第86話

 上ノ国から帰ってきて一晩すると、今までの疲れがでたのか紫苑は三日ほど寝込んでしまった。


「紫苑様、お加減はいかがですか?」


未だに上ノ国から帰らない月天の代わりに紫苑は夢幻楼の月天の自室を使わせてもらっている。


寝台に横になったままの紫苑の様子を見にきた黄金に声をかけられて何とか上半身を起こすと黄金の後ろには珍しく双子の姿があった。


「ようやく起き上がれるようになったんだ、本当に人間はか弱い」


極夜は相変わらずの憎まれ口を叩くが、その手にはお見舞いの果物がありその天邪鬼っぷりに思わず笑みが溢れる。


「紫苑様、失礼します」


白夜はそんな極夜を無視して紫苑のそばまで来ると、紫苑の右手を掴み手首のあたりに手を添える。


白夜は妖狐の中でも貴重な医術を扱える者らしく、紫苑が寝込んでからと言うものこうして来ては体の調子を診てくれている。


「……ほとんど気の調律は戻ったようですね。今回の倒れられた原因は疲労はあるでしょうが、人の身で長く上ノ国に滞在しすぎたことも原因だと思います」


「そういえば、上ノ国に入ると何だかすごく空気が軽く感じたんですが」


「上ノ国は下の里とは違い、空気を構成する気の割合が違いますので。下の里は妖気や人間の生気などの気と呼ばれるものが大半を占めいていますが、上ノ国の妖狐の里は神気と妖気が半々となっています。普通の人間であれば五分と持たずに失神してしまうほどです」


「え、それじゃ何故私は大丈夫だったんですか?」


「それは私たち双子が術をかけていたこともありますが、一番の原因は紫苑様が神人の血を受け継いでいるからでしょう。神人は神に愛された人ならざる人ですから。神気の影響を受けにくくなります」


紫苑は今までも何度か出てきた神人と言う言葉が気になり、白夜に続けて聞こうとするが、それは軽食の支度をして戻ってきた黄金によって遮られてしまった。


「紫苑様、極夜様が持ってきてくださいました果物と白湯をご用意しました。少し召し上がれそうですか?」


気づけばしばらくまともな食事をとっていなかったせいか、美味しそうに盛り付けされた果物を見るとお腹が減ってきた。


差し入れを食べていると、双子から今後のことについて簡単に説明される。


今回の件は表向きは天神祭のための援助として妖狐の里より術者を派遣するとなっているが、内情は天神の行方探しと妖狐の一族内に燻る火種を抑えるための処置ということだった。


今回の一件で妖狐の一族の内部にも月天に強く反発する一派があることは明るみになった。


しかもその手引きをしている一人にあの黒子もいると考えられる。そうなると、なんの正式な身分もない紫苑をこのままここに置いておくよりは中立の立場でどこの里からの影響も受けない妖猫の屋敷に滞在させた方が安全と月天が判断したようだ。


紫苑としては、紅のことも気がかりだったので今回の話は渡に船と言っても良いだろう。


紫苑があらかた話を聞き終えると、後は紫苑の体調が戻り次第天神祭についての講義や、最低限の身を守る術に関する講義を行うことが決まり双子は部屋を後にした。


双子が帰り、黄金と二人きりになると今まで聞いたことがなかった月天について聞いてみる。


「黄金、月天様って今まで独身だったって言うけど一度も婚約者とかいたことはないの?」


黄金は思いもよらない質問だったのか、少し驚いてから紫苑が月天に興味を持ったことが嬉しいのか饒舌に色々と教えてくれる。


「正式な婚約者は今まで一度もいたことはございませんね、ただ、婚約者候補として妖狐内の有力貴族の家柄から数名屋敷に侍女として登楼していた者はおりました」


心のどこかで覚悟はしていたが、改めて黄金の口から聞くと知らず知らずのうちに胸のあたりがズンっと重くなるのを感じる。


「その婚約者候補の方は今はどうされているんですか?」


「どのお嬢様も月天様と直に会うことなく屋敷から下げられました。月天様は昔から自分の隣に立つのは紫苑様だけとお決めになられていましたので」


内心ほっとしつつも、そこまで自分のことを一途に想ってくれる月天に対して自分は何も過去の思い出を覚えていないことに罪悪感を感じてしまう。


紫苑が考え込んでいると、黄金は何かを察したのか食器を乗せた盆を持つと紫苑に優しく微笑んでから部屋を出て行った。


◇◇◇


 紫苑の体調が戻ると天神祭に向けての講義が朝から晩までびっちりと入れられた。


講義を受ける中で分かったのは、天神とは各異界を繋ぐ夜市の均衡を保つために捧げられた人柱だと言うことだ。


魂の巡りを持つ人間を天神として置くことで、夜市の中に溜まる色々なモノを常に巡らせるのだと言う。


紫苑が住んでいた夜鳴村にも昔は人柱として若い娘を捧げる風習があったと聞く。


紫苑は天神として夜市に封じられている人物のことを思うと何とも言えない気持ちになる。


講義が終わると、ちょうど頃合いを見計らったように黄金が部屋に顔を出す。


「紫苑様、本日の夜に月天様がこちらにいらっしゃるようです」


いつもより上機嫌でそう言うと、黄金は手慣れた手つきで紫苑のためのお茶を準備する。


「もう、上ノ国のお屋敷の方は大丈夫なんでしょうか?」


黄金が紫苑の前にお茶の準備をしながら、ここ最近上ノ国であったことを教えてくれる。


「今回の件は全て月天様がしっかりと処分されました。旧派閥の筆頭である縁様は今回の件とは無関係であることは分かりましたが、大変責任感のお強い方ですので勤労奉仕を自ら申し出されたそうです」


「勤労奉仕ってそんなに重要なことなんですか?」


「はい、勤労奉仕を自ら申し出ると言うことは実質、縁様の家門が月天様の元に降ったという意味を持ちます。これで妖狐の一族内の派閥争いは月天様側に大きく有利になったといえます」


「そうなんですね……それで月天様はいつ頃こちらに来られるんでしょうか?」


「あと数刻もしないうちにこちらに参られると思いますよ。久々の再会です、私は廊下に控えておりますのでお二人でお過ごしくださいね」


黄金の言葉で思わず飲んでいたお茶でむせ返りそうになるが、ここで何を言っても勝てる気がしない。


紫苑は曖昧な笑みを浮かべ返すことしかできなかった。









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