第76話

 黒子に白桜達を送るよう伝え月天はすぐさま術を使い紫苑を囲っている自室へと向かった。


自室の扉の前に立つと、部屋の中から僅かだが白桜の残り香が漂って来る。


いつもであれば声をかけてから入室するところだが、居ても立っても居られず月天は荒々しく扉を跳ね開け部屋の中の紫苑の姿を探す。


「紫苑!何処にいる!」


今まで見たことがないほど焦った表情をしながら紫苑の姿を探す月天を見て黄金はこれほどまでに月天にとって紫苑という存在が大切なモノなのかと驚きを隠せなかった。


月天がずかずかと部屋に置かれている三人は掛けられそうな大きなソファの所まで行くと、ぐっすりと寝入っている紫苑の姿を見つける。


「紫苑!起きろ!紫苑!」


月天はいつもより強く紫苑の体を揺さぶり起こそうとするが、紫苑は一向に起きる気配がない。


黄金はその様子を見て、おずおずと事情を説明する。


「月天様、申し訳ありません。つい一刻ほど前まではこちらで本を読まれていたのですが、先ほどこちらにきた時にはもうお眠りになられていて……何をしても起きる様子がないため月天様をお呼びしました」


いくら月天に声をかけられようとも起きる気配がない紫苑を見て、月天は小さく舌打ちをする。


「人とは本当に脆い。やはり早く本性を目覚めさせるべきだったか……」


月天が苛立ちながらそう小さく呟くと、すぐに黄金に自室で謹慎中の双子をここに連れてくるように指示を出す。


「黄金、白夜と極夜の元へ行って二人を急いで連れてこい」


黄金はすぐに頷くと部屋を出て双子の元へと向かった。


白桜が紫苑にかけた夢渡りの術は鬼の一族が得意とする術の一つだ。本来であれば近しい間柄などでなければそう易々と夢に入り込むことはできないのだが、白桜はああ見えて神格持ち。


月天の屋敷の中でも僅かな時間であれば無防備な人間の夢の中に入り込むなど雑作もない事なのだろう。


しかし、力を持つ妖ならばまだ良いがなんの力もない人間に白桜のような大妖が夢渡りを使うなど正気の沙汰とは思えない。


夢渡りを受けた者は、術者に帰り道を聞かなければ夢の中から出られずにいつまでもそのまま偽りの夢の中を彷徨うことになる。


白桜のあの態度からして、紫苑に夢からの帰り道を教えたとは考えにくい。妖であれば飲まず食わずでもすぐに衰えることはないが、人間の娘となると急いで夢の中から出さねばそのまま衰弱して命さえも危うい。


月天は眠ったままの紫苑の額にそっと手をかざすと、術を使おうとするがバチッ!と大きな音を立てて月天の術は弾かれてしまう。


(やはり今の私では無理か……)


苛立たしげに弾かれた己の手を見てから月天はそのまま紫苑の髪をさらりと撫でる。すると丁度、双子を伴って黄金が部屋へと戻ってきた。


双子はすぐに月天の側まで寄り跪拝の姿勢をとると、心得たとばかりに許可を取りすぐに術の準備に取り掛かる。


「あの白桜のことだ、紫苑はきっと鬼の屋敷の中に閉じ込められているのだろう。くれぐれも油断などせぬように……分かっていると思うが、自分の命よりも紫苑の命を優先しろ」


『御意』


双子は深く頷くとソファで眠いている紫苑の小指に特殊な術によって編まれた赤い紐を結びつけ、それぞれの小指と繋ぐ。


「それでは後のことはよろしくお願いします」


白夜が側に控える黄金にそういうと、極夜と白夜は互いの片手をそれぞれ合わせ印を組み紫苑が囚われる夢の中へと入っていった。


 術が発動すると、双子の身体はその場にどさりと倒れ込みピクリとも動かなくなる。


その様子を見た黄金はすぐに極夜と白夜の体を紫苑の近くに横たえると、その様子を眺めていた月天の方を見やる。


「この後は私が付いておりますので、月天様はどうぞお休みください」


いつも通りの冷淡な表情に戻った月天にそういうと、月天は視線だけで答えそのまま部屋を出ていく。


部屋に残された黄金は月天の気配が完全に遠のくのを確認し、思わず安堵の息を漏らす。


「どうか早く紫苑様をお連れください……いくら私と言えどもあの様に妖気を昂らせた月天様のお世話をするのは酷というものです」


黄金の呟きは暗く静まり返った部屋の中に溶けていった。


◇◇◇


 突風で目を思わず瞑ってしまうとその一瞬で白桜の姿は掻き消え、気付けば広い部屋の中に一人佇んでいた。


夢と分かっていてもあまりにも感じる音や触感などが生々しく、これは本当に夢なのかと疑ってしまうほどだ。


辺りを見回すと、どうやらここは自分が幼い頃に過ごした鬼の屋敷の自室だと気づく。


眠りこける前に読んでいた母の日記の中に紫苑の部屋には赤い鞠がいくつも置かれていて、それで遊ぶのがお気に入りだと書かれていたからだ。


 部屋の隅に置かれた大小いくつもの鞠の一つをおもむろに手に取ってみると、不思議と懐かしい気分になる。


所々朧げではあるが、母と過ごした昔の記憶を思い出しつつあるが自分と母、それに白桜以外との記憶は未だに思い出せないままだ。


紫苑が鞠をトントンとついていると、部屋と廊下を隔てる襖を開けて母らしき女性が部屋へと入ってきた。


一瞬誰かと思ったが、雰囲気からして若い頃の母だろう。それにしても、この夢は変だ。自分の知らない若い頃の母や白桜の姿までこうしてはっきりとみることができるのだがら。


目の前の母は紫苑の元まで近づいてくると、また鞠で遊んでいたの?と微笑み紫苑の頭を優しく撫でてくれる。


今の自分の姿は十五歳のままだ。それなのに母は気にすることもなく幼い子供をあやす様に紫苑に接してくる。


「あの……」


紫苑があまりの異様さに恐る恐る母に言葉をかけると、母は何を勘違いしたのかもうそんな時間なのね、と言って再び紫苑を置いて部屋の外へと出ていってしまった。


これは絶対にただの夢ではない。


きっと誰かの術の中に囚われてしまったのではないかと紫苑は思い至ると、夢の最初に出てきた白桜のことを思い出す。


 あの時の白桜の姿……記憶の中の登場人物ならば、もっと幼かったはずだ。それなのに白桜の姿は成人の姿のままだった。


(これは白桜兄様の術?)


紫苑は気づいたその瞬間、蒼紫と思われる男が見せたあの行動を思い出す。


「もしかして、私を夢の中に捉えている隙に現実の身体を何処かへ攫うつもりじゃ……」


そう思ったら、こうしてのんびりとしている場合ではないと慌ててこの夢から覚めるための方法を考える。


確か夢魔が使う術の中に他人の夢に入り込んでその者の生気を喰らうというものがあったはずだ。


その術は夢から覚めるためには夢の中に現れた夢魔から合言葉を聞き出さねばならない。


もし、この術が似たような術であるならばこの術の術者である白桜を見つけ出して夢から覚めるための何かを得なければこのままずっと夢の世界に囚われたままになってしまうかもしれない。


「ただちょっと休憩しようと思っただけなのに、なんでこんなにも次から次へと問題に巻き込まれるの……」


その場に項垂れてそう呟き天井を仰ぎ見る。


部屋の天井には綺麗な絵が描かれており、よくよく見ればこの部屋全体が一つの絵になるように襖や壁にも美しい草花の絵が描かれている。


紫苑が興味深そうに壁に描かれた花の絵を眺めていると、先ほど出ていった母が食事用の台を持って紫苑の元へ戻ってきた。


「ごめんなさい、お腹が減ったでしょう?」


そう言って母が用意した食台に並んでいたのは、見たこともない美しい花々だった。


そのどれもが不思議な淡い光に包まれており、人間である紫苑ですらこの花々が特殊な力を持つ神聖なものだとわかる。


紫苑が不思議そうに眺めていると、何を勘違いしたのか母はどこか具合が悪いのかと心配そうに紫苑の顔を見つめてくる。


「どうしたの紫苑?今日は紫苑の好きな白百合もあるのよ」


母はそういうと淡い光の粉を纏った白百合の花を一輪とると紫苑の口先に寄せる。


そうすると、不思議なことに花の周りに漂っていた淡い光の粒が紫苑の口の中へと吸い込まれるようにして消えていく。


それと同時に紫苑の口の中にはなんとも言えないふわふわしたような綿菓子のような甘く優しい味が広がった。


近寄せられた白百合は輝きを失い、はらりとその花びらを散らす。


紫苑が無事に花の精気を食べたのを確認すると母は安心したようで、他の花も次々と勧めてくる。


紫苑が興味本位で他の花もいくつかいただいていると、急に屋敷の外が騒がしくなった。


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