1章19話 自分らしく

 ダンジョンは広い。

 グランに連れられた一分間で分からされた。外から見ただけの洞窟のようなダンジョンは狭そうに見えたというのに、中に入って歩き回ってみたら他の転移者にすら会うことすらない。魔物だって同じだ。あの後、ゴブリン一匹すら出会うことがなかった。


「本当に合っているんですか」

「焦るな、十秒もあれば分かる」


 そんなまさかって返そうとした。

 でも、その言葉通りに角を曲がったすぐそこに奴らがいた。見た目が醜く汚臭が漂う小鬼、俺が殺していたゴブリンだ。数は……俺が倒した時よりも少ない二体。これも含めてグランは歩き回っていたのかもしれない。戦えるか分からない人に四対一は危険だからね。


 ただ、ドヤ顔するのは意味が分からない。

 ほらな、俺の勘は当たるんだよと言いたげなグランの顔は何かムカつく。だからといって殴ったり睨んだり出来ないのも少し癪だ。まぁ、確かにゴブリン二体を見つけ出したのは流石だからね。仕方が無いから甘んじて受け入れよう。


「イトウ、後はやってみろ」

「はい」


 グランの指示に従って伊藤さんが前に出る。

 さっきは戦っていいと言ったけど今更になって心配になってきた。こんなことなら俺が羽織っている死神のローブを渡しておくべきだったよ。これ一つあればゴブリン程度の一撃で怪我をすることもないだろう。


「やっぱり」

「イトウの覚悟を無下にするのか」


 前へ出ようとしたけどグランに止められた。

 分かっているけどさ、それでも怪我一つされて欲しくないんだ。何でここまで伊藤さんのことが心配なのか自分でも分からない。だけど、本気で伊藤さんには苦しんで欲しくないと思っている。もしかしたら、グランの話す通り俺は伊藤さんのことが大好きなのかもしれない。どういう気持ちが好意なのかすら分からないから何とも言えないけどさ。


「ショウさん」

「うん?」


 伊藤さんの顔を見る。

 チョイチョイって俺があげた杖を指さして笑っていた。何を言いたいのか分かるけど……それだけで身を守れるとは思えないんだよ。確かに業火の杖はSSRの超レアアイテムだけどさ。それよりもレアなアイテムを貸した方が確実に身を守れると思ってしまうんだ。……貸す時間が取れればの話だけど。


「ギャギャギャ!」

「……気持ちが悪い」


 薄気味悪い笑みを浮かべるゴブリン。

 例に漏れず二体ともが伊藤さんに欲情していた。捕まえて自分達の欲望の捌け口をするつもりなんだろう。伊藤さんもそれに気がついているから表情は強ばっている。少し震えているのは未だにゴブリンに対して恐怖があるからかな。でも、動こうとしないわけでは無さそうだ。


「これもショウさんのため」


 小さな伊藤さんの声が聞こえてきた。

 俺のため……では無いんだけどなぁ。俺は伊藤さんに戦って欲しくないって考えの人だし。ただ内心すごく嬉しいかな。よくドキドキするなんて使い方をされるけど、それに加えて体が熱くなってくる感じがする。


「あの時のように」


 伊藤さんの髪が浮かび始める。

 ゴブリンはそれに動じた様子もなく薄汚い笑みを浮かべたままだ。すごく殺してやりたいって気持ちが湧いてくるが、それは伊藤さんの覚悟を踏みにじる行為だから出来ない。何もしない伊藤さんに遂には欲情に耐えられなくなったゴブリンが向かい始めた。


 短剣を構えておく、嫌な思いはさせない。

 距離はもう触れられる程に近い、それでもなお動かない。いや、もしかしたら動けないのか。さっきまでの伊藤さんを思い出すとそんな気がしてならない。……でも、体を強ばらせたり震えたりしてはいないから大丈夫なはず。


「こっちに来ないで」


 小さな声が聞こえてきた。

 深呼吸、と同時に伊藤さんに触れたゴブリンが距離を取り始める。なぜかはゴブリンを見れば分かった。触れていた手が真っ黒に焦げている。注視すると伊藤さんの周りに蒸気が漂っているのも分かった。恐らくだけど伊藤さんがしたことは攻撃ではなく自分の身を守ることだろう。


 当の伊藤さんは……ああ、そうだよね。

 触れられた後の伊藤さんは震えていた、見間違いでも何でもなくゴブリンを恐れていたんだ。これでも俺はまだ攻撃をしない方がいいのか分からない。ゴブリンのことを詳しく知っているわけじゃないから確証はないけど、考える頭がないと考えるのは浅はかだ。実際、ゴブリンは伊藤さんと距離を詰めることを嫌っている。


 その目は……俺に向いているな。

 このままにしていたら伊藤さんの戦闘ではなく俺との戦いになってしまう。グランに視線を向けてみる。そうだよな、伊藤さんに戦う意思は残っていない。俺からしても十分に頑張ったと思うよ。もう、いいだろ。これ以上は伊藤さんの精神衛生上よくない。


「お前たちはお役御免だ」


 短剣を投げて二体とも殺しておく。

 伊藤さんは……心ここに在らずって感じか。視線が地面に向いたまま動こうとしない。それに熱気が消えそうもないからね。……敵が消えたことも分からないままだと伊藤さんの体が危ない。分からないけど熱気は魔法か何かを応用して出しているんだろう。それならMPを消費し続けているはずだ。仮にMPがゼロになったら……。


「伊藤さん、終わったよ」


 とりあえずは声をかけてみた。

 でも、こっちを見ようとはしない。声で気が付かないならどうすれば……まさか、今の伊藤さんに触れろとでも言うのだろうか。いやいやいや、沸騰したお湯に手を突っ込むような感じだよ。めちゃくちゃに怖いって。


「伊藤さん!」


 駄目だ、大声でも意味が無い。

 触れる……しかないよな。いけるのか? ゴブリンの手を見た後だと近づきたいとさえ思えないんだけど……でも、それで伊藤さんが倒れたら意味が無いんだよな。最悪は……どれを選んだとしても伊藤さんに触れられなければ意味が無い。


「熱っ!」


 分かっていたけどすごく熱い。

 伊藤さんに触れた右手の感覚が一瞬で無くなったんだよ。熱いって思ったら痛くなって、そしてすぐに痒くて痒くてしょうが無くなってくる。それも外側の皮膚が痒いとかじゃなくて内側が痒い。この後に来るのは恐らくだけど無だ。こうして感覚が無くなってくるんだろう。


 そんなこと出来るわけないんだけど。

 回復の短剣を右腕に差し込んで皮膚の再生速度を上げる。そのせいで感覚が消えることはない。けど、熱さと痛み、そして痒みが何度も何度も繰り返されて本当に辛い。地獄で受ける罰もこんな感じなのかもしれないな。これを永遠に繰り返されたら悪いけど感覚があることを後悔する。


 ってか、注視してみると本当に可愛いな。

 近くで見てみると本当に顔の造形が整っているのが分かるな。髪型やメガネとかを変えるだけでクラス一番に可愛いって言われそうだ。こうやって他のことを考えていないと絶対に頭がおかしくなる。腕を取っても気がついてくれない……なら、ええいままよ!


「へ……?」

「やっと気がついてくれた」


 何だっけか、少し前に流行ったアレ。

 顎クイとかいう世界で一番に要らない存在をやってしまう事になるとは……いや、恥ずかしさと伊藤さんの体や俺の感覚を天秤にかけられるわけもないか。というか、触れてみて分かったけど体よりも伊藤さんの顔が一番に熱いな。


「あの……」

「大丈夫、もう敵は死んだよ」

「……違います……手、放してください」


 手……ああ、そっか。

 恥ずかしさばっかりが先行して顔に付けた手を離すのを忘れていた。ここまでしないと目を覚ましてくれないとはいえ、気を取り戻した後でもやり続けるには好感度が足りなさ過ぎる。熱が冷めてきたおかげで感じられた柔らかさとかが名残惜しいけど……仕方が無い。


「そこまでいってやるな。暴走していたイトウを助けるためにショウが動いたんだぞ」

「……知っていても恥ずかしいものは恥ずかしいんです」

「ごめんごめん、次からは気を付けるよ」


 やらないとは言っていないからね。

 こういうことで役得感を得られなければ御褒美は無いんだから。いや、伊藤さんを救えるという御褒美はあるにはあるけど、辛さと引き換えに得られるものがないからね。やっぱり男ならお金よりもロマンの方が欲しいよ。仲良くなって伊藤さんの良いところを引き立てられるような服装とかをさせたいからさ。……あ、でも、人前ではさせたくはないかもしれないな。新島みたいな人を欲情させかねない。


「お疲れ様、体調はどう」

「……ショウさんに触れられて良くなりました」


 俺を気遣って言ってくれたのかな。

 嘘でも……うんうん、顔が触れること以上に笑って返してくれる方が嬉しいな。こんな言い方をしたのは触れられたことが嫌だったわけではないって伝えたかったからだろうし。人と触れ合うことが少ないって言っていたから良い言い方が見つからなかったんだと思う。おっと。


「嘘は良くないよ」

「……ふふ、隠しきれませんでした」


 反応が送れなくて本当に良かった。

 相当、無理をしていたみたいでフラっと倒れそうになっていたし。俺の体で支えてあげたんだけど、これはさすがに不可抗力だよな。こうでもしないと咄嗟に倒れないようにするのは難しいだろうからさ。


「これは典型的な魔力枯渇だな。慣れていない状態で多く魔力を使い過ぎたんだ」

「……これって途中で休んだり出来ますか。もしくは帰れるとありがたいです。こんな場所で休ませるなんて出来ませんから」

「任せろ、そこも含めて全員に説明したかったことがあったからな。早めに帰ることくらいなら何とかなる」


 それはすごく助かる。

 このまま伊藤さんを連れていくのは酷だからね。そもそも俺が反対だった一番の理由が無理やり戦わせることが嫌いだったからだし。グランの言葉ももっともだし伊藤さんの焦りも分かる。だが、連れてこられて一日足らずで命の奪い合いを体験させる道理はない。怖がって当然なんだ。


「私、口だけでしたね」

「いいと思うよ。怖いものを簡単に慣れることは出来ないからね。ゆっくり慣れていけばいいだけだからさ」


 ああ、覚えていたんだね。

 てっきり意識も何もないと思っていたんだけど。まぁ、ただ俺からしたら口だけでも勇気を出せたことが一番に重要だと考えているからさ。気にする事はないと思うんだけどね。何なら戦う意思を示しただけでも十分な進展だよ。こういう時にやってはいけないことが冷静さを欠いたり無理をすることだ。


「もう少しだけ甘えさせてもらいます」

「お兄ちゃんだと思っていっぱい甘えて」

「ふふ、そうします」


 ちょっとだけ寄りかかる力が強くなった。

 抱きしめようかと思ったけど……まぁ、それはセクハラになりかねないからね。踏ん張ってやめておいたよ。ただ移動が辛そうだから腕を肩にかけて運ばせてもらった。恥ずかしそうにしていたけど「甘えます」って言っていたから間違ってはいないんだろう。


「私も強くならないと」


 小さな声が聞こえた。

 何か言葉をかけようか悩んだけどやめたよ。今は勝手に進んでいるグランを追うべきだからね。これを失敗だと考えて気に病まないで欲しいかな。そこは……俺が何とかするしかないか。元からそのつもりだったんだ。何も変わらない。

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