第65話

 黄金が部屋を出て行った後、長椅子にもたれ掛かりこれからのことを考えていたら、いつの間にかすっかり寝入ってしまった。


紫苑がまだ少し眠気の残る瞳を擦りながら身を起こすと、向かい側の椅子に腰掛け書類を確認している月天の姿があった。


紫苑は月天の姿に気づくと慌てて体を起こし座り直す。


「起きてしまったか?昨日は色々とありすぎて疲れただろう?体が辛いのなら寝ていても構わない」


月天は手に持っていた書類を机の上に置くと、緊張して背筋を伸ばして座っている紫苑の隣に座る。


「そんなに緊張しなくてもいい。私の方を見ておくれ?」


月天の綺麗に手入れされた指が紫苑の顎をすくい、自分の方へと顔を向けさせる。


「あ、あの!実は昨日のことなんですが……」


意を決して月天に昨日のことはほとんど何も覚えていないと伝えようとするが、気づけば紫苑はソファの上に組み敷かれるように押し倒される。


「あと何度季節を繰り返せば紫苑に会えるのかと、来る日もくる日もただ一人で待ちわびた。桜が散る季節も、星が降り注ぐ季節も……どの季節も紫苑がいなければ何も意味をなさない」


月天の指先が紫苑の髪を一房救い上げ口元に近づける。


「この髪もその瞳も、愛らしい唇も全て私に捧げてくれるだろう?なぁ、紫苑……」


月天の美しい顔が今にも唇が触れそうなほど近づけられ、空いた手で優しく顔の輪郭を撫でられる。


月天のひんやりとした指先が紫苑の唇を軽く撫でると月天はその瞳に色を含ませる。


紫苑は両手で懸命に月天の体を押し返すがびくともしない、それどころかなんとかしてこの場から逃れようとする紫苑を眺めて月天は意地の悪い笑みを浮かべる。


「そ、そんなこと言われても……あなたの側にいることはできません」


紫苑の言葉を聞き月天は少しむっとした表情を浮かべ、片手で紫苑の両手を長椅子に縫い付けるように押さえつけ、そのまま耳元で囁く。


「あなたではない、月天だ。もう月天とは呼んでくれないのか?」


甘く恋人に囁くような声色で言うと月天はそのままぺろりと赤い舌で紫苑の耳元を舐める。


「なっ!なななんてことを……!」


これ以上赤くならないだろうと言うくらいに顔を真っ赤にした紫苑はさっきよりもさらに慌てふためき、訳の分からない言葉を言いながらこれでもかと言うくらいバタバタと抵抗する。


紫苑が全力で抵抗すると両手が解放されて、自分の上に覆いかぶさっていた月天が笑みを浮かべて長椅子にもたれ掛かるように座った。


 紫苑は乱れた襟元を両手でかき合わせながら月天から距離を取るように長椅子の逆端に身を小さくして座ると、月天はまるで子猫と戯れるかのように優しい笑みを浮かべて手招きするが紫苑は動かない。


「その様子だと、要らぬ虫がついたと言うことはなさそうだな……。まあ、いい。これから紫苑は私と一緒に過ごすことになるのだからいくらでも時間はある、今まで待った時間に比べればこれくらいのお預け大したことではない」


月天は大きな瞳に涙を浮かべながらこちらを見る紫苑を見ると、ソファから立ち上がり小さく膝を抱える紫苑の頭を優しくひとなでして部屋を出て行った。


◇◇◇


 月天が部屋を出ていくのと入れ違うようにして小鉄が部屋に入ってくる。


丸々とした小狐姿の小鉄は手や足に包帯が巻かれており痛々しい姿だ。


「小鉄くん!その傷……大丈夫なの?」


よちよちと小さな足で紫苑の元まで歩いてくると小鉄はその場で頭を下げる。


「紫苑様、申し訳ありませんでした。私がついていながらあのような目に合わせてしまうなんて」


紫苑は慌てて小鉄に頭を上げるように言うが、なかなか言うことを聞いてくれない。


「私は本当に何でもないから、あまり気にしないで。それより、極夜さんの姿が見えないけど、もしかして極夜さんも怪我してるの?」


いつもなら誰よりも早く極夜が朝に訪れるのだが、今日は黄金がつきっきりで紫苑の世話をしており一度も極夜の姿を見ていない。


「極夜様のことはお聞きではないのですね……」


小鉄はどこか言いづらそうに口籠るが、紫苑にしつこく聞かれ観念したように話だす。


「昨日、極夜様の独断で紫苑様を連れ出した結果、紫苑様は非常に危険な目に遭いました。極夜様と白夜様はその罰をお受けになるのに今は自室で月天様の判断をお待ちしています」


「え!?罰って……私が頼んだから連れ出してくれただけで、極夜さんも白夜さんも何も悪いことはしていないのに!」


「いいえ、月天様のモノである紫苑様を月天様の許可なしに連れ出すなど死罰に値する行いです。運が良くて尾を斬り飛ばす、悪くて死罪でしょう」


「尾を斬り飛ばすって……妖狐にとって尻尾って大切なものでしょう?切られたりしたら……」


小鉄はそのまま俯き言葉をなくす。


「……その処罰って月天様が決めるのよね?」


「はい?そうですが……月天様は身内に対しても自分の命令を聞かぬ者には容赦がないお方。いくら紫苑様のお願いといえどもお二人を助けることは難しいかと」


「いいの!それでもここで何もせずにいるよりいい!今すぐ月天様に会わせて!」


紫苑はそういうと小鉄が入ってきた方へ向かい、戸を開けようとする。


「お待ちください!この部屋は月天様の特殊な術がかけられています、私が月天様をこちらにお呼びしますので紫苑様はこちらで少しお待ちください」


紫苑は小鉄にそう言われると、渋々椅子に戻り腰を下ろし小鉄が月天を連れてくるのを待つことにした。

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