クレイフィザ・スタイル ―サンディ―

一枝 唯

第1話 法律より大事なもの

 静かに開いたオートドアに、青年は振り返った。


「どうだい、調子は」


 入ってきたのは四十前後と見える、眼鏡をかけた男だった。肩より長い暗茶色の髪をきちんとまとめ、白衣を着ている。


 部屋にいた二十代後半から三十前と見える青年も白衣姿だったが、だいぶ雰囲気は違う。青年が技術者に見えるのに対して、新来者は医者のように感じられた。


「まだまだこれからですよ、マスター」


 黒髪に黒い瞳をした青年は、「東洋系」と言われる顔立ちをしていた。彼は座ったままで敬礼の真似をしてウィンクし、マスターと呼ばれた男はうなずいた。


「とりあえず丸ごとサーチしてますけどね、ところどころでおかしなロックがかかってます。『何もしてない』のにこんなふうになるはずがない。絶対に何か、とんでもない真似をしたんですよ、あいつ」


「そうかもしれないが、そうじゃないかもしれない」


 相手は肩をすくめた。


「『何もしていないのに異常が発生した』。それは確かに、よくある言い訳だ。だが客を相手に『嘘をつきましたね』と糾弾する訳にはいかないのが商売というものだね」


「何をしたか判れば、原因の特定も早いんですがねえ。こちとら、怒ったり罰を与えたりする訳じゃないんだから、素直に言えばいいのに」


「そうだね。でもごまかしているのではなく、本当に心から『何もしていない』と思っている場合もある。あの客人はいろいろ隠しごとをしているが、そう言ったときは正直に語っているように見えたよ」


「まあ、マスターがそう言うなら、そうなんでしょうね」


 言うと青年は、ヴァーチャル・ディスプレイに向かった。


「見てください。ここと、ここ。明らかに異常値だ」


「そうだね」


 青年の指し示す箇所を見て、マスターはまた同意の言葉を発すると、うなずいた。


「成程」


「え?」


「いいや」


 何でもないと彼は首を振った。


「引き続き頼むよ、アカシ。とりあえずは原因の特定まででいい」


「難しいこと言いますね」


 顔をしかめ、アカシはマスターを見上げた。


「『どこが異常だ』と『どうして異常が起きたか』は、違うでしょう」


「もちろん、違うね」


「……はいはい」


 彼は天を仰いだ。


「原因なんて。ヴァリエーションありすぎますよ」


「最も近いと思われるものをピックアップしてくれればいい」


「それは『エラーを捏造しろ』って意味ですか、マスター?」


「まさか」


 男は首を振った。


「ないものを作り出してまで客から金をむしり取りはしないよ。そんなのは詐欺じゃないか」


「違法行為なんていまさらでしょ」


「法律より大事なものを知っているかい、アカシ」


 眼鏡の位置を直しながら、彼は尋ねた。


「……いろいろありますでしょうがね。マスターの正解は、何です」



 さらりと〈クレイフィザ〉の店主は答えた。

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