第24話

 今日は色々なことがあり過ぎてこうして布団に入った今でも今日あったことは全て夢なんじゃないかと思ってしまう。


宗介様と術具屋に行って色々な術具を買ってもらい、呉服屋に行き俄で身にまとう着物を仕立ててもらい甘味屋で見知らぬ妖に殺されそうになった……。


 これだけでもかなり印象深い一日だったと言うのに、幻灯楼に帰ってきてから宗介様に口付けられて……と夕方あったことを思い出して紫苑は布団の中で顔を赤らめる。


宗介様に口付けられても不思議と嫌な気持ちにはならなかったけど……宗介様は他の見世にも通っているらしいからきっと人の子である私を面白がって遊んでいるだけよね。


 布団の中で顔を赤くして照れたり眉間にシワを寄せたりと一人でコロコロと表情を変えて寝返りを打つと、今日小雪に渡された護符が入った小さな巾着が胸元で動く。


自分の胸元にある巾着を開けて中に入っている護符をまじまじと見てみると、まだ紫苑には扱うことのできない高等術の祝詞などがびっしりと書かれている。


(こんな強力な札を作れるなんて術具屋さんは一体何者なんだろう?)


護符を巾着に戻してしばらく布団の中で眠ろうと目を瞑っていたが、今日あった出来事があまりにも刺激的すぎて全く寝れる気がしない。


仕方がないので少し夜風にでも当たろうかと布団から出て近くに寝ている凛と紅を起こさないように格子窓のそばへ行き通りを見下ろす。


 窓辺に座って通りを見下ろしているといつの間にか通りには一人の少年と言うにはやや大人びた雰囲気を持つ美しい妖がこちらを見上げていた。


童子が着るような白と水色を使った水干姿に頭から薄衣をかけている少年は薄暗い月明かりの中でもはっきりと分かるほどその瞳をぎらつかせて紫苑のことをじっと見つめている。


一瞬美しい姿に目を奪われてたが、その少年の腰のあたりから白金の毛に覆われた尾が三本ゆさゆさと揺れているのを見て一瞬で血の気が引く。


(あの瞳にあの尻尾、間違いない妖狐の一族だ……)


 視線を逸らそうにも鋭く獲物を睨みつけるような気配に圧倒されて紫苑はその場を動けずにいると、寝ていたはずの凛が起きたようで紫苑に話しかけてくる。


「観月姉さん、どうしたでありんすか?」


 寝ぼけ目で目を擦りながらよろよろとこちらに凛が近づいてきて紫苑が見下ろしている通りを見るとそこにはすでに誰もおらず、ただ紫苑だけがひどく顔色を悪くしているだけだった。


「観月姉さん、大丈夫でありんすか?お水でも持って……」


凛が顔色の悪い紫苑を心配して慌てて水を取りに行こうとしてくれるが、大丈夫と引き止める。


何とか笑顔を取り繕って明日も早いからもう寝ましょうと凛と一緒に布団に入った。


◇◇◇


 ここ最近目まぐるしく色々なことが起こりすぎて正直、頭も心もついていかない。


背中にある呪印についてもそうだし、自分を落籍したいと言うユウキ様の気持ちだって分からないままだ。


自分の事なのに私自身は何も分からないままいいように誰かの掌の上で弄ばれているような気さえしてくる。


このまま何のせずただ時が過ぎるのを待っていてはダメだと思い紫苑は再び幻灯楼のお客様や出入りのある行商人に犬神家のことや妖狐の御当主、さらに宗介についてもそれとなく情報を集めるようになった。


そんなある日、小雪が珍しく紫苑に外へのお使いを頼んできた。


「観月、悪いが裏通りにあるこの見世までお使いを頼まれておくれ。必要なものはここに書いてあるからこの紙を渡せば大丈夫だよ」


小雪から渡された紙にはよく分からない品物の名が書かれてる。


「小雪姉さんこれは?」


見たこともない文字が羅列されている紙を見つめながらそう聞くと、どうやらこの曼珠の園でのみ売っている薬だという。


「今日お使いを頼むのはこの曼珠の園に古くからある薬師堂だよ。ここの店主は玉枝さんといって昔は妖狐の御当主の薬師を務めていたほどの方だ。そろそろ俄で御当主様を喜ばせる品を決めないとならないからね」


思わぬ形で出てきた御当主の名に紫苑は勢いよく顔をあげ小雪の方を見る。


「と言うことは、妖狐の御当主の事だけではなく呪印についても何かご存知かもしれませんよね?」


小雪は笑いながら頷くと煙管を吹かしながら目を輝かせている紫苑にいくつか注意事項を教える。


「玉枝さんは選り好みが激しいから気に入らない客には見世の敷居すら跨がせない。それに御当主のことに関しては驚くほど寡黙だからあんまり期待しない方がいいかもね。万が一見世の中に入れてもらえなかったら、蔵の子の話を聞きにきたといいな」


「蔵の子?ですか?」


紫苑が不思議そうに聞き返すと小雪は頷き返す。


「そうさ」


「え?それってどういう……」


慌ててその先を聞こうとするが運悪く小雪に来客が入り、小雪はすぐに部屋を出て行ってしまう。


 ああ言われてしまうとなんだか少し気になるが、今日に至るまでもさまざまな妖達を相手にしてきたのだ小雪から言われたことさえ守っていれば大丈夫だろうと思い直し紫苑は幻灯楼を後にした。


◇◇◇


 小雪に言われた通りに路地を抜けて彷徨っていると突き当たりに提灯を入口の両脇に下げた古ぼけた民家のようなものが見えてくる。


まだ昼間だと言うのにその家の周りだけは夜のように暗く玄関を照らす提灯の明かりだけが異様に光っている。


紫苑はもう一度小雪に渡された見世までの地図を確認すると目の前にある家の扉を軽く四回叩く。


「申し申し、幻灯楼の小雪花魁の使いで参りました。どうか中へ入れてください」


紙に書かれている通りに声をかけると少ししてから家の中からガタガタと誰かが近づいてくる気配がする。


「あんたは何者だい?本性は?」


古びた戸の向こうからしわがれた声が返ってくる。


「私は人の子で小雪花魁の禿をしています。今日はお使いできました」


「嘘だね。あんたからは鬼の匂いがする。私を騙そうなんて千年早いよ!」


そう怒鳴ると中の人物は扉から離れていこうとする。


「待ってください!本当なんです!そう、蔵の子の話を聞きにきました」


 紫苑はこのままでは小雪に言われたお使いどころかやっと掴んだ御当主様への手がかりも得られないと慌てて引き止める。


見世の中の人物は『蔵の子』と言う言葉を聞くと再び戸のところまでやってきてゆっくりと戸を開けた。


中から出てきたのはゆうに九〇歳は過ぎていそうな老婆だった。老婆は当たりを鋭い目で睨むと紫苑を見世の中へと招き入れる。


慌てて老婆の後に続いて見世の中へと入ると中は外観と違って小綺麗に片付けられており、硝子の壁で仕切られた部屋がいくつも並んでいた。


 奥の部屋に着くと老婆はクッションが積まれた大きな一人がけの椅子に埋もれるようにして座り紫苑の方を見る。


「それで?何を聞きたいんだい?」


急に正面から見据えられ思わず怯むが、ここで怯んでいては何も聞けないとぐっとお腹に力を入れる。


「今日は小雪花魁のお使いで来ました。こちらが今日頼みたい品です」


なんとか気を取り直して老婆に小雪から渡された紙を渡すと老婆は軽く目を通し、自分の足元をのそのそと通り過ぎようとしていた黒い人影のような物体に紙を持たせる。


よくよく見れば部屋のあちこちの物陰に似たような黒い人影のようなものが何やら物を運んだり掃除をしたりしている。


人形を使った術の中に似たようなものがあるが自由に動き回っているのを見るとどうも紫苑が知っているそれではないようだ。


つい物珍しさに小さな人影の様子ばかり見ていると、目の前に座る老婆が咳払いをする。


「で、お使いの他にも何か聞きたいことがあるんだろう?注文の品ができるまで付き合ってやるからさっさとおはなし」


紫苑は何から切り出すべきか迷ったが、やはりまずは情報が少ない妖狐の御当主について聞こうと話を切り出す。


「妖狐の御当主さまについて何かご存知でしたら教えていただければと思いまして」


老婆はぎろりと紫苑の方をしばらく見つめるとなぜそんなことが知りたいのだと訝しむように聞いてくる。


「実は俄の登楼の際に御当主様へ何か品物をお贈りすることになりまして、どうせならばご当主様が喜んでいただける品を贈りたいのですが幻灯楼には御当主様の好みを知る者がいなくて」


老婆は紫苑が話終えてもそのまま値踏みするかのように紫苑の頭の先から足の先まで見るとようやく答えをくれる。


「当代の御当主様はとても優しく、そして孤独な方だよ。あの有り余る力のせいで誰も近くに寄り付かない」


「でも御当主様の周りには常に多くの眷属の方や妖たちが付き従っていると思いますが」


「あんた馬鹿だね。誰も彼も皆、御当主の力にあやかりたいのさ。下心抜きであの方をお支えしているのなんて双子くらいなものさ。そうさね、時間も少しあるから古い話をしてやろうか」


そう言って老婆が話してくれたのは何も力を持たずに生まれた可哀想な一匹の妖の話だった。







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