第77話

 「紫苑、私は様子を見てくるからこの部屋から出ちゃだめよ?」

母はそういうと、紫苑を残して部屋を出ていってしまった。


紫苑がこのままこの部屋にいるべきか、騒ぎのあった方へ言ってみるべきか悩んでいると、がたりと小さく音を立てて天井から二つの影が降ってきた。


驚いて声を出そうとすると、その影の一人に素早く口を覆われてしまう。


「紫苑様、お静かに」


影の正体は白夜と極夜だった。


二人はいつも着ている水干姿ではなく、まるで忍びのような真っ黒な装束に身を包んでいる。


「これよりこの夢からの帰り道をご案内します。決して大きな声を出さないように」


紫苑の正面に素早く駆け寄った白夜に頷き返すと、自分の後ろから口を押さえていた極夜の手が離れる。


ちらりと後ろを見ると、極夜の冷たい視線とかち合う。


紫苑が声をかけようとするよりも早く、白夜に手を引かれ紫苑は慌てて立ち上がり白夜の後に続く。


「紫苑様、詳しい説明はここを出てからいたします。とにかく私から離れぬように」


紫苑は無言で頷くと、身を潜ませながら屋敷の中をどんどん進んでいく白夜の後ろに続いた。


双子と最後に会ったのがあのような形だったので何となく気まずい気持ちがあったが、こうして助けにやってきてくれたことで紫苑は感謝と少しの嬉しさを感じる。


双子は口こそ悪いが、紫苑が夢幻楼に連れられて気を落としていると何かと気を使って話し相手になってくれたり色々なものを差し入れしてくれていた。


紫苑にとってそれはすごく嬉しいことで、見た目の年齢も近いことから友人の様にさえ思えていた。


 屋敷を出るまでに何人かの屋敷の召使いらしき者達を見かけたが、その誰もが男で不思議と屋敷の中では一人も女中の姿をみることはなかった。


白夜の手に引かれ屋敷の裏手にある小山を登り切るとそこには何度も夢に出てきた七つの朱い鳥居が連なる小さな神社が見える。


「あの鳥居をくぐれば夢から覚めることができます。最後の鳥居をくぐるまで絶対に後ろは振り向かないでください」


白夜はそういうと、紫苑の返事も待たずに七連鳥居を目指して足早に進み出す。


「あの!極夜さんは?」


いつもなら双子は常に紫苑を挟むように隣り合わせで立つことが多いのに今日は白夜が先を行き、極夜は何かを警戒するようにかなり後方にいる。


半ば引きづられる様な形で白夜に引かれていると、急に後ろの方から金属同士がぶつかり合うような甲高い音が響く。


紫苑がいきなりの事に驚いて後ろを振り返ろうとするが、それは白夜の怒鳴り声で止められる。


「決して後ろは振り向かないでください!」


「けど、後ろには極夜さんが」


「構いません。月天様には紫苑様を無事にこの夢からお連れすることだけを命令されました」


白夜がそう言って強い力で紫苑を第二の鳥居の方へどんどん引っ張っていくが、紫苑の後ろからは止む事なく刀がぶつかり合う音と極夜のものらしき荒い息遣いが聞こえてくる。


「白夜さん!極夜さんは何と戦っているんですか!」


自分の背後に迫る不気味な気配とそれをどうにかして遮ろうとする極夜の気配が気になり力を込めて白夜の手を引く。


「あれはこの夢の門番の様なモノです。術者の案内なしでこの出口を使う者を殺そうとする」


「じゃあ!」


紫苑が言うよりも早く白夜は続ける。


「誰かが門番の足止めをせねば無事にこの夢を出ることは叶いません。極夜も承知で来ています。極夜のことを思うならば一刻も早くこの夢から出ることを考えてください」


白夜が再び紫苑の手を引き第三の鳥居を潜ろうとすると、紫苑はその場に立ち止まり白夜の手を振り払う。


「極夜さんを犠牲にするなんて私は認められません!きっと三人で協力すればみんなで無事に」


「いい加減にしてください!貴方は月天様のことだけを考えていればいいんだ!他所の誰かを気にかけるなどやめてください!」


初めてみる白夜の怒りを含んだ表情に驚いて言葉を失うが、すぐにぐっと歯を食い縛ると自分を見つめる白夜に言い返す。


「私が誰を気にかけて誰の心配をするかは自分で決めます!私が心配なら付いてきたらいいんです!」


紫苑はそう言って振り返ると、背後で極夜へと襲いかかる黒くどろどろとしたいくつもの人形に向けて精一杯の対魔の術をとばす。


紫苑の術によって極夜に迫るいくつかの人形が地へと溶ける様にして消えると、極夜はちらりと紫苑と白夜の方を見て声を荒げた。


「早く行け!!僕の命を無駄にする気か!」


「極夜さんを置いてなんて行けません!私を無事に返したいなら早くこちらにきてください!」


紫苑が負けじと大きな声でそういうと、紫苑の背後からいくつもの呪符が飛んでいく。


呪符は敵に張り付くと、勢いよく燃え上がり先ほどまで極夜の周りを囲んでいた黒い影は炎の明かりに照らし出されておぞましい声をあげて消えていく。


「極夜!急げ!札の力はそう長くは持たない!」


白夜が言うと極夜は何か言いたそうな口を噤み、相手を薙ぎ払い紫苑たちの元へ駆け寄る。


「紫苑様!早く!」


極夜がこちらに向かうのを確認すると白夜は紫苑の体を抱き上げると、素早い動きで第七の鳥居を目指し駆け抜ける。


白夜に抱き抱えられながら背後を見ると、極夜もすぐ側まで来ておりその背後には先ほどの黒い影たちがひしめき合って追いかけていくる。


「紫苑様!くぐります!」


白夜の言葉とほとんど同時に紫苑はすぐ側まで来ていた極夜の手を掴み力一杯に引っ張った。


極夜の手を強く掴んだと思ったら急激な浮遊感に襲われ、目を開くのも躊躇われるような眩しい光に包まれる。


強く目を瞑ると段々と光が弱り、紫苑は恐る恐る瞳を開ける。


目を開けると、そこは月天の部屋の一室で眠る前に横になっていたソファで横になっていた。


眠る前と違うのは、紫苑の体にはじっとりとした嫌な汗がまとわりついていて、自分のすぐ横には双子の体が横になっていることだ。


夢の中のことを思い出して慌てて横に眠る双子を起こそうと身を起こすと、近くにいた黄金に止められる。


「紫苑様!そのままお動きになりませんように。糸が切れてしまいます」


黄金にそう言われて自分の小指を見ると、朱い毛糸ほどの紐が双子の指と結ばれていた。


糸はしばらくすると朧げになり、跡形もなく消えてしまった。


糸が消えると双子もゆっくりと目を覚ます。


双子が無事に目を覚ましたのを確認すると黄金はすぐに月天へと連絡を送る。


「良かった!二人とも無事で」


紫苑が身を起こして紫苑の方を見ている双子に駆け寄ると、勢いよく二人を抱きしめる。


「なっ!」


勢いよく抱きしめられて目を見開いたまま動かない白夜と、同じく目を大きく開いて言葉にならない言葉をぱくぱくと口にしている極夜が身を硬くして紫苑になされるがままになっている。


「もう二度と自分を犠牲にしようとしないでください!」


紫苑が涙ぐみながら二人を強く抱きしめていると、地を這うような低い声が背後からかけられる。


「ほぅ。私がいない間に随分と仲が良くなったようだな」


双子を抱きしめていた手を離し振り返ると、にこやかな笑みを浮かべながらもどこか背後にどす黒い雰囲気を纏う月天の姿があった。


「紫苑、こちらにおいで」


月天が猫撫で声で紫苑を呼ぶが、紫苑は顔を横に振って月天のそばに行くことを拒否する。


紫苑の態度を見て月天の纏う妖気はみるみる刺々しいものへと変わる。


「紫苑、あまり我儘を言うものじゃないよ。私がどれだけ心配したと思ってるんだい?」


苦笑いを浮かべて手を紫苑の方へ伸ばすと紫苑は月天の瞳を真っ直ぐ見つめる。


「月天様、お願いです。もう二度と白夜さんと極夜さんにあんな危ない真似はさせないでください」


「紫苑様……」


白夜が慌てて紫苑を諌めようとするも、それは月天のひと睨みによって遮られる。


「紫苑はやっと目覚めたと思えば双子のことばかり、私がどれほど心を砕いていたかなどどうでもいいのだな……」


悲しげな表情でそう言うと月天は乙女のように両手を胸の前で握りしめ、ほろりと涙を流す。


(((絶対嘘泣きだ)))


その様子を見ていた双子と黄金は月天のその様を見て、どこか遠いところを見るようななんとも言えない表情を浮かべる。


しかし、そんな嘘泣きに騙される幼気な人間が一人。


紫苑は月天の涙を見ると慌てて近寄り、その綺麗な頬の上を滑り落ちる涙を拭う。


「ごめんなさい、そんなつもりじゃ。けど、私のために誰かを犠牲にするのはやめて欲しいです」


紫苑が月天の様子を伺うようにして上目遣いでそう言うと、月天は優しく笑い分ったと返す。


そのまま紫苑を抱きしめ紫苑の頭を優しく撫でる。


さりげに紫苑の後頭部に手を優しく回し、振り向けないようにした隙に月天は底冷えのする様な冷たい目をして自分をみる双子に「さ っ さ っ と 行 け」と口だけ動かす。


月天の意思をすぐさま察した双子は、ぴんっと背筋を伸ばし慌てて部屋を出て行こうとする。


そろりそろりと気配を薄くして部屋を後にしようとする双子に紫苑が気がつくと、慌てて双子に話しかける。


「極夜さんも白夜さんも大丈夫なんですか?夢の中でかなり妖力を使ってしまったのでは?」


自分の体をがっちり抱き抱えたままの月天をそっちのけでそう言うと、月天の機嫌は急降下する。


「紫苑、先ほどからなぜそんなにも双子を気にかける?」


月天にいつもより低い声でそう問いかけられると、紫苑はきょとんとした表情を浮かべて何を言っているのかと言う調子で答える。


「友人を心配するのは当たり前のことです!」


紫苑の返答は誰もが予期しないもので、部屋の中に不思議な沈黙が漂う。


月天が僅かに眉根を寄せたのを察知し、黄金が慌てて双子の背中を押して部屋の出口へと押しやる。


「まあまあ、お二人ともお疲れでしょうから今日は早めにお休みしたほうがいいですね!」


なぜだか焦ったようにして双子を部屋から追い出す黄金を紫苑は不思議そうに見つめていた。

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