第五章 過ぎ去りし時

過ぎ去りし時1

 それからどれくらい経ったのだろう。当然ながら私が覚えているのはその意識を失った瞬間と目覚めた時だけ。間はすっぽり抜け落ちている。当時の感覚でも気が付けばその時間帯にそこにいたという感じだ。

 いつもの枕とも祖父母の家の枕とも違う感触を頭の下に感じながら私は目を覚ました。寝ぼけ眼のその視界に映っていたのはすっかり日も落ち暗くなった森。


「おや。目が覚めたみたいだね」


 それと私を覗き込む寿々木さん。どうやら私は彼の膝枕で寝ていたようだ。まるでタイムスリップでもしたみたいに私は何が何だか分からないまま体を起こし、まだ眠たい目を擦った。


「あれ……私?」

「急に倒れたからビックリしたよ。きっと疲れちゃってたんだろうね」


 そう言われると確かにそうな気がする。だって真口様の為に森を歩き回っていたのだから。

 陽が沈んだとはいえまだ暑い夏の森で、生温い風を浴びながら段々と眠気が飛んでいくのを感じていると、背後で寿々木さんの立ち上がる音が聞こえた。


「さて、それじゃあ行こうか」


 私はその言葉に振り返り彼を見上げた。


「どこに行くの?」

「もちろん。真口神を助けにだよ」


 段々と鮮明になり始めた脳裏では辺りの暗さに帰宅の事を考えていたけど、彼の一言でそれは私の頭から出て行き肌を撫でた風を追いかけていった。

 そして寿々木さんの後に続き洞窟まで戻った私は、そこから伸びる道を最後まで進み神社の閉じた木造の門と顔を合わせた。境内側からは見たが裏側から見るのは初めてだ。だが大した差異は無く強いて言えば南京錠の有無ぐらいだろう。

 すると門の前で立ち止まった寿々木さんは片手を閉じた門へと伸ばし始めた。私は鍵が掛かっている事を知ってたから開かない事は分かってたし、だからそれを教えてあげようと口を開いた。

 だが、私の音よりも先に辺りには別の音が響き渡った。

 彼の手が門に触れると金属の落ちる音が聞こえ、何年――いや何百年ぶりに動くのか悲鳴のような軋音を立てながら門は神社の内と外とを繋げた。


「――古くなってたんだろうね。それで壊れやすくなってたのかも」


 まるでマジックでも見たみたいに一驚こそしたが、それを察したのか寿々木さんの説明する一言に私は興味リストからその出来事を削除した。


「さぁ、誰もいないだろうし今のうちにやっちゃおうか。忍び込むみたいでちょっと悪い事してる気分だけど」


 確かに陽が沈んだ暗闇の中、一人(正確には寿々木さんと一緒だが)で外にいるのも含めしちゃいけない事をしている気分だった。実際、良いか悪いかで言えば悪いのだが。

 そんな風に寿々木さんの言葉に共感を覚えながらも私は彼の後を追い、月明りに照らされた神社内を進んだ。

 そして彼に続いて足を止めたのは拝殿の前。普通なら参拝をする場所で立ち止まるとお賽銭を入れる訳でも拝礼をする訳でなく彼はただ顎に手を当て奥を見つめた。気にする程でもない時間の間、その状態でただじっと。

 だが微かに口角を上げると顎に当てていた手を無言のまま伸ばし視線の先を指差した。


「あれだよ」


 そしてそう一言。

 しかしその指と言葉が指す方へ顔を向けてみたがそこには一目見ただけで分かるような物は何もなかった。


「どれ?」

「暗くてよく見えないかな? とりあえず中に入ってみれば分かるよ」

「え? 私が中に入るの?」


 いくら幼いとはいえ、いくら駄目と言われながらこっそりと神様に会いに行ったとはいえ、この中に入るのは流石に抵抗があった。真口様の所はよくて何故ここが駄目なのかと訊かれればそれは口ごもってしまうが(建造物だから他人の家に侵入する気分になってしまうんだろうか)。


「大丈夫。ほら周りは見ててあげるから。君の手で真口神を助けてあげよう」


 抵抗感はそれでも拭えなかったが真口様の為と言われれば断る事は出来ない。渋々といった感じではあったが私は寿々木さんの手も借りて自分の背程ある木柵を飛び越えた。

 中に入ると三方向が壁で覆われてるからなのか若干だが涼しさを感じた。そして着地した後に階段状になった棚を見上げてみると、そこにはさっき彼が指を差していたと思われる古い箱が、真ん中に堂々と置かれていたのだ。彼の言う通り暗かったから分からなかったのか? そんな疑問が浮かぶがさっきの場所とあまり距離はない。


「さぁ。早くさっきの鍵でそれを開けちゃって。それで全てが上手くいくから」


 だがそんな些細な疑問など後ろから急かすように聞こえてきた寿々木さんの声に軽く掻き消された。

 ――真口様を助ける。

 私の脳裏には洞窟で眠る真口様の姿が思い浮かんでいた。


「私が助けるの」


 決意を自分に言い聞かせるように呟くとショルダーポーチから鍵を取り出した。古い鍵から古い箱へ視線を移しまた古い鍵へ。

 そして一度頷いた私は足を進め古い箱の前に立った。もう一度鍵を見遣る。


「さぁ。乃蒼ちゃん」


 背中を押すように聞こえた寿々木さんの声に私は鍵を箱にある鍵穴へと差し込んだ。


「おや?」


 だが直後、聞こえたその声に私は思わず振り返る。寿々木さんは私たちが来た方へ顔を向けていた。誰かいるのだろうか? もしかしたら神主さんがいたのかもしれない。若干の不安が込み上げる。

 でもこちらへ顔を戻した寿々木さんは微笑みを浮かべた。


「何でもないよ」


 その言葉に不安は姿を消し私は鍵を差し込んだ箱へ視線を戻した。

 あとは鍵を回し箱を開けるだけ。それだけで真口様が助かる。


「さぁ、助けよう。君の手で」


 私は手に力を入れ鍵を回した。

 カチャ、という気持ちの良い音が鳴ると一瞬の沈黙が辺りへ緊張を漂わせる。私はその沈黙の中、箱を開こうと手を動かし始めた。

 だがその瞬間。私が手を触れるまでもなく独りでに蓋が開くと、中から我先にと飛び出してきた大量の黒い何か。噴水のような勢いで飛び出してきた何かはすぐ目の前に立っていた私をついでと言うように吹き飛ばし拝殿の外へ。放り投げられるように拝殿の外まで飛ばされた私だったがその小さな体は優しく受け止められたおかげで痛みを味わずに済んだ。


「良くやったね。良くやったよ」


 言葉を聞きながらゆっくりと目を開ける。そこには私を抱き抱えるように受け止めてくれた寿々木さんがいて、彼は両親が私を褒めてくれる時と似た笑みを浮かべた。


「一体何をした?」


 だが私は彼と喜びを分かち合うよりもその声に意識を持っていかれた。聞き慣れたその声の方へ目を向けてみると、そこには真口様が寿々木さんと対峙するように立っていた。その姿に寿々木さんへ一言のお礼も言わず私は走り出す。

 そして彼の脚に思いっきり抱き付くと安堵と歓喜に満ちた声でこう言った。


「もう大丈夫だよ! 私が助けてあげるって言ったでしょ!」


 これで真口様が助かる。私が助けてあげられた。

 それを私は信じて疑わなかった。


「お前は一体何だ?」


 だが返ってきたのは私を褒めてくれる言葉でも無事を喜ぶ言葉でも無かった。聞こえてきたのは真口様の攻撃的で警戒心の強い声。

 そしてそれは私ではなくもう一人へと向けられていた。その言葉に顔を見上げてみると彼は変わらず真っすぐと寿々木さんへ鋭い視線を向け続けていたのだ。

 私は真口様の視線を追うように顔を寿々木さんへ。何だろうと軽い気持ちで振り返った私だったがその想像すらしていない光景に思わず息を呑んだ。

 拝殿の前でこちらを向いて立つ相変わらずの微笑みを浮かべていた寿々木さん。それだけ見れば何も変わらないがあの古い箱から出て来た黒い何かは、その体へ纏うように彼の周りを飛んでいた。

 それが一体何なのか想像すらつかなかったが、(第六感とでもいうのか)どことなくその黯い何かは近づいてはいけないモノだと思った。どこか怖く、出来れば逃げ出したいとそれを見ながら感じた。更にそれの所為か、今そこに私の知る寿々木さんはおらず嫌悪感すら抱いてしまう程に禍々しさを感じる彼がそこにはいた。


「礼を言いうよ。乃蒼ちゃん。君がいなければあの森の結界も鍵を見つけ出すことも――この封印を解くことも叶わなかった。でもこうして僕は本当の自分を見つけることができたんだよ」


 それは優越感に染まった嫌な笑みだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る