合理と直観

サヨナキドリ

理屈じゃないこと

 私の彼氏は、ひどく理屈っぽい。


「ごめんね、待った?」


 私の声に、駅の出口で立っていた彼は左腕に着けた時計を見て言った。


「約束していた時間まであと10分ある。待っていた時間、というのは約束の時間を超過した分を計算するべきだ。然るに、俺は少しも待っていない」


 気にしないで、のひとことで済むようなこともこの調子なので、私はまゆげが片方だけ下がったような微妙な表情になってしまう。せっかくのデートだというのに。


「では、少し早いが行こうか。目的のカフェまでのルートは記憶してある」


 そう言ってすたすたと歩き始めた。


「ちょ、ちょっと待って!」


 呼び止める私に彼が振り返る。


「どうかした?」

「その……手とか繋がないの?せっかくのデートなのに」


 私の言葉に、彼は訝しげに眉を寄せる。


「手を繋ぐ?なんのために」


 こんな反応だ。心が折れそうになる。恋人と手を繋ぐのに目的が必要だろうか。もう、帰ってしまおうか。


「別に、理由はないけど……」


 口ごもりながら私が言うと、彼ははっとしたように目を見開いた。


「つまり、君が手を繋ぎたいのか?」


 その言葉に、私は黙って俯く。すると、彼の右手が私の左手を掴んだ。


「!?」


 驚いて顔をあげる。


「では、移動中は手を繋いでいよう」


 まるでそれが当然かのように彼は言った。


「嫌なんじゃなかったの?」

「嫌じゃない。ただ手を繋ぐ理由がなかっただけだ。君がそうしたいのなら、手を繋がない理由の方がない」


 彼は平然とそう言って歩き始めた。私は、さっきとは違う意味で俯いた。



 着いた喫茶店はコーヒーもさることながら、スイーツが美味しいことで評判の店だ。コーヒーと共にテーブルに置かれたふわふわなパンケーキの写真を撮っていると、正面に座った彼のため息が聞こえた。


「何?」

「別に、非合理的だなと思っただけだ」


 そう言って彼は自分のスイーツの皿を手前に引き寄せる。


「パンケーキの材料は卵、牛乳、小麦粉、砂糖と非常に原価の安いものばかりだ。味も単純に甘く、トッピングもホイップクリームではパティシエの技量を計ることもできない。この店のメニューで言えば、果実をふんだんに使用して、上質なバターと2種のクリームで構築された、甘味と酸味そして食感のハーモニーを味わえるこのナポレオンパイを注文するのがコストパフォーマンス的・味覚的にも最も合理的なはずなのに」


 その言葉に私は頬を膨らませた。ひとの注文にケチをつけるものではない。彼としては完全に善意のアドバイスのつもりなのだろうけれど、むしろその分タチが悪い。


「いいですよ、別に非合理でも。そんなこと考えて注文してないし」

「しかし」


 なおもいい募ろうとする彼に、私はパンケーキを刺したフォークを突き出した。


「半分ずつ交換。2種類の味を楽しめる方が、合理的でしょ?」

「えー……」

「嫌なら私がそっちを半分もらうだけにするけど?」

「不条理な……」


 不満そうにしていた彼も、仕方なくといった様子で口を大きく開けた。


「はい、あーん」


 目を瞑って味わっている。


「……美味しいな。悔しいが」


 その言葉に思わず笑みが溢れる。


「手法としてはメレンゲなのだろうけど、ふわふわとした食感と卵黄の香り、甘さと温かさが実に良くマッチしている。絶妙だ」

「でしょう?じゃあ、今度はそっちの合理的なパイとやらを」


 そう言って私は口を開ける。


「あの、この食べさせ方はどうにかならないのか?半分に切って互いの皿に乗せた方が合理的……」

「あーん」


 私が目を瞑って口を開けていると、観念したようなため息が聞こえて口の中に甘い気配が。


「……うん。ほんとに美味しい。次来た時はそっちを頼もうかな」


 そう言って今度はパンケーキの方を口に運ぶ。


「ね?これで分かったでしょ?合理的じゃない選択だって美味しいんだって。美味しいとかまずいとか、好きとか嫌いとかは理屈じゃないんだから」

「合理的な選択の方が合理的というのは、トートロジーの域なのだが……あ。」


 まだ少し悔しそうにそう言っていた彼は、何かに気づいたように口を開けた。


「どうかした?」

「ひとつあったな」

「何?」

「俺が君を好きなのは理屈じゃない」

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合理と直観 サヨナキドリ @sayonaki

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