第13話

 小雪に叱られ泣きながら部屋に戻ると、すっかり慣れたはずのこの部屋がなんだかよそよそしく感じた。


髪飾りを取り着物も楽なものに着替えると紫苑は窓辺までいき外の様子をただ何を考えるでもなく眺める。


(宗介様は今頃何をされてるんだろう……)


 どうにも感傷的な気持ちになって今朝会った宗介のことを思い出してしまう。


紫苑がぼんやりと見世から見える大通りを眺めていると玄関からユウキ様が出ていくのが見える。


ハッと思い慌てて身を隠そうとするがそれよりも早くユウキ様がこちらを見上げて一瞬目が合う。


ほんの一瞬目があったかと思ったがユウキ様はすぐに視線を外して表通りに消えていった。


きっと怒っているだろうなと先ほど自分が起こしてしまった失敗を思い出し再び居た堪れない気持ちが湧き上がってくる。


 失敗してしまったことも心に残っているが、何よりも紫苑が傷ついたのは自分の味方だと思っていた小雪に今までの自分の頑張りを全て否定されたように感じたことだ。


 紫苑は物心ついた時から母と二人暮らしで朝から夜まで働きずめだった母に迷惑はかけれないとなんでも一人で抱え込む癖がついていた。


母が亡くなるとその傾向はより強くなり、気づけば泣くことも無くなった。


周りの迷惑にならないように頑張ることの何が悪いのだ、きっと小雪花魁だって一々私に構われては愛想をつかすに決まっている。


 紫苑はこれからどうすればいいのかと一人で考えていると気づけば表通りを歩く妖たちも減り提灯や行燈の灯りもずいぶん減っていた。


久しぶりに泣いたせいかひどく頭も重いしだるく感じる、早めに寝て明日は凛と紅にその後の様子を聞いておこう……と思いながら布団に潜った。


◇◇◇


 久しぶりに不思議な夢を見た、幽世に来てからは一度も見ることがなかった不思議な夢だ。


夢の中で私は母と一緒に赤い鳥居が連なる場所に立っている、母と私の正面には白髪に額から角を生やした少年鬼が刀を構えてこちらを睨んでいる。


「雪華様、こんなことをしては紫苑の立場が悪くなるだけとなぜ分からない?」


白髪の少年は紫苑の母に向けて怒りを含んだ声で話しかける、そしてそのまま少年は紫苑の元へと一歩踏み出すが背後から一撃が飛んでくる。


少年の後ろには白銀の毛並みを持つ大きな妖狐がいた。


「獣は獣らしく強者の前では尻尾を振っておればいいものを……」


白髪の少年が怒りをあらわにして妖狐に斬りかかるが妖狐は逃げずに鋭い爪で刀を受け止める。


「紫苑!早くこの場を離れるんだ、こいつは僕が足止めする」


妖狐はそう言うと白髪の少年と激しくぶつかり合うがどちらも一歩も引かない、しかし、白髪の少年の方が一枚上手のようでじりじりと妖狐は追い込まれていく。


これ以上見ていられない……と夢の中で瞳を強くつぶると同時に紫苑は目覚めた。


「はぁ……はぁ」


 久しぶりに見た不思議な夢はすごく鮮明で、今までもやがかって見ることのできなかった白髪の少年の顔もはっきりと見ることができた。


夢の中では何故か母と自分は妖たちに追われており今日みた夢では妖狐に助けられていたようにも思う……どちらにしろ紫苑には身に覚えのない不思議な夢だ。


「きっと昨日嫌なことがあったから変な夢を見たんだ」


紫苑は軽く身支度を整えると朝餉をすまし、小雪のいる部屋へと向かう。


(昨日のことちゃんと謝らなくちゃ……)


重い足をなんとか運んで小雪の部屋までいくとそこに小雪はおらず凛と紅が二人で繕い物をしていた。


「おはよう。凛、紅、姉さんは?」


小雪はどこに行ったか聞くと何やら朝から女将と楼主に呼び出されたらしく午前中は帰ってこないと言う。


「姉さんは観月姉さんがきたら湯屋にでも行ってこいって言っていたでありんす」


凛がそういうと小雪から預かったであろうお金が入った小さい巾着を紫苑に渡す。


「これで湯屋に行って好きなものでも買ってこいって姉さん言ってた!」


紫苑が渡された巾着を不思議そうに見つめているのを察し紅が言う、そして続けてこうも言った。


「昨日は姉さんも言いすぎたって思ってるんだよ、けど観月姉さんはいつも一人で抱え込んでわっちらに何も相談してくれないから、小雪姉さんだって寂しく思うよ。もちろんわっちらも寂しい……」


凛と紅は紫苑の方を見たままどこか所在なさげにモジモジとこちらを伺っている。


 寂しい……そうか、私は迷惑をかけないようにと言いながら自分が傷つくのが怖くて他人と必要以上に距離をおいていたのかも知れない。


 凛と紅の素直な気持ちを聞いて凝り固まっていた紫苑の心が解ける。


 心配そうに紫苑の方を伺っている姿を見ると自分はここに来てから今までこの子達に一度も本音で向き合ったことなどなかったと思い出す。


「凛、紅、ごめんね。心配かけたね。これからはもっとみんなの事を信頼して話せるようになるから」


 大切なことに気付き、思わず泣きそうになるがぐっと涙を堪えて笑顔で凛と紅に言うと、凛と紅は大きな声をあげて泣きながら紫苑の胸に飛び込んで来る。


「観月姉さんいつも不安そうな顔をしてるのに何もわっちらに言ってくれんせんから慕っているのはわっちらだけなのかとずっと思っていんした」


「凛の言う通りでありんす!いずれこの見世を去ることは分かっておりんすが、こうもずっと他人行儀でいられるとわっちらも傷つくよ」


凛と紅はわんわん泣きながら今までずっと我慢して言わなかった事をここぞとばかりに紫苑にぶつける。


しばらく大泣きすると凛と紅は落ち着いたらしく、子供らしい笑顔を向けてこれから改めてよろしくお願いしんすと頭を下げた。


◇◇◇


 凛と紅の二人と話を終えると紫苑は一人で湯屋まで来ていた。

いつもは小雪や凛と紅も一緒に来るのでこうして一人で来るのは初めてだ。


 湯屋に入り着物を脱ぎ湯に浸かると今までずっと張り詰めていた緊張の糸が緩むのを感じる。


 この幽世に来てから確かに一度も気を緩めることはなかったように思う……小雪たちはとても良くしてくれるがどうしても妖だと思うと素の自分を晒すことはできなかったのだ。


 しかし、今日凛と紅から本心を聞いて初めて自分がしていたことの愚かさに気づいた。


「一人で抱え込まずに周りを頼れ……か」


 久しぶりにゆっくり湯に浸かったせいか湯屋を出る頃には気分もさっぱりとしており、このままちょっと稲荷神社にでも寄って行こうかと足を向ける。


稲荷神社に着くと数名の女郎の姿があったがしばらくすると神社を出ていった。


誰もいなくなった稲荷神社で紫苑は手を合わせここから無事に出て村に戻れるように、小雪に凛、紅に幸せが訪れるようにと願いをかける。


 手を合わせ終えて神社の社から出るとそこには鉄紺の着物に花色の美しい文様を裾に散りばめた羽織を着た宗介がが立っていた。


 赤い鳥居が連なる神社の入り口を背に立つ宗介を見ると何故か今朝見た夢を思い出し鼓動が高鳴る。

どくどくと脈打つ胸の音に耐えきれずに紫苑がその場にしゃがみ込んでしまうと宗介は慌てて紫苑の元に駆け寄る。


「大丈夫かい?少しそこで休もうか」


宗介はそう言って紫苑の手を取り近くに置いてあった長椅子に紫苑を座らせる。


 しばらく胸の動悸がおさまらず荒くなった息をどうにか整えようと深呼吸していると少しずつ体調が戻ってくる。


「すいません、ちょっと目眩がしたので」


心配そうに隣に座る宗介にそう言うと紫苑はなんとか作り笑いを浮かべる。


「無理をしなくても大丈夫だよ、それにしても社から出てきて目があったと思えば急にしゃがみこむから一体どうしたのかと驚いたよ。今までも突然体調を崩すことはあったのかい?」


 宗介が心配そうに訪ねてくると紫苑は思わず大丈夫ですと答えそうになるが、今朝凛と紅に言われたことを思い出し宗介にならあの不思議な夢の話をしてみてもいいのではと考え直す。


「どうしたんだい?何か困りごとがあるなら力になるよ?」


宗介に優しくそう言われると、今まで紫苑の中に溜め込んでいた不安や疑問が堰を切ったように溢れ出す。


「実は私が十歳の頃からたびたび不思議な夢を見るようになって……」


 紫苑は今まで見た夢のことや今朝見た夢、そして先ほど宗介を見た時に感じた不思議な感覚について隠すことなく伝えた。


宗介は紫苑が話し始めると時々ひどく驚いたような表情をしていたが、最後まで黙って話を聞いてくれた。


「ごめんなさい、こんなこと言われても困りますよね……」


紫苑は自分でも急に何を言っているんだと我に帰り顔を俯かせて宗介に謝ると、宗介に強く手を握られる。


「観月ちゃん君……。いや、なんでもない。しかし不思議な夢だね、妖の中でもそんな話聞いたことがないな」


 宗介は一瞬見たことがないくらい真剣な瞳で見つめられたかと思ったがすぐにいつも通りの掴みどころのない笑みを浮かべた顔になる。


「そういえば、観月の親の名はなんと言うんだい?きっと母か父はいたのだろう?」


「私はずっと母と二人で暮らしていたので父のことは知りません、母は雪華と言って私と違って優秀な術者でした」


宗介は紫苑の母の名を聞くと一瞬目を見開き笑みを浮かべたが紫苑は宗介の変化には気づかない。


「そう言えば、ここに来た日も姿眩ましの術を使っていたね。妖力とも違う力を使っている様だけど……」


「私は母からの遺伝なのか幼い時から不思議な力がありまして、その力を使って術を使ってます」


宗介はその後もいくつか紫苑の育ってきた環境について聞いてきたが紫苑は特に怪しむこともなく本当のことを教える。


 話の区切りがつくと紫苑は今までずっと抱えてきた不安や得体の知れない夢の話を宗介にしたことで、今までずっしり重く心を塞いでいた重荷が解けるのを感じ宗介の方を見て笑顔で礼を言う。


「宗介様、今日はありがとうございます。お話を聞いていただけただけでずいぶん心が軽くなりました」


紫苑がお礼を言うと、宗介は優しい笑みを浮かべて力になれてよかったと紫苑の頭を優しく撫でくれた。


「そろそろ見世に戻らないと花魁に怒られちゃうね、見世まで送っていこうか?」


「いいえ、大丈夫です。本当にありがとうございました」


紫苑は立ち上がり礼を言うと手を振る宗介を背に見世へと続く道を歩いていった。

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