第27話

 朝からバタバタと足音を立てて自分の部屋に飛び込んできた紅にもっと静かにしておくれよと顔を向けると、紅はそれどころじゃない観月の様子が変なんだと今まで見たことがないくらい慌てた様子で袖を引いてきた。


とにかく急いで観月たちが寝起きしている部屋へと行くと、襖を開けた瞬間むせ返るような桜の花の香りが漂う。


一体何ごとかと慌てて観月のそばに寄ると、どうもこの香りは観月から漂ってきているとわかった。


 凛と観月から話を聞き例の夢を見て起きたらこの状態だったと聞き、これは一刻も早く術具屋の楓に診てもらった方が良いと思い部屋に結界をかけて身支度もそこそこに幻灯楼を飛び出た。


◇◇◇


 いつも纏っているような豪華な着物ではなく、白地に淡い雪華模様があしらわれたいかにも雪女風の小袖に薄衣を頭から被り裏路地にひっそり建つ術具屋までやってきた。


 ギィーっと鈍い音を立てながら見世の扉を開けると見世の中は誰もおらずがらんとしている。


 小雪は迷わずそのまま真っ直ぐ見世の奥まで進み正面に現れた古びた大きな机の前までくるとあたりを一瞥して机の奥の壁にかけられた一枚の肖像画に向かって話しかける。


「先日は守りの護符をありがとう、今日は急用があってこちらに来んした。今からわっちと一緒に幻灯楼まで来てはくれんせんか?」


 小雪が壁にかけられた絵から視線を外すことなく話しかけるが、見世の中はしーんッと静まりかえったままだ。


「先ほども言いんしたが、急用でね。これ以上わっちの時間をとるって言うならこの見世を氷漬けにしてあんたを連れて行ってもいいんだよ」


 小雪の足元からパキパキッという音が響くと、いつも淡い水色をしている瞳の色は凍てつく氷のような青みを纏い、身体には周囲の空気すら凍らせるほどの冷気を放っている。


幻灯楼では決して見せることのない小雪の妖としての本性を表したのだ。


 小雪が立つ床がパキパキと音を立てて凍りついていき、気づけば目の前に置いてあった机の上にも霜が降り始めている。


「やめておくれ、やめておくれ!見世を氷漬けにされたらたまったもんじゃない」


小雪の冷気が壁にかかった肖像画まで届こうとした時、先ほどまでただの絵だったはずの肖像画の中の人物が絵の中で動き出す。


「まったく、先日のお客といい僕に対する態度が酷すぎやしないかい?」


肖像画の人物はやれやれとこれみよがしにため息をつくとそのまま動かなくなる。


 それと同時に奥の廊下から一人の男性が現れた、彼こそがこの見世の店主である楓だ。


「あんたのくだらないお遊びに付き合っている時間はないんだよ、このまま急いでわっちと幻灯楼まで来ておくれ」


楓の腕を掴みそのまま見世から連れ出そうとするが、小雪が楓の腕を掴むより早くふわりと身をかわされる。


「待って、待って!いきなり来てそれじゃあ、僕も意味がわからないよ。ちゃんと説明しておくれ」


 楓はそう言うと霜が降り積もってしまった机の上に右手をかざして何やら呟くと先ほどまで凍りついていた机が嘘のように元通りに戻る。


それを見ていた小雪はチッと忌々しそうな表情を浮かべて舌打ちすると、ここに来るまであった出来事をかいつまんで説明する。


「……つまり、観月ちゃんの背中にある呪印と十歳の頃から見続ける夢が悪さしてるんじゃないかって思っているわけね。分かった今から必要なものを準備して幻灯楼へ行こう」


 楓は小雪から今まであったことの説明をあらかた聞き終えると、机の引き出しや近くにある棚の中から何やら道具をいくつか取り出して出かける準備を整える。


楓の準備が終わると、小雪と楓はそれぞれ顔を隠す薄衣を纏い幻灯楼へと急ぐ。


幻灯楼の観月が寝ている部屋に戻ってくると結界を張っていったおかげでまだ部屋の外には香りは漂ってはいない。


 廊下から部屋の中にいる凛と紅に声をかけて入ると、部屋の中は先ほどよりも濃厚な桜の香りが漂っており凛と紅が血相を変えて小雪に駆け寄ってきた。


「ね、姉さん!大変でありんす、観月姉さんの瞳の色が」


 小雪とともに部屋に入ってきた楓など気にも止めずに凛と紅は小雪の袖を引っ張り紫苑の元まで連れて行くと観月姉さん、小雪姉さんが戻って来んした。と声をかける。


ひどく苦しそうな様子で寝ていた紫苑は凛と紅の声に反応してうっすらと目を開けて自分を覗き込む小雪たちの姿を見る。


「姉さん、ごめんなさい。手間をかけさせてしまって……」


小雪は目を開けた紫苑の瞳の色を見て思わず息を呑む。


「姉さんが出ていって少ししたら部屋の香りが強くなって、観月姉さんの瞳が薄紅色に変わってしまったでありんす」


 布団で横たわる紫苑の髪の色は黒いままだが、なんと開けた瞳の色がいつもの黒い瞳ではなく妖のそれにと同じような薄紅色の虹彩になっていたのだ。



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