第30話 秘密の侵入者
「おい……おい、起きろって」
私は先程聞いたばかりの、だけどあまり聞き覚えのない声に起こされた。
身体を揺さぶられはしなかったが、男性の声だとぼんやり思って、思ったことで驚いて目が覚めた。
ベッドの横に、ガーシュと名乗ったあの青年が立っている。
夢でも見ているのかと思うような衝撃だが、彼が私に触れる気配はみじんもない。襲う気なら、寝ている間に猿轡を噛ませて服を脱がせてしまえばいいのだ。
「さっきは悪かったな。お嬢さんの部屋だと知らなくて、もうここには来ないからさ。下働きは給料がいいから来たんだけど、仕事が早く終わっちまってすぐサボっちゃうんだ。まぁ顔見知りにはなったわけだし、名前も聞いてなかったし、一応俺のスポットだったから最後にお嬢さんの名前を聞いておきたくて。部屋、勝手に入って悪いな、窓開いてたし、誰も居なかったからさ」
「えぇ、はい……あの、クレアと申します。ガーシュさん? あのですね、ビックリするので女性の部屋に、誰も居ないからといって入ってはいけませんよ」
正確には私がいるが、女性一人でいる所に入るのはもっと悪い。反省しなかったら言えばいいだろうという事で、まずは初歩の初歩からお伝えした。
「あ、そうなの? うちの国だと玄関や窓が開いてたら入ってもよかったからさ。まだこの国に慣れて無くて、悪かったな。すぐ出るよ、クレアお嬢さん」
もしかして、この人は私が王室に入る人だとは知らないのだろうか? クレアお嬢さん、という呼び方は初めてされた。苗字を名乗らなかったのは、今は名乗る苗字がないからだ。バラトニア、を名乗る為に現在奮闘中である。
「あなた、とてもきれいなフェイトナム語を話すのね」
「あぁ、だって仕事にならないだろ? 言葉なんて簡単だよ、やってることを見て、話してる言葉を聞けば、意味が分かるしな」
相当頭がいいのだろうなと思う。文字も教えたらあっさり覚えそうだし、何より私に対して変な遠慮が無いのもいい。私はこのガーシュという青年と、ちょっと友達になりたくなった。
「ねぇ、朝から夕方までの間なら、まだあの木の枝を使ってくれていいわよ。私、ほとんど部屋を空けているから。侍女には見付からないようにね。それから、たまたま私と居合わせた時には……そうだ、そちらの国の話をしてくれない?」
「ネイジア国のこと? 構わないけど、何でもいいのか?」
「えぇ。良ければそれを本にしたいのだけど、ダメかしら?」
ガーシュはあまり興味も無さそうに首を傾げて頭をかいた。少し考えて、本にしたい、という所に面白そうに口端を上げる。
「構わないと思うぜ。本にするってのも面白い発想だなぁ。面白そうだから、また顔を合わせる事があったら話してやるよ」
「ありがとう! 話をするのは窓を挟んで中と外、部屋の中には入ってこない、侍女が居る時はすぐ逃げること。一応、私は身分が高いの。あなたが捕まっちゃうわ」
「げぇ、それじゃあクレアお嬢さんじゃなく、クレア様か? どっちでもいいんだけどよ」
「ちょっと寂しいけど、万が一見付かった時にはそう呼ばれている方が、あなたはちょっと叱られる位ですむかもね」
実に面倒くさそうな顔を隠しもしなかったが、私との会話は楽しいらしい。
「いいぜ。クレア様、その約束を守る。ネイジア国のことも話す。気に入ったら、本にできない秘密を教えてやるよ」
本にできない秘密? と、私の好奇心は刺激されるばかりだ。
はたから見たら立派な浮気現場なのだが、私は男性の文官と仕事をすることも多い。本を編むために取材をしていたと言えば、万が一見付かっても大丈夫だろう。私と彼の間には、これっぽっちもやましい空気が無いのは、誰が見ても明らかだろうから。……たぶん。その辺の機微には非常に疎いので、自信がない。
「じゃ、そろそろ行くよ。起こして悪かったな。これ、ネイジアの薬で栄養剤なんだ。これを渡しに来たかったんだ、お嬢さん顔色悪そうだったからな。おやすみ、クレア様」
そういって彼は小さな葉っぱに包まれた包みを枕元に置いて、窓からひらりと飛び降りた。本当に身軽だ。
恐る恐る葉っぱを開いてみると、鼻につんとくる刺激臭のする黒くて小さな丸薬が詰まっていた。
栄養剤と言われても……これ、飲んだ方がいいのかしら。胃は丈夫だけど……大丈夫、よね?
私はもうひと眠りする前に、水差しからコップに水を入れて、丸薬を飲み込んだ。
ものすごく微妙な味がしたが、少し体の芯がほかほかとする気がする。匂いが移りそうなので何にも使っていなかったチェストの引き出しに包みをしまって、私はまたベッドに横になった。
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