過ぎ去りし時2
「――なるほど。あ奴の言ってたその時とはこの事だったのか」
私は依然と自分が何をしたのか。どういう状況なのか。全てに置き去りにされてしまっていたが、打って変わって真口様は確信的な何かを得たようだった。
「お前……。邪神か」
「えぇ」
何の躊躇いも隠す事も無く自らを邪神であると認めた寿々木さんは余裕で満ち溢れていた。
「――おい。離れてろ」
それに対し真口様は私を見下ろしそう指示をした。真剣味を帯びたその声に私は何も言えず、ただ言われた通り彼から一歩二歩と離れた。
体が上下するのが見える程に深い呼吸をする真口様は本調子という言葉とはかけ離れている。でもまだ現状を理解できていない私には何も出来ず、ただ時間と共に流れる現状を見届けるしかなかった。
「全力ならまだしも、もはや残りの力も尽きかけているあなたに出来る事はありませんよ」
余裕と自信に満ちたその言葉に真口様は何も答えなかったがその代わりと言うように彼は寿々木さんの方へ駆け出した。全身の毛を後方へなびかせながら一気に間合いを詰めると真口様は大きく口を開けて飛び掛かる。
傍から見ているだけでもそれは迫力のある光景だったのだ、もし自分が当の本人だと思うと身の毛立ってしまう。
だが寿々木さんの表情から余裕が剥がれ落ちることは無かった。それどころかすぐ眼前まで脅威が迫っても尚、避けようとも防御しようともせずただ佇むだけ。そしてついに真口様の狂気に光る牙が寿々木さんの喉元へ、そこに流れる生き血を浴びようと動き始めたその時。
私の目では捉える事の出来ない何かが真口様の体を鳥居の方へ(方法は分からないが)飛ばしてしまった。参道の上に叩きつけられた真口様は一度二度と跳ね、最後は拝殿と鳥居の間辺りまで引きずられるように滑りそこで止まった。
「真君!」
私は叫びながら真口様の元へ駆け寄った。地面に横たわる彼の砂埃に汚れた白銀には所々に赤色が交じっている。
それが何を意味するのかは当然ながら幼い私にも分かる。それ故に嫌な言葉が頭を過り泪が溢れ出してきた。もしかしたらと思うと怖くてボロボロと頬を濡らした。いくら泣こうとも不安や恐怖が一緒になって流れ落ちる事はないのに。
「大丈夫? ねぇってば!」
私は必死になって真口様の体を揺らし声を荒げた。
するとそんな私に答えてくれたのか真口様は微かに目を開き私へ今にも消えそうな視線を向けた。
「良かった」
私は安堵に包まれながら真口様に抱き付いた。だが無事という言葉を当てはめるにはあまりにも呼吸は小さく弱々しい。でも私はまだ生きている事にホッとしていた。
するとそんな私を汗が滲むほど暑い夏の夜だというのに身震いしてしまいそうになる程の寒気が突然襲った。私は真口様に手を触れながら反射的に顔を拝殿の方へ(何故か寒気の原因はそこにあると分かっていたから)。
そこには依然と寿々木さんが居たのだが、先程よりも黯い何かは彼を大きく包み込み禍々しさはより増していた。今すぐにでも逃げ出し出来るだけ遠くへ行ってしまいたいと思わせる程に。
だがその本能とも言うべき感覚に逆らい私は真口様から離れようとはせずただ変わり果てた寿々木さんへ視線を向けていた。
「あぁ。これだよ。随分と長い間味わえていなかった感覚だ。この感覚が彼らの怒りであり苦しみであり憎しみ。そして……僕の存在理由」
その快楽に満ち嬉々とした声だけは未だ寿々木さんだったがその姿はもはや闇そのもの。人の形をしているという点だけが私の知っている寿々木さんとの共通点だった。
「そして――」
呟くように小さく辛うじて聞き取れる程度の声が静かに響くと神社を照らしていた月を雲が覆い隠した。辺りは不気味な暗さに包み込まれ嫌な涼しさが体を通り過ぎていく。同時に恐怖に乱れ始めた私の呼吸でさえよく響いてしまいそうな静けさが辺りを徘徊し始めた。
だが寿々木さんの声がそんな静寂を一瞬にして消し去った。
「本当の僕だ」
寿々木さんはその言葉と共に両手を大きく広げ星も輝かない空を大きく見上げた。直後、纏っていた黯い何かは一気に体から離れ彼を中心にし円を描くように周囲へと広がっていった。オーラとでも表現すればいいのか目には見えていても触れる事の出来ないそれはあっという間に私たちを取り込むように通り過ぎる。
でも不思議と体やそれ以外に何か変化が起きたという訳でもない。
そう思った直後。地面が私を振り落とそうとしているかのように大きく揺れ始めた。それは今の私からしても人生の中で一番大きな揺れ。突如として小さな島を大地震が襲ったのだ。怖くなった私は真口様に抱き付いた。決して離れないように強く。
だが幸いなことにその地震はさっきの揺れが嘘のようにすぐに収まった。何事も無かったかのように動きを止めてくれた。
私は地震が収まりホッと胸を撫で下ろすと真口様から体を離したのだが、その時ある事に気が付いた。雨が降り風が吹き荒れ始めているということに。そして段々と更に激しさを増していったそれは瞬く間にただの雨風じゃなくて豪雨や暴風――いや颶風と言ってもいい程に強く、そして激しくなった。小さな私の体などあっという間に吹き飛ばしてしまいそうな風と弾丸のように降り注ぎ小さな島など海底に沈めてしまいそうな雨。
でも私はそれらをまるで画面越しに見るかのように冷静に観察することが出来た。それはどういう訳か神社内だけには、関係ないと言うように雨一粒や風ひと吹きすらも入り込んでこなかったから。周りの木々は荒れ狂う程に揺れているのにも関わらず神社内は酷く静かだった。
「素晴らしい。流石は僕の大部分を封印した人間だ」
拝殿から私たちの方へ足を進め神社を見回しながら言葉を口にした寿々木さんからは偽りのない感心の二文字が伝わってきた。
「これだけの時が流れても尚、強力な結界。あの森を覆っていたモノもね」
そして彼はついにすぐそこまでやってきた。私は気が付けば体が動き出し、気が付けば真口様の前に出ていた。真口様の前で大きく腕を広げ彼を守るように寿々木さんの眼前に立ち塞がった。
「ダメ! 何もしちゃダメ!」
私の前で立ち止まった寿々木さんはその場でしゃがみ目線を合わせる。
「どれも君の協力なしでは成し得なかったことだ。ありがとう」
そしてゆっくりと私の顔へ手を伸ばした。
でも私は今の彼が怖くて嫌で、その手を避けて目を瞑り顔を逸らす。
「その恐怖も嫌悪も僕にとっては悪いものじゃない」
途中で止まったのか顔を逸らしてから聞こえてきたその声の後に手は私の頬へ触れた。驚く程にどこまでも人の手の感触が頬から伝わる。そして彼の指は悪夢から覚めるよう願うように強く瞑った目から零れ落ちた一滴の泪を拭った。
そしてそのまま顔から手が離れると私は恐々と視線を目の前の彼へ戻した。
「君の大好きな真口神。実を言うと彼と僕はそこまで変わらないんだよ」
「違うもん! 真君は悪くないもん」
「人を喰い畏れられ人々からもう傷つけないでくれと願われた真口神」
すると寿々木さんは何かを考えていたのか少しその場で黙り込んだ。
「――僕は元々一本の木だったんだ。杉の木。どこにでもあるただの木」
そして口を開いたかと思うと今度は自身の話を始めた。
「だけどある日、一人の女性が僕の体に釘を打ち付けた。藁人形って言うんだっけ? 一打一打、憎しみの籠った金槌で釘を打ったんだ。でも実はあれって神社の御神木にするらしいね。でも何故か彼女は僕に憎しみをぶつけた。その憎しみを受け取った僕はどうにか彼女の力になりたいって強く思ったんだ。するとある日の丑の刻、僕は体を手に入れていた。人の形をしてた事だけは覚えてる。そして僕は男の元に向かったんだ。何故か居場所もどんな顔の人かも知っててそこへ向かった。男は僕の元を訪れた女性とは違う別の女性と並んで寝てた。その男を見下ろしながら僕はあの女性の一打一打を思い出した。体中へ鼓動の様に響く振動と駆け抜ける憎悪」
その時の感覚を思い出しているのか彼は目を瞑り胸へ手を当てると少し上を向いた。
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