第48話
俄が行われる三日間、曼珠の園にある夢幻楼には妖狐の御当主である月天が滞在する。
夢幻楼の中は月天の術によって複雑に動いており、時間によって廊下や部屋の位置が入れ替わり意のままに移動できるのは月天の側近である双子だけだ。
そんな夢幻楼の中でも特に聖域として扱われているのが赤い大階段を登った先にある二階だ。正確には二階ではなく数多に存在する夢幻楼の階の中の最上階に位置する場所だ。
赤の大階段は妖狐の一族でも限られた者しか渡ることを許されておらず、御当主付きの従者や召使いしか出現させる方法を知らない。
紫苑が現在閉じ込められている月光花の間は実はそんな聖域と呼ばれる階に位置しており、御当主の月天の部屋と術によってつなげることができる特別な部屋だ。
通常は御当主の婚約者にあてがわれる部屋なのだが、月天は最初から紫苑にはこの部屋を与えようと決めていた。
「……ふぅー」
大きなため息とともに夢幻楼の露天風呂に浸かるのはここの主人でもある月天だ。先ほどまで花魁たちの相手をさせられひどくご機嫌斜めだ。
風呂に浸かる月天の髪や身体を洗ったりと周りには側使えが無言でその身を清めている。
月天が少し疲れた様子で風呂に入っていると露天の入り口から白夜が声をかけてきた。
「月天様、少しお時間いただいてもよろしいでしょうか?」
「よい、入れ」
月天の身の回りの世話をしていた者たちは白夜に下がるように指示されその場を立ち去る。
白夜は他の者が出て行ったのを確認すると、月天のそばにしゃがみ先ほどまで側付きが行っていた髪の手入れを始める。
「先ほどは御しきれず申し訳ありませんでした。花魁たちはすでに見世に戻っており紫苑様は月光花の間で静かに過ごされている様子です」
月天は自身の長い髪の手入れが終わると、露天風呂から出る。すぐに白夜はそれに付き従い月天の着替えを手伝っていく。
「月紗楼の静那が紫苑の髪を入手した経緯を急いで調べろ、それと他に紫苑に関する物を持っていないか確認した後に殺せ」
「承知しました、禿たちはいかがなさいますか?」
「そうだな、皆まとめて首を仲乃町に晒せ。二度と傲慢な考えを持つ者が出てこないようにな」
「御意」
「して、白夜……お前のことは信用しているが、極夜は大丈夫か?」
白夜によって白の着流しに着替えた月天は少し心配そうな表情をして紫苑のことを任せた極夜のことを思い出す。
「お言葉ですが……我ら双子は何があろうとも月天様の意に反するようなことは致しません。極夜も紫苑様に害をなすようなことは決して致しません」
いつになく真剣な表情で月天の方を見つめる白夜の表情を見て月天は小さく頷き、その場を後にする。
◇◇◇
月光花の間に連れてこられてから一刻ほどたっただろうか……誰もくる気配もなく広い部屋で紫苑は一人何をするでもなくぼんやりと障子の向こうに見える中庭を見つめていた。
(あれ?なんだか昔もこうやって一人でよく中庭を眺めていたことがあったような気がする……)
こんなに立派なお屋敷に住んだことなどないはずなのに、こうして一人でぼんやりとしていると昔もこんな風に過ごしていたようななんとも言えない気持ちが湧いてくるのだ。
「こうしてても仕方がないか……」
紫苑は立ち上がると衣桁にかかっている振袖をじっくり観察し始める。
衣桁にかかっている淡い色の振袖は間違いなく宗介と曼珠の園の呉服屋で注文したものだ、宗介は上ノ国とも繋がりがあると言っていたからもしかしたら妖狐の御当主とも面識があるのかもしれない……。
しかし、紫苑のためにと注文した着物がなぜここにあるのか?紫苑は色々な可能性を考えてみるがどれもしっくりくるものがなく考えることを放棄してその場に寝っ転がる。
(小雪姉さんに凛……そして紅、大丈夫かしら……)
自分の目の前でぱたりと倒れて動こなくなった紅の姿が脳裏に蘇る。
あんなに小さな子にすら容赦なく術を使うなんて噂通りの冷徹さだと妖狐の御当主に対する評価を改める。
最初は思ったよりも優しそうで話せばわかる感じの妖かと思ったけど、自分の気に入らない者はすぐに処分するなんて……。
紫苑が今日あったことを思い返していると廊下の障子越しに女性の声が聞こえてくる。
「月光花の君、湯浴みのお時間でございますのでお部屋にお入りしてもよろしいでしょうか?」
急に聞こえてきた問いかけに驚いて飛び起きるが、月光花の君と言われても心当たりがない。返事をしようかどうか迷っていると廊下でざわめきが起きる。
「月天様!月光花の君はまだ準備が……」
廊下からはなんとか部屋に入るのを止めようとする女中の声が聞こえてくる。
「よい、お前たちは下がれ」
女中たちに有無を言わせない雰囲気で命令した声は先ほど曼珠沙華の間で聞いた御当主様のものと同じだった。
紫苑は慌てて佇まいを直し廊下の方に顔を向けて正座する。
緊張した面持ちで障子が開かれるのを待っているとゆっくりと障子が左右に開かれ御当主様の姿が現れる。
御当主が部屋に入ると女中たちは紫苑の方を心配そうにちらちらと見つつも障子を閉めて廊下から立ち去っていく。
紫苑は慌てて頭を下げるが、御当主は紫苑の側までくると部屋の奥にあった脇息を引き寄せ自分の元まで移動させる。
「そう畏まらずともよい。頭を上げろ」
御当主様の声は先ほどの冷たく心のないものではなく、会った当初の敵意を感じさせない声色になっていた。
紫苑は恐る恐る顔を上げると正面ある御当主の顔を見上げる。
(っ!想像はしていたけど、絶世の美男子じゃない!)
白い着流しの上に流れる髪は星を散りばめたような輝きを放っており、腰のあたりで揺れる七つの尾は思わず触れたくなるような魅力を持っている。
思わず御当主様の姿に見惚れて動きを止めていると、自分を見つめる黄金色の瞳に気づく。
「す、すいません!あまりにも美しい容姿をしていたものでつい見入ってしまいました」
紫苑が馬鹿正直に自分の思ったことを言うと御当主は一瞬目を丸くしたかと思ったら声を殺して笑う。
「くっくく……」
扇子で顔を隠しながら目を細めて面白そうに笑う御当主様の姿を見て女の自分よりもなんて優美な方なんだろうと感心してしまう。
「紫苑は変わっていない、いつも自分の思ったことを正直になんでも話してしまう」
「え?なぜ私の名を……?」
急に出てきた自分の本当の名を当たり前のように呼ばれて困惑するが、小雪が登楼前に本当の名を事前に提出すると言っていたことを思い出す。
(あぁ、きっと登楼者の名簿か何かに載っていたのね)
紫苑が他のことを考えているといつの間にか月天の顔が近づけられ紫苑のことをまじまじと見つめる。
「やっとこうして顔を見ることができた」
そう言って紫苑の瞳を見つめる表情はとても甘く、それはまるで長年愛し続けた恋人に向けるようなものだった。
紫苑は思わず顔を赤らめて俯きそうになるが、御当主の手が紫苑の顎に伸びてきてそれを拒む。
「せっかく久しぶりに見れたんだ、その愛らしい顔をもっと見せておくれ?」
紫苑は恥ずかしさのあまりあたりに視線を逃すが、御当主の顔がぐっと近づいてきて思わず瞳を合わせてしまう。
「やっと私のことを見てくれた」
御当主様はそういうと紫苑の顔を確かめるようにその美しい手で輪郭や頬を撫でる。一通りなで終わると今度は自身の鼻を近づけて紫苑の額、鼻、唇とその香りを嗅ぎ始める。
あまりにも近すぎる距離に耐えきれずに紫苑が思いっきり御当主の胸板を押し返すと、御当主様はきょとんとした顔をして紫苑を見つめる。
「あ、あの!流石に距離が近すぎるかと!それに道中を歩いてきたりと汗もかいておりますので……」
紫苑が顔から火が出るほど恥ずかしい思いをしてやっと言葉にするが、当の御当主は、なんだそんなことかと言った様子で気にしている様子はない。
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