第46話 女の戦い・2

 華やかな白地に落ち着いた青色のアクセントの効いたお義母様のドレスの後ろから、私は茶色の、最初に嫁いできた日のような飾り気のないドレス姿で馬車を降りた。


 王城の門番がぎょっとしている。髪も洗いざらしで綺麗に結い上げてもいない。化粧も唇と眦に少しだけ地味な色を乗せただけだ。ドレスは茶色のフリルが少々ついていて、詰襟で、胸元にはアンティークのブローチをつけているが、宝飾品はそれだけだ。


 これが、私。過去の私。ミモザ・ノートンだった時の、自分の内側に籠っていた時の私だ。


 お茶会の時間はパーシヴァル様に伝えてある。本来、このような格好で王妃様の招待にあずかるというのは非礼に値するが、今日の作戦はお義母様を通して王妃様にも伝えてある。


 男性は、未だ若々しくオシャレなお義母様の少し後ろを歩く私を侍女か何かと勘違いしているだろう。


 綺麗に整えていた髪も、覚えたお化粧も、少しずつお義母様と侍女に教わったことを今日は全部台無しにして、それでもあの王太子殿下が私だと気付くかどうかをまずは見てみようと思う。


 ……きっと気付かないだろうなと、ちょっと笑ってしまう。あの方にとって私は、『パーシヴァル様の妻』というトロフィーであって、綺麗に着飾った姿でしかお会いしていない。


 それに、今日はもう怖がる必要も気持ちもない。パーシヴァル様が来てくれるし、冷静になればあれが『非現実的で実現し得ない』冗談だと分かる。が、あの様な冗談は品性が疑われるという事を理解してもらおうとも思う。


 誰でも、その事に関してだけは抑えが効かないことがあるというのは、分かっている。メディア様との最初の出会いの時にも、メディア様も、私も、抑えが効かなかった。


 そして、カサブランカの時も……二度も飲み物をかけられそうになるとは思わなかったけれど。


 それが、王太子殿下にとってはパーシヴァル様なのだ。それに関わる私は、私として、ちゃんと王太子殿下に認識され、尊重されたいし、私も王太子殿下を尊敬し、尊重したい。


「やぁ、よく来たな。二人ともかけてくれ」


「ごきげんよう、王妃様」


「ご招待ありがとうございます」


 案内されたサロンには、いつも通り格好いい王妃様と、二人とも、と言われて困惑したようなフレイ殿下がいる。王妃様は驚きもしなかったようだが、フレイ殿下は「何故侍女が同じ席に?」とばかりに私を凝視している。


 まだ気付かないものだろうか。随分姿勢はよくなったと思うけれど、やはり着飾っていないと殿方には見分けがつかないのかもしれない。


「フレイ王太子殿下におかれましては、本日もご健勝のようで何よりでございます」


「……パーシヴァルの……?!」


 間近で礼をして挨拶を述べた所で、やっと気付いたらしい。


「その、格好はどうなされた……?」


「あら、本日は『側室に』という御冗談を仰ってはくれないのですか?」


「いや、その……、先日はすまなかった」


 非公式な場とは言え、着席したのを見て王太子殿下が頭を下げる。うん、冗談にしてはやりすぎだということも、品性を疑われるということも、王妃様にきっとこってりとやられた後なのだろう。


「失礼します」


 そこに、ノックの音がして、軽鎧姿のパーシヴァル様が入って来た。今日は見学なので、サロンの入り口近くに立っていらっしゃるが、私の姿を見て少し驚いたように目を見開いてから、微笑みかけてくれる。


 そう、パーシヴァル様は、この姿の……いえ、これよりもっとずっと自分を磨こうとしていなかった私を見て、婚姻の申し入れをしてくれた方だ。この姿でも、絶対に分かってくれると思っていたし、微笑みかけてくれると信じていた。


 私も微笑み返す。それから、フレイ殿下に向き直った。


「今後、どんな女性であろうと、あのようなお声がけはお止めくださいませ。私も怖かったのです。それに、正室がいらっしゃらないのに側室、などという言葉は、どこぞの腹に一物を抱えた貴族に聞かれれば醜聞になりかねませんよ。パーシヴァル様も、殿下も、もう大人なのですから、そのような張り合い方はいけません」


 地味で、もっさりとして、芋っぽいような恰好をしていても、私の背はまっすぐに伸びていたし、声は震えなかった。


 私を守ってくれる人達、愛してくれる人達が側にいる。恥ずかしい姿は見せられない。


「……わかった。本当に、申し訳ない。今後二度とあのようなことはしないと誓う」


「はい、信じます。パーシヴァル様の仕えるお方のお言葉ですから」


 それでもまだ、私の格好を不思議そうに、そして何故こんな『失礼な』格好で王宮に来たのだろう、と思っている視線に、私はほろ苦く笑った。


「フレイ殿下。私は、これよりももっと髪が長く、地味で、化粧もしておらず、背を丸めていた時に、パーシヴァル様に見染めていただきました。お義母様にもです。見た目ではなく、手紙の内容や筆致、刺繍、そして、私が大好きな本を買って帰る時の嬉しそうな顔。ただそれだけで、何も飾り付けていなかった時に」


「……まことか?」


「左様にて」


 フレイ殿下がパーシヴァル様に尋ねると、彼はうっすらと笑って片手を胸に当て、軽く礼をした。


「この私を選んでくださったんです。そして、色々なことをお義母様に教わり、磨かれ、パーシヴァル様はその変化を可愛いと言ってくださいました。それが嬉しくて着飾っていましたが……私は、パーシヴァル様以外の殿方とどうこうなろうなどとは少しも思っておりません。ですので、この姿の私に戸惑いしか覚えられないフレイ殿下には、私は相応しくありません」


 あぁそうだな、と言うのを飲み込んで口を結んだのは良かったと思う。きっと、綺麗な女官や侍女を見慣れているだろうから、私のようなもっさりとした女とこうして対面し、話すのは初めてだったことだろう。


 私がお洒落をしよう、がんばろうと思ったのは、お義母様に磨かれてパーシヴァル様が可愛いと言ってくれたからだ。そう思って居て欲しい、と思う男性は、世界中を探してもパーシヴァル様だけ。


 そして、いつしかお義母様の心遣いによって、お義母様にもお義父様にも、お父様にも恥ずかしくない自分でいたいと思うようになっただけ。


「女が盛装するのは、そうしたいからです。理由は様々でしょう、未婚の方で婚約者を探している方ならば素敵な方に見つけられたいからですとか、自分を磨くことが楽しいからですとか。私は……磨いてくれたお義母様たちや、可愛いと言ってくださったパーシヴァル様にそう思って貰いたいから、着飾るのです。本日のドレスも仕立ては一流のものですよ。流行の物でもありませんし、私にはまだ30年程早いデザインではございますが。髪は、お許しください、どんな私を好きになってくれたのかをお見せするには、最近は綺麗に手入れをされていたので……」


 これでもマシになったので、と言うと、フレイ殿下は目を白黒させていた。


 あの日、最初の王妃様の招待に応じた時の私の姿と今の姿が、未だに重ならないらしい。


 私は今度はにっこりと笑った。これが、私の戦いのトドメだ。


「パーシヴァル様と、私で競うのはお止めください。私はフレイ王太子殿下を尊敬していたいのです。厚かましくも長々と話してしまいましたが、これが私からの先日の『冗談』へのお返事でございます」


 お許しを、と言って頭を下げる。


「わかった。本当に……その、すまないことをした。頭を上げてくれ」


「話がついたようだ。愚息もこの通り反省している。ミモザ嬢の本来の素晴らしさが内面にあるということも、まぁそのうち知る事になるだろう。さぁ、お茶にしよう。とっておきのケーキを用意したぞ」


 頭を上げた私は失礼して顔の前に垂れて来る髪をハーフアップにしバレッタで留め、王妃様の言葉に頷いた。


 そっとパーシヴァル様に目を遣ると、私の戦いを見学してくれたパーシヴァル様は、顔を横に逸らして口許を覆っている。よく見ると耳が赤いようだ。


 褒められるか窘められるかだと思っていたけれど、何か脳停止するようなことがあったかな? と不思議になった。が、パーシヴァル様は何度か深呼吸をすると、失礼しました、と一礼してその場を去って行く。訓練に戻るのだろう。


 いったい武闘大会では何が正賞なのだろうか。今日はそれを聞けるようなら王妃様たちに聞いてみよう、と思って注がれた紅茶に口をつけた。


 お義母様に目をやると、勝ったわね、という視線が返って来たので、にっこり笑い合った。

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