第57話

 小鉄は格子窓をなんとかくぐり抜けると小狐姿のまま紫苑の足元に寄る。


「紫苑様、この部屋には極夜様の特別な術がかけられていますので外部から襲われる心配はございません。しかし、内側から戸を開けてしまうと術が解けてしまいますので極夜様がいらっしゃるまでは決して戸に触れないようお願いします」


紫苑は極夜が居ない今小鉄に文句を言ったところで意味がないと悟り、諦めて部屋に置いてあった椅子を格子窓の近くに置いて拝殿の様子をみる事にした。


紫苑のいる部屋は拝殿の高座が見える位置にあり、奉納演舞は高座で行われるらしいので特等席といえば特等席だ。


「ねぇ、そういえば月天様に内緒で来たけどこんなに近くに私がいても誰も気配とか気づかないものなの?」


月天達のような大妖になれば自分の周囲にいる者の気配も敏感に感じ取れるはずだ。


「大丈夫でございます。紫苑様の纏っている着物は匂い消しが含まれた特殊なモノですし、極夜様がこの部屋に術を張ったことでいくら御当主様と言えども部屋の戸に手をかけない限り気付きません」


「そうなんだ。そんな術を使えるって意外と極夜さんって優秀なの?」


極夜は態度だけは大きいが、普段紫苑と接する場面では特別強力な妖気を感じるとか畏怖を感じさせるような雰囲気はない。


「紫苑様、前も言いましたが極夜様は他者を欺くのがお上手ですので……普段見せている紫苑様への態度も偽りと思っておいた方が身のためですよ。それよりも、奉納演舞の見物客に幻灯楼の小雪花魁がいらっしゃいましたよ」


小鉄は格子窓から見える拝殿のずっと下の方にある毛氈が敷かれた席をもふもふの手でさす。


「え!?小雪姉さんが来てるの?どこどこ?」


紫苑はもう小雪に二度と会えないのではないかと思っていたので思わぬ機会に心を躍らせる。


「ほら、あの薄衣で顔を隠している天色の着物の女性です。幻灯楼の楼主と一緒に出席されているようですね」


格子窓からでは他の妖達が行き交っているため顔までははっきり分からないが、背格好からして小雪に違いない。


極夜には部屋から出るなと言われたが、小雪と直接会って話すなら今しか機会はない……。


紫苑は格子窓の外を見て来客について色々と教えてくれている小鉄をちらりと見て罪悪感が芽生えるが、心を鬼にして部屋から出ようと戸に手をかけようとした。


まさに今紫苑が戸を開けて外に出ようとしたのと同じくして部屋の外から濃厚な桜の香りと思わず眩暈を起こしてしまいそうなほどの妖気を感じる。


慌てて紫苑は戸から離れ小鉄のいる方へ後ずさる。


「これは、鬼の御当主の白桜様の気配ですね。もう少しで儀式が始まるので拝殿近くの控えの間に移るのでしょう」


小鉄が声を顰めるようにして紫苑に廊下にいるであろう人物のことを教えてくれる。


「まずいですね……白桜様は特殊な術をお使いになるのでもしかしたらこの部屋に私たちがいることがバレてしまうかもしれません」


部屋の外から感じた桜の香りはどんどん強くなり、香りとともに聞こえてくるほんの微かな足音が部屋の前で止まる。


「この部屋に誰かいるのか?」


部屋の外から聞こえてきた声はとても澄んだ声色で思わず聞き入ってしまう。


「いいえ、ここは演舞に使用する物品を保管している倉庫でございますので誰もおりません」


「……そうか」


紫苑達が息を潜めて白桜が去るのを待っていると、再び足音が動き出し部屋の前を通り過ぎて行った。


「はぁ〜……」


紫苑は気配が去ったのを確認すると思わず止めていた息を吐き肩の力を抜く。


「どうなることかと思いましたが、バレずにすんで良かったです!」


小鉄が安堵の表情を浮かべている。


(ん……待って、白桜様って確か月天様が言うには私の腹違いのお兄さんなんだよね?じゃあ、隠れるより出ていって助けを求めた方が良かったのでは?)


紫苑は急なことで思わず身を潜めてしまったが、月天の言うとおり紫苑は本来鬼の一族であるならば白桜と会って話をした方が自分にはいいのではと考える。


「ねえ、白桜様ってどんな方なの?」


再び拝殿の方を見ている小鉄に怪しまれないように話しかける。


「そうですね〜七妖の中でも神格しんかくをお持ちになっていてその神通力は三本の指に入ると聞いたことがあります。性格は何事にも無関心で滅多に表に出て来ることはないと言われています。まあ、そうは言っても我が里の月天様が敵わぬ相手ではございませんがね!」


小鉄が月天の素晴らしさについて延々と話し出したのを上の空で聴き流しながら紫苑は先ほど感じた気配を思い出し何故か胸が締め付けられるような気持ちになる。


「紫苑様!月天様がお見えになりましたよ!」


紫苑が白桜のことを考えていると、小鉄は再び窓辺に飛び付き拝殿に姿を表した月天を紫苑に見せようと手招きする。


小鉄に言われて拝殿を見てみると、そこには目元に朱色の線を引き妖艶ながらもどこか神々しい雰囲気の月天が高座に上がるところだった。


いつの間にか観覧客の席も満席になており、どうやら俄の本祭の儀式が始まったようだ。


月天と距離をあけて今度は白い袍に深紅の袴を纏った白桜が姿を表す。


白桜が姿を表した瞬間観覧席ではざわめきや息を呑む音が聞こえてくる。


(なんて美しい妖なんだろう……)


紫苑も今まで小雪や月天など見目麗しい妖たちを見てきたが、白桜は今まで見てきたどの妖とも違う儚い美しさがあった。


白桜はそのまま高座に上がると伴奏の者達がいる舞台の少し奥の方へと座る。


続いて拝殿に入ってきたのは目にも鮮やかな燃えるような橙色の髪が印象的な妖だ。


月天や白桜が月のような美しさだとするならば、この妖は太陽のような明るさが魅力的な美男子だ。


「あの方は妖猫の御当主様の琥珀様です。妖猫の里は七妖の中でも中立の立場ですので、協定を結ぶ際はよく証人として立ち会うことが多いですね」


琥珀も上座に上がると白桜と同じく舞台の奥に控えている伴奏の中に座る。


「今年は伴奏に白桜様と琥珀様が参加され、演舞を月天様が行うんですよ」


拝殿を包み込む空気はまさに神聖で、物音一つ聞こえない。


紫苑が息を呑み舞台に立つ月天を見つめていると、笛と鼓の音が響き始める。


音楽と供に舞台の中央に立っていた月天は手に持った三番叟鈴を鳴らしながら優雅な舞を披露する。


少しの曇りもなく澄み渡った鈴の音色は龍笛や鼓の音と重なり空気を震わす。


紫苑と小鉄が思わず見入ってしまっていると、背後にある部屋の戸がトントンっと遠慮がちに叩かれる音が聞こえてくる。


戸を叩く音に最初に気がついたのは紫苑だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る