があると噂されるその一帯を、彼自身の目でとらえることすらできていないのだ。


 だがそれでも、意義と情熱はたしかにあった。このサミュエル・モーティマーの胸中には。


「決着をつけよう」


 彼は、今や筋肉の痙攣すら見せなくなったジャガーの亡骸を前に、声に出してそう言った。

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