第58話

 小鉄に知らせようかと思い様子を見るが、拝殿で舞う月天を見つめる瞳があまりにもうっとりと夢心地なものだったのでここで声をかけるのも悪いと思い紫苑は静かに戸の近くに寄り耳を澄ませる。


トントンッーー


どうやら聞き間違いではなく誰かが戸を叩いているようだ。


(極夜さんは誰もここへは来ないって言ってたけど……)


この部屋に着いたときに言われた注意事項を思い出し、紫苑は警戒しつつ戸の外の音に耳を集中させる。


「観月……聞こえてるかい?わっちだよ。ここを開けておくれ」


(ッ!小雪姉さん!?)


戸の外から掠れたような小さな声で紫苑のことを呼ぶ小雪の声が聞こえてくる。


「観月?そこにいるんだろう?お前を助けるためにここまで来たんだ、奉納演舞が終わる前にここから出ないと面倒なことになる。返事をしておくれ」


(極夜さんには戸に触れないこと、名前を名乗らないことしか言われていないから質問するくらいなら大丈夫よね)


「小雪姉さんですか?もし本物の小雪姉さんなら凛の本性をご存知ですよね?」


「あぁ、知っているとも。凛の本性は藤の精と人間の混血児だ。もういいだろう?ここを開けておくれ」


凛の本性を知っているのは幻灯楼でも限られた者だけだ、戸の外にいる小雪らしき人物は迷うことなく答えたので信用してもいいだろう。


紫苑は安心しきって引き戸に手をかける。


「紫苑様!開けてはいけません!」


小鉄が血相を変えて紫苑の方へと飛びつくがそれより早く廊下から現れた手によって紫苑は部屋の外へと引き摺り出される。


「まったく、紫苑様は疑うことを知った方がいい」


紫苑の両腕を器用に縄で縛りあげて見下ろすのは深い海の底を思わせるような暗い色の髪を耳の下でゆるく一つに結った蒼紫だった。


「紫苑様を離せ!」


小鉄は男に向けて術を放つが、男の元に届く前に煙を立てて消滅する。


「う〜ん、幼い子供をいたぶる趣味はないが急いでいるものでね……」


蒼紫がそう言うと片手で印を結び小鉄に術をかける。


術の発動と同時に小鉄の小さな体には無数の切り傷が現れ全身から血が噴き出す。


「やめて!」


紫苑が小鉄に駆け寄ろうとするが蒼紫によって身動きを封じられる。


「紫苑様、申し訳ありませんが曼珠の園を出るまで少し眠っていてください」


蒼紫はそう言うと紫苑の目を隠すように片手で覆い紫苑の意識を奪った。


◇◇◇

 時を同じくして観覧席に座っていた小雪は拝殿の下座にいたはずの蒼紫の姿がなくなっていることに気づく。


「楼主様、ちょっとばかり席を外しんすが構わないでありんすか?」


楼主は演舞に夢中らしくこくこくと頷くと小雪の方も見ず月天の舞を食い入るように眺めていた。


小雪はできるだけ気配を消して拝殿の横にある通路に紛れ込む。


(琥珀様の話だと演舞で御当主様たちが身動きが取れない間に紫苑を攫うはずだって言ってたけど……この辺りに紫苑がいるっていうのかい?)


あたりを行き交う妖狐の一族や妖猫の一族に紛れるため小雪は変化の術を使って妖狐の小間使いに化ける。


小雪が拝殿付近を彷徨いていると、周囲の目を盗むようにして大きな葛を抱えた男が外へ出ていくのを見つける。


小雪はどうも気になって男の後を追いかけると、男は葛を荷物を運び出す荷車に載せ自身も荷台に乗り込んだ。


(確かあの荷車は曼珠の園の外まで行くもの……嫌な予感がするね)


小雪は男が抱えていた葛の中身がどうしても気になり、荷車を点検している妖猫に話しかける。


「お疲れ様です。この荷車はいつ出発の予定ですか?追加で荷物をいくつか頼みたいのですが」


「あぁ、今点検しているところだから点検が済み次第出発する予定さ。悪いが荷物は見ての通り一杯だから後から来るやつにお願いしてくれるかい?」


「そうですか、ところでこの荷車はどこまで行く予定でしょうか?」


「この荷車は下の里にある鬼のお屋敷まで行く予定さ。なんでも今回の協定を結ぶにあたって妖狐の御当主からの贈り物らしいよ」


「あぁ、この荷車がそうだったか。実は贈り物の中に妖猫の御当主に贈る予定のものが紛れてしまったらしんだ、ちょっと荷台の中を確認させてもらってもいいかい?」


「ああ、いいとも。俺は点検しているから勝手に確認してくれ」


小雪は了承を得ると先ほど怪しい男が入っていった荷台に上り込む。


いつ男に襲われてもいいように小雪は片手に術を纏わせ暗い荷台の中先ほど運び込まれた葛を見つけ出す。


小雪が葛の上蓋を開けて中を覗き込むとそこには猿轡をされ両手両足を術がかけられた縄で縛り上げられた紫苑が眠っていた。


「観月!」


小雪が慌てて紫苑を葛から出そうとすると、小雪の首筋にひやりとした刃が突きつけられる。


「まったく、しつこい女は嫌われますよ?」


「ふん、その言葉そのままあんたに返すよ蒼紫」


小雪の首筋に刃物を突き立てたまま蒼紫は愉快そう笑う。


「そう言われると返す言葉もありませんね。時間もないことですし、貴女に恨みはありませんがここで消えてもらいましょう」


蒼紫はそう言うと刀に力を入れて小雪の首を落とそうとするが、小雪の体から放たれる冷気によって刀が氷漬けにされて動かない。


蒼紫は刀を手放すとすぐに紫苑の入った葛を引きよせ小雪と距離をとる。


「仕方がない……あまりこれは使いたくなかったのですが」


蒼紫はそう言うと懐から小さな巻物を取り出し何やら呪文を唱えるとぐったりと動かない紫苑の体に巻物を触れさせる。


白紙の巻物が紫苑と触れると、紫苑の体を巻物の中に吸い込まれるようにして姿を消した。


「貴様!観月に何をした!」


小雪は変化を解き本性を表し今にも蒼紫に襲い掛かろうと殺気立っている。


「私たちの戦闘に巻き込まれたら人の身である紫苑様はひとたまりも有りませんからね。安全な場所に隔離したまでです」


蒼紫はそう言うと踵を返し、荷台から飛び降り道ゆく妖たちの群れの中へと紛れ込む。


「ちッ!」


小雪は急いで蒼紫が去った後を追うが道には奉納演舞が終わったらしく、地が見えないほど様々な妖たちが仲之町目指して押し合っている。


(こんなことしてたら蒼紫を逃しちまう)


小雪があたりをきょろきょろと見渡していると細い路地に楓が立っており、小雪を手招きしていた。

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