第84話

 上役会が終わり身支度を整えると、休む間もなく双子に連れられ月天の居室へと向かう。


双子の部屋がある離れと違い母屋には常に多くの者たちが働いており、これだけ多くの者たちを従えている月天はやはり自分とは違い遠い世界の人物のように感じてしまう。


極夜にかけてもらった術のおかげで月天の部屋へ行くまでの間に騒ぎになるようなことは無かったが、すれ違った者の中には訝しげに紫苑の方を見てくる者も居たのでこの方法はもう使わない方がいいのかもしれない。


そんなことを考えていたらいつの間にか月天の部屋の前についていたようで、極夜と白夜が入室の許可をとっていた。


「月天様、白夜と極夜でございます。紫苑様をお連れいたしました」


「……入れ」


 いつもよりも低い声で返され、紫苑は思わず肩に力が入ってしまう。

歓迎されるとは思っていなかったが、実際にこうも冷ややかな声を聞いてしまうと心がきゅっと締め付けられるような気持ちになる。


双子に案内されて部屋の内に入ると、そこは夢幻楼の部屋がちっぽけに感じるほど広く調度品もどれも見たことがないくらいに素晴らしいものが揃えられていた。


奥の部屋に通されるとそこにはすでに琥珀とその側近である燈惚が座っており、月天は二人を冷めた目で見ている。


「あ!やっときた〜、さっきはどうなるかと思ったけど上手くいって良かったね」


琥珀は目の前に不機嫌そうに座る月天を気にする様子もなく、紫苑たちに手招きして座るように促す。


紫苑たちは月天の手前、勝手に座ってもいいのだろうかと困っているとようやく月天から座ることを許してもらえた。


「まあまあ、こうして話はついたんだからいつまでも怒ってないで機嫌なおしなよ!」


琥珀が軽々しい口調でそういうと、それとは反対にひどく重苦しい声色で言葉が返ってくる。


「今日は訪問の予定はなかったはずだ、なぜ貴様が我が屋敷に来た?それも下の里の夢幻楼にいるはずの双子を伴って」


流石にまずいと思ったのか、琥珀は苦笑いを浮かべると隠すことなく今日あった出来事を教える。


「つまり、偶然双子と会い、上役会のことを知りわざわざ面倒な証人にまでなったということか。それはそれは、私はどうやら思い違いをしていたようだな。妖猫の当主は白桜のこともこの件の事も承知でずっと動いていたと思っていた」


琥珀を見つめる月天の瞳には一切の感情が伺えず、ひりついた部屋の空気からも月天が今までにないほどに怒っているのを感じる。


流石にこれ以上はぐらかせば月天の逆鱗に触れると判断したのか、琥珀はやれやれと小さくため息をついて話し始める。


「まあ、白桜さんのことや今日の上役会のことは知ってはいたけど、今回の一連の出来事に妖猫の一族は絡んでないからね!今日来たのだって、本当に天神祭のことで話したいことがあったからだよ」


「ふん、あくまで中立の立場だと言い張るか……。まあいい、今日のことが他の一族に知られれば妖猫の一族の立場は中立の位置から動くことになるのでは?」


「流石にそこまで俺も馬鹿じゃないよ!……それじゃあ早速本題に入らせてもらおうかな!天神祭の警護責任者としてそこの彼女を派遣してほしい」


琥珀の放った言葉でその場が文字通り凍りついた。


先ほどまでの初夏らしい蝉の鳴き声や気持ちのいい爽やかな風が一変し、蝉の声は止み、青かった空にはどんよりとした曇天がかかり始める。


「その話は双子と縁を責任者として送ることとなっていたはずだが?」


答え次第ではこの場で争うことも厭わないとでも言いたげに月天は不敵な笑みを浮かべる。


「月天がそこの娘にご執心なのは知っているけど、こっちも引けない理由があってね。ちょうどこの場に双子も揃ってるから話しちゃうけど……夜市を治めている天神が姿を消した」


その言葉は今日話したどの話よりも衝撃的だったらしく、月天ですらほんの一瞬瞳を丸くした。


「天神が姿を消したとは、ならば今の夜市はどうなっている?」


「天神が消えたと言っても夜市のどこかには居るようで、まだ大きな事件は起きてない。けど、この状況もいつまで持つかもわからない。……ここまで言えば分かるだろ?なぜ俺がその娘を天神祭に寄越せって言ってるのか」


「ふふふ、なるほどな。だからこそ、先程の場で面倒な証人をかって出たわけか。一連の事件に関係のある紫苑を今回の責任をとる形で中立の立場である妖猫の一族へ預ければ、妖狐の一族はもちろん、他の一族も今回の対応全てに納得がいく。が、もしこのまま預けずに私の意思を貫けば、一族内だけではなく、他の一族からも反感が出よう。まんまとやられたな……なあ?白夜、極夜」


話を聞いていた双子もまんまと琥珀の策略に嵌ってしまったことを悟り無言ながらも険しい表情をする。


肝心の紫苑はと言うと、とりあえず天神祭の責任者として紫苑が行くか行かないかの話をしているのは分かるのだが、なぜ私でなければならないのか全く分からない。


このまま黙っていても自分を置き去りにして話が進みそうと判断し、思い切って口を開く。


「あ、あの!なぜ天神さんが姿を消したら私が行かないとならないんでしょうか?」


ようやく口を開いた紫苑の方を見ると琥珀は人懐っこい表情を浮かべて天神について教えてくれた。


天神とは夜市を治める管理人のような者で、天神がいることで夜市の均衡は保たれているらしい。


さらに、その天神と言う者は何らかの理由でこの幽世に迷い込んだ人の子であり妖では変えは効かないと言うことらしい。


「え、それって私に天神の代わりをしろってことですか?」


話を聞く限り、自分をどうしても天神祭に寄越せと言う理由はそれくらいしか考え付かない。


紫苑が不安を感じ思わず月天の方を見ると、月天の瞳と視線が交わる。


不安げに揺れる紫苑の瞳を見て、流石の月天も多少の罪悪感を感じたのか、月天は先ほどまでの刺々しい妖気をおさめると、短く息をついて琥珀に話の続きをするよう促す。


「紫苑ちゃん、君にお願いしたいのは隠れた天神を見つけて元のお役目に戻すことなんだ。当代の天神は妖怪嫌いでね、同じ人の子じゃないと話すら聞いてくれないんだ」


「けれど、急にそんなこと言われても私はしがない普通の人の子です。夜市に入って天神さんを見つけるなんてできるでしょうか?」


「もちろん、その辺りは安心して!きちんと手助けできる者を付けるし、何よりこの件を引き受けてくれれば君と同じ幻灯楼にいた紅のためにもなるよ」


そう言って微笑んだ琥珀の瞳を見て初めて紫苑は背筋に薄寒いものを感じる。


知らぬ間に紫苑の周りを一つ一つ気付かれぬように準備を進めて、今日この時こそ獲物を狩る機会とばかりに本性を垣間見せる。


人の良い笑みを浮かべていても目の前にいるこの人物も月天と肩を並べる大妖怪の一人、紫苑に選択する権利を与えているようで実際は拒否権など無いも等しいのだ。


紫苑が全てを察して言葉を失っていると、ようやく月天が紫苑に声をかけた。


「紫苑、君はどうしたい?君が嫌なら断って構わない」


先ほどまでの怒りなど微塵も感じさせないようないつも通りの優しい声でそう言うと、それを聞いていた琥珀と燈惚は顔を見合わせて驚く。


紫苑はそんな様子すら目に入らないようで、じっと正座した自分の膝の上で握ったままの両手を見つめる。


ここでこの申し出を断れば間違いなく、月天の立場は苦しいものとなるだろう。


それに紅もだ……夢幻楼で過ごした数日ですらひどく孤独に感じたのに、紅はこのままだと一生妖猫の屋敷で独り寂しくひっそりと過ごさなければならなくなるのだ。


 この幽世に来てから二ヶ月は経とうとしている、これまであった色々なことを思い出すと自然と答えは決まっていた。


「そのお話、お引き受けします」











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