第69話
小鳥の囀る声でぼんやりと意識が浮上していく。
紫苑はいつの間にかぐっすり寝てしまっていた自分に気づき慌てて寝衣を確かめる。
(良かった、ちゃんと着てる)
紫苑がほっとしているとすぐ耳元で囁かれる。
「おはよう、紫苑。よく眠れたかい?」
声をした方を見るとはだけた着物姿でこちらをにっこりと微笑んで見ている月天の姿があった。
あまりの色気に紫苑は顔を真っ赤にすると慌てて布団を引っ張り上げて顔を隠す。
「月天様!その、着物がはだけて……」
紫苑がなるべく視線をそちらに向かないように身振り手振りで着物を正すように言うが、月天に布団を剥ぎ取られ逆に押し倒されてしまう。
「朝からそんなに顔を赤くしてどうしたと言うのだ紫苑?」
自分を見下ろす月天の表情は笑顔ではあるが、紫苑が恥ずかしがって困っているのを楽しんでいるのがわかる。
「揶揄わないでください!それにそんなあられもない姿で近寄らないでください!」
紫苑が精一杯月天と距離を取ろうとするが、無駄な抵抗に終わる。
「こんなことで恥じらっていてはこの先大変だぞ?」
月天はそう言うと、月天と目を合わせないように顔を背けていた紫苑の首筋に優しく牙を立てる。
甘噛みするように紫苑の首筋を噛んでやると、思った通り紫苑は目を見開き顔を真っ赤にして月天の方を見る。
「やっと私を見てくれた」
「呪符退魔急急如律令!」
紫苑はあまりにも突然のことで頭が混乱し、月天めがけて退魔の印をきる。
紫苑が印をきるとバチッと大きな音を立てて紫苑と月天の間に大きな静電気のようなものが起きる。
月天はもう一度紫苑に触れようと手を伸ばすが、紫苑に触れる前に何か薄い膜のようなものがあり月天が触れると先ほどと同じくバチバチと音を立てて月天を拒む。
「ふぅ……。紫苑、悪かった。もう悪戯はしないから結界を解いておくれ?」
その気になればこの程度の脆弱な結界はすぐに崩れるが、ここで紫苑の機嫌を損ねては今日一日の予定が狂ってしまう。
「なぁ、紫苑。私が信用できないのか?」
月天は紫苑の心を開かせるには強気に出るよりも、下手に出てか弱い小動物のように振る舞うのが正解だと今までの経験から知っている。
できるだけ愛らしく見えるように、耳を下げ紫苑の瞳を切なげな表情でじぃいっと見つめる。
「ごめんなさい。突然のことだったのでびっくりしちゃって。大丈夫でしたか?」
紫苑はうるうると耳を垂らして子犬のように見てくる月天の手をとると怪我をしていないか確かめる。
「紫苑が私に対して退魔の結界を張るなんて……」
月天はひどく傷ついたような表情を浮かべて顔を俯け袖で目元を隠す。
紫苑は慌てて月天と向き合って座り、泣いているふりをする月天を見て必死に謝罪する。
「本当に紫苑は悪いと思っているのか?思っているなら態度で見せておくれ」
「態度って、何をすれば信じてもらえるのでしょうか?」
「私を抱きしめておくれ」
「え!」
「やはり紫苑は私のことは嫌いなんだ……今までずぅっと私は紫苑のことだけを考えていたのに……私は結局独りきりなんだ」
袖の隙間から紫苑の方を覗く月天の瞳は相変わらずうるうると潤んでおり、頭の上にはえたふさふさの耳と相まって紫苑の良心にグサグサと言葉が突き刺さる。
(確かに、いくら驚いたといえ体調が悪いって言っていた人に対して退魔の術を使うなんて酷いことしちゃったわよね……)
「ごめんなさい、本当に月天様を嫌ってしたわけではないのですが……」
紫苑は身を小さくして啜り泣く(ふりをしている)月天の側によると、優しく正面から抱きしめ頭を撫でる。
「本当にごめんなさい。もうしないから泣いたりしないでください」
月天は紫苑に抱きしめられ、ゆっくりと紫苑の顔を見上げる。
「本当か?紫苑はもう私を拒絶したりはしないか?」
「もう、傷つけるようなことは絶対しないので泣かないでください」
「……紫苑」
月天は紫苑の言葉を聞くと思いっきり紫苑を抱きしめ返す。
紫苑よりも大きい月天の体に押されて紫苑はそのまま布団の上に逆戻りしてしまい、自分を見下ろす月天の瞳に先ほどまでの愛らしいものではなくギラりと鋭く輝くものを見つける。
「私を受け入れてくれるのだろう?」
(もしかして、騙された!?)
月天の顔が紫苑の顔と近づき後少しで唇を奪われると言うところで、几帳の外で咳払いをする音が聞こえてくる。
「ゴホン。……月天様、お戯れはそれくらいにして身支度を整えてください。本日は予定がぎっしり詰まっておりますゆえ」
月天は黄金が話だすと紫苑にわからないように小さく舌打ちをして紫苑の体の上から身を起こす。
なんとか自由になった紫苑は月天と距離をとると警戒したような目で月天のことを見ている。
「紫苑、今日はこれからここで過ごすのに必要な手続きや儀式を済ませなくてはならないから、朝食を食べたら一緒に行こう」
月天は警戒したままこちらをじっと見ている紫苑を見て苦笑いすると、軽く着物を正して几帳の外へと出ていった。
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