第64話
曼珠の園にゆっくりと朝日が差し込む。立ち並ぶ見世の屋根に陽が反射してきらきらと園を飾り立てる。
約百年ぶりに三家の御当主が揃い本祭を行ったため曼珠の園の中は以前にも増して強い加護が与えられ邪鬼などの邪な者たちが入りにくい土地となった。
朝日と共に清々しい風が吹き抜け、曼珠の園にある夢幻楼の屋敷にも風が通り抜ける。
夢幻楼の月天の自室の寝所では黄金に見守られながら紫苑が眠っている。
紫苑の姿はすっかり人の子のものに戻っており、昨日見た鬼の姿は幻だったのではないかと思ってしまうほど似ても似つかない。
「紫苑様、朝でございます。起きられますか?」
黄金が遠慮がちに優しく紫苑の耳元で囁くと紫苑は眠たそうな目を擦り布団から身を起こす。
「紫苑様おはようございます。お加減はどうですか?」
妖狐らしいきつね顔の美女に顔を覗き込まれて紫苑は思わずその場から身を引く。
「え?ここは?確か昨日は俄の本祭を見に行って……」
紫苑は昨日あったことを必死に思い出そうとするが、物置部屋で小鉄と話していて扉の向こうに誰かが来たのに気づいたところまでしか思い出せない。
「昨日は曼珠の園に侵入した妖に連れ去られて大変な目に遭いましたからね……すぐにお召し物と朝食の準備をしますので、紫苑様はあちらで身支度を済ませていただいてよろしいでしょうか?」
黄金はまだどこかぼぉっとしている紫苑の手を引き隣の部屋に案内する。
「この部屋は?私がいた月光花の部屋にはこんな家具はなかったような気がするんですが」
紫苑が部屋に置かれたいかにも高級そうな家具を見て黄金に質問する。
「こちらの部屋は月天様の自室となっております。下の里に降りている間はこちらでほとんどの時間を過ごされます。本日は午後から部屋に戻るとの連絡がございましたので、それまでに綺麗に仕上げなくては」
黄金は急かすように紫苑を誘導すると道具のある場所や使い方などを簡単に教え部屋を出て行った。
とりあえず、紫苑は最低限身支度を整えてしまおうと言われたとおり部屋にある道具を使って身なりを整える。
簡単に身なりを整えると思ったより早く終わり、黄金が戻ってくるまで手持ち無沙汰となってしまった。
何もすることがないので部屋の中をうろうろと彷徨っていると、大きな執務用の机の後ろにある大窓に気づく。
(外の様子がわかるかもしれない)
紫苑は大窓に近づき外を覗くとちょうど仲之町が見渡せ、遠くに大門が見える。
通りにはいつもより多い数の妖たちが歩いており、心なしかいつもより賑わっているように見える。
紫苑が外の様子に夢中になっていると黄金が戻ってきて、応接間の机の上に朝食を用意する。
「紫苑様、準備が済みました」
黄金に呼ばれるまま椅子に座ると一瞬ふわりと月天の香りが鼻を掠める。
慌てて辺りを見渡すが黄金と自分以外にこの部屋に誰かいる様子はない。
「昨日倒れられて、まだ体内の気が安定していないようですのでお食事は気を整える作用のある薬膳粥にさせていただきました」
何とも言えない独特の香りを漂われている粥を目の前にして表情が引きつるが、黄金はこれを食べ終えないと自由にはしてくれなさそうだ。
紫苑が独特の香りと味のする薬膳粥と戦っている間に黄金は色々な話をしてくれた。
「月天様は見目が麗しいでしょう?ですから今までも他の里から多くの求婚があったのですが、全て断られていたんですよ。あの年齢の妖狐であればとっくに番となる相手の一匹や二匹いてもおかしくありませんのに」
「他の里とは交流はあるんですか?」
「えぇ、特に交流があるのは妖猫の里と獅子の里、天狗の里でございましょうか。鬼の里とは今までは疎遠でございましたが、昨日の協定を機にこれからは交流も増えるかもしれませんね」
どうにかして不味いお粥を食べ終えると、次はお召し物を着替えましょうと黄金に休む暇なく隣にあるい衣装部屋へと連れて行かれる。
衣装部屋の中にはどれも目を惹くような上等な男物の着物が並んでおり、一目で誰の衣装部屋なのかわかる。
「こちらはいつもは月天様が使用されていますが、本日は紫苑様が使用する許可を得ていますのでご心配なく」
黄金は用意されていた淡い色の振袖を広げて手際良く紫苑に着付けていく。
全て着付け終わり姿見で自分を見てみるとそこには以前呉服屋で宗介と選んだ振袖を着た自分の姿があった。
「とてもお似合いですよ。これだけ愛らしければ月天様もお喜びになります」
黄金は満面の笑みで何度も頷くと紫苑の手をとって先ほど朝食をとった席へと座らせる。
「あの……昨日のことなんですが」
紫苑が記憶が曖昧な昨日のことを尋ねると黄金は話しても良いものかと少し迷ったようだったが、知っていることを教えてくれた。
黄金が言うには昨日は紫苑が何者かに連れ去られた後、大門付近で餓鬼が暴れる大騒動が起きたらしい。
大通りに植えられていた木々も命を持ったように枝をしならせ暴れ出したため、一時は大門を封鎖して曼珠の園の中への出入りは完全に封じられたようだ。
最終的には儀礼を全て終わらせた月天が大門まで訪れて周辺を全て清め直し事なき終えたらしいが、紫苑はその騒動に巻き込まれていたらしい。
「昨日こちらに運び込まれた時、紫苑様は鬼化しておりましたので屋敷の者たちも一時は騒然となりました」
「え?私が鬼になっていたんですか?」
「はい、見事な白髪に美しい水晶のような角を三つ持った鬼の姿をしておりました。あのお姿だと今お召しになっている着物もより映えた事でしょう。もちろん紫苑様の本性については口外せぬよう箝口令がしかれていますのでご安心ください」
うっとりとした表情で昨日のことを思い出す黄金をよそに紫苑は必死に昨日のことを思い出そうとするが、全く思いだせない。
「これからについての詳しいお話は月天様からされると思いますので、月天様がいらっしゃるまでこちらでゆっくりとお過ごしください」
黄金はそう言って深々と礼をすると紫苑を残し廊下へと姿を消した。
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