第40話 王太子殿下との出会い

 馬車に乗る前に、少し失礼してお花摘みに向かった帰りに、王妃様に似た雰囲気の男性と出くわした。


 彼は驚いたように私を見ていたが、私は軽く首を傾げて失礼のないように礼をした。


 つかつかと近寄って来た彼は、白い盛装に赤いズボン、革靴という出で立ちで、急に私の手をとって口づけしてきた。あまりのことに驚いて何の反応もできなかったが、長手袋の上からだったのでそっと手を引いた。


 強い目だ。王妃様と同じ、強い青みがかった目に、青みがかった銀髪の、長身の男性。パーシヴァル様よりは背が低いが、がっしりとした体躯で、険しい表情もあって白い獅子のような男性。


「私はフレイ・フォン・クロッカクス。この国の王太子だが、可憐なお嬢さん、お名前をお伺いしても?」


 人妻になってもお嬢さんと言われるとは思わなかったが、年齢的にも私はまだお嬢さんだろう。王宮で挙動不審気味なのもあるかもしれない。


 しかし、誤解は解いておかねばならない。私は廊下に膝をついて最敬礼すると、目を伏せて自己紹介をした。本来、貴人への挨拶はこうあるべきで、王妃様が特殊だったに過ぎない。


「はじめまして、王太子殿下。膝を折らずに礼をした無礼をお許しください。パーシヴァル・シャルティの妻、ミモザ・シャルティでございます」


「……パーシヴァル殿の、奥方でしたか。それは失礼しました」


 少し間が空いてから、返答があった。私は立ちあがって、再度目礼をする。


「いえ、こちらが名乗り遅れましたので、お気になさらず。王太子殿下のご健勝をお祈りいたします」


 そう言って立ち去ろうとした私の手を、強くもなく彼は掴んだ。一体何だと言うのだろう。


「ミモザ夫人。どうか、お願いが一つあるのだが」


「はい、何でしょうか?」


 きょとんとして私は尋ねた。初対面の私に頼み事とは、一体何だというのだろうか。


「私の側室になってはくれないか?」


「はい?」


 言葉が耳から入って反対の耳穴からすり抜けて行った気がする。側室。


 貴族の妻が王家の……王太子殿下や国王陛下の側室になることは、おかしな風習ではない。


 だが、パーシヴァル様と結婚したばかりで私はまだ子も設けていない。そもそも、私にはそのような免疫はパーシヴァル様以外に備わっていない。


 頭が言葉を理解すると同時に、顔が真っ赤になってしまった。側室というのは、言うなれば、その、夜の営みを担当する貴族の役割であって。


「も、申し訳ございません、あの、今は、急いでおりまして……」


 即断で断ればいいのだが、私には難しい。この強い王家の目に対抗するには、私の心はまだ弱かった。


 心の中で何度もパーシヴァル様を思い描いて、助けてくださいと呼びかけるものの、当たり前だがこの場に都合よくパーシヴァル様が現れるはずも……。


「お手を、お放しいただけますかな? 王太子殿下」


 都合よく現れた。怒気を含んだ声に、王太子殿下の手が私の腕から離れる。


 私は声のする方に駆け寄って、王太子殿下の顔を見ないようにパーシヴァル様の腕の中に収まった。今更、何を言われたのかを理解してカタカタと震えが走る。


「すみませんが、我が妻は側室には出せません。二度とそのようなお誘いの無いよう、お願いいたします」


「おや、側室を選ぶ権利は陛下と私にはあるはずだが? パーシヴァル殿」


「個人的な問題です。ミモザを貴方に任せる気は毛頭ございません、フレイ殿下」


 私の頭の上で、何やら火花が散っている気がする。


 今日の所は諦めたのは王太子殿下だった。はぁ、と聞こえる程の溜息を吐いて、わかった、と一言告げる。


「今日は諦めよう。そんなに大事ならば、つかず離れず守る方がいいのではないか? あまりに可憐で、手折りたくなるこちらの気持ちも理解してほしい」


「そうですね。私が殿下のお側付きになった暁には、殿下から女性を守るように、仕事をいたしましょう」


「ははは、そうしてくれ。――では、またな。ミモザ嬢」


 私は答えることも振り向くこともできずに、革靴の足音が去って行くのをパーシヴァル様の腕の中で聞いていた。


 泣きそうな顔でパーシヴァル様を見上げると、ほっとしたような顔で私の頬に手を触れたパーシヴァル様が、私の肩を抱く手に力を籠める。


 痛いほどのそれが、今はとても安心できた。

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