第四章 神様の余命
神様の余命1
次の日。この日も私の足が向かっていたのは真口様の所だった。もう目を瞑っても辿り着けそうな程に慣れた道を歩き神社へ行くと、階段から下りてきたサングラスの二人組がそのまま向こうへ歩き去っていくのと遭遇した。あっちは丁度、私に背を向けたところだったから気が付いてなかったし、別に私も声をかけるようなこともしなかったから特に顔を合わせることも言葉を交わすことも無くそのまま洞窟へ。
だけど真口様はいくら呼んでも姿を見せず、私は洞窟の中へと足を進めた。ある程度進むといつもと変わらず灯りが点り、いつもと変わらずそこには真口様の姿。寝ている。私はそんな彼を起こし今日は何して遊ぼうか、なんてことを考えていた。
でも真口様は私が声を掛ける前に目をゆっくりと開いた。いつもより細目の寝ぼけ眼で私を見下ろすと、今すぐにでも眠りたいというような声が洞窟内へ静かに反響する。
「今日は何も出来ん」
絞り出したような小さな声。その後、限界だと言わんばかりに真口様の目が閉じていく。私はそんな真口様を見つめると少しだけ撫でてやり静かに洞窟を後にした。
でも外に出た私はすぐに振り返り洞窟の暗闇を見つめた。蝉の声もしない――田舎の夏にしてはやけに静かなこの場所にそっと風が流れると私に話しかけるように木々が葉を揺らす。樹木の言葉は分からないけどそれがどこか優しい声に聞こえのは、私が今日は一人だということに寂しさを覚えつつも元気のない真口様が少し心配だったからなのかもしれない。
だけどそこでじっとしていても何かが変わる訳じゃないし、何よりどこかで遊びたかった私は洞窟から顔を逸らすと神社の階段へと足を進めた。
「乃蒼ちゃん」
それは丁度、神社の階段を下り切った時。不意に名前を呼ばれた私はぴょんと跳ねながらその声の方へ体ごと向けた。
そこにいたのは寿々木さん。
「また会えたね」
「こんにちは」
「こんにちは。神様の事だけど大丈夫? 実はちょっと気になっちゃってて……」
まだ声に成れなかった分の言葉がありそうなまま口を閉じた寿々木さんだったが、その表情は何か気掛かりがあると代弁ていた。
「大丈夫だよ。どうしたの?」
その言うべくして言ったような質問に寿々木さんは、まずその場でしゃがみ私と目線を合わせた。
「実は僕、学者をしてて神話とかそういうのを色々と調べる仕事をしてるんだ。だから神様には結構詳しいんだけど……」
寿々木さんは言いずらそうに口をもごつかせた。そしてこちらから訊くには短すぎる沈黙を挟んでから続きを口にした。
「――もしかしたらあの神様は危険な状態かもしれないんだ」
だけど私はその言葉にいまいちピンときてなかった。それを察したのだろう寿々木さんは更に話を続ける。
「乃蒼ちゃんは毎日ご飯食べるでしょ?」
「うん。ママとばぁばの作ったご飯とってもおいしいんだよ!」
「それは良かったね。実は神様っていうのはご飯は必要としないけどその代わりにみんなからの信仰心が必要なんだ。簡単に言うと神様を心から信じて敬うことなんだけど。でもここの神様にはそれが殆どない。恐らくそれは長い間、封印されてたからなんだと思う。封印されて人々と遠ざかったまま長い時間が経った。だから今、彼への信仰はもうないと言っても過言じゃない。だからつまり――」
「ずっとご飯食べてないの?」
「まぁそう言う事だね」
そう言われてみればつい先ほどの真口様は眠そうじゃなくて弱り辛そうにしていたようにも思えなくない。
「でも私は神様のこと信じてるよ」
「そうかもしれないけど、それだけじゃ足りないんだよ」
「じゃあこのままだとどうなっちゃうの?」
「そうだね。このままだと……」
寿々木さんは言いずらそうに一瞬、視線を逸らす。
でもすぐにそれは戻って来て、少し小さな声で続きを口にした。
「――消えちゃうかも」
私は驚愕のあまり言葉を失った。同時に瞠目し心臓を握られているかのように胸へ少し苦しさを感じた。そして一瞬だが息も。
すると慌ただしく動く感情の中、私の脳裏にあの時の出来事が鮮明に浮かび上がってきた。それは私が注連縄を外し真口様をあの洞窟から出した時のこと。
「あそこから出ちゃったせいなの?」
影から覗く視線を背に感じ恐々としながらも私はそう尋ねた。
そこに確信とかは無かったけど多分、私は寿々木さんに否定して欲しかったのかもしれない。
「長い間、封印されててもその存在が消えなかったってことは恐らくそうだね」
「出なかったら大丈夫だったの?」
「言い切ることは出来ないけど封印によってその存在を保つ何かはされてたと思うから、封印が解けて外に出て来た所為で信仰心が必要になってそれが無いから存在を維持できないんだと思う」
確かに真口様の封印を解いたのも私。彼を数百年ぶりに外に出したのも私。だけど時計の針を進め始めたのも私。今のあんな状態にさせたのも私。そしてこのままだと真口様がいなくなる。私の所為で。
そう思った瞬間、私は背後に現れた恐怖に力強く抱かれた。深く暗く冷いそれは嘲笑するようにじっくりと体に纏わりつき、脅えた心臓が強くそして速く脈打つ。恐怖の手が喉元に触れただけで不安が詰まったように息苦しい。段々と込み上げてくる何かに伴い視界がぼやけ始める。体の隅々まで染め上げられ抜け出せない深い暗闇に引きずり込まれていく感覚だ。
私は今にも泣き出しそうだった。
「大丈夫」
でもそんな私を引きずり出し助けてくれたのは寿々木さんだった。
「まだ確信はないけど、もしかしたら助けてあげられるかもしれない」
「ほんとに?」
涙声の私はそう訊き返した。
「絶対って約束はできないけど、出来るかもしれない」
寿々木さんのその言葉は希望の光として私を照らし恐怖を影の中へと追いやってくれた。
「でもその為には乃蒼ちゃんにも手伝って欲しいんだ。いいかな?」
一本道を歩くが如く迷う理由のないその質問に私は即答した。
「うん!」
「それじゃあまずはあの森に行こうか」
そして私は寿々木さんと一緒に洞窟を通り過ぎた先の森へ向かった。一方でまだ慣れないのか今回も手を繋いで道なき道を進む。
そしてもう何度目になるだろう。森は見慣れたようにも見えるが相変わらず全てが同じ景色に見える。
「じゃあ説明するね。まず今の神様を助ける為に必要なのは、信仰心か強力な力なんだ」
「力?」
そう言われても良く分からず、首を傾げる私。
「乃蒼ちゃんはここの神様の話は聞いたことある?」
「うん。ばぁばにしてもらったよ。よく分かんなかったけど」
「少し難しいかもね。ここの神様はその昔、陰陽師っていう仕事をしている人によって封印されたんだ。それ以来、あの神社で封印が解けないように管理してる」
私はその話を聞きながら改めて自分は(真口様と神主さんに対して)悪い事をしたのかもしれないと少し自責の念に駆られた。
「でも実はあの神社にはもしもの場合の備えがあったんだよ。もしも封印が解けた時に自分の末裔が居なかったら、もしくは再度封印するだけの力がない程に衰えてしまっていたら。なんて当時の陰陽師は考えたのかもしれない」
「また閉じ込めちゃうの?」
そんな私の問いかけに寿々木さんは少しだけ真一文字に口を結んだ。
「――そうだね。それがいいのかもしれない。けどあの神様は文献通りの悪い神様とは僕も思えないからどうなんだろう。でもとりあえずその備えられた力を使えば神様は元通りになってしばらくの間は平気だと思うよ。だからまずは彼を元気にして、それから訊いてみよう。どうすべきか」
「うん」
真口様が無事でいることが一番なのは分かっていたけど、彼とまだ一緒に居られそうなことに私は少しホッとしながらも嬉しさを感じていた。
「そこで! 僕たちがここですることだけど、今から探すんだ」
「探す? 何を?」
「鍵を。ね」
私はまるで彼の掌で踊るように首を傾げた。
「さっきも言った力の備えだけど、当然ながら簡単に開くことは出来ない。厳重な錠で閉められてるんだ。だからそれを開く鍵を探す」
「ここで?」
「そう」
神主さんが持っているじゃないの? 子どもながらに私はそう思っていた。そんな私の心を読んだのかそれともまだ踊らされてるだけなのか寿々木さんはその説明を始めた。
「分かるよ。でも彼女はただの陰陽師じゃない。それに自分の管理の行き届かない未来まで残り続ける以上、ちゃんと安全を保つために万全を期したかったんだと思うよ。もっと言えばあれは特殊なものだからその為の鍵も特殊なんだよ。形は普通の鍵を思い浮かべてくれればいい。――まぁとにかくその鍵を見つけないと。神様の為にもね」
私は自分を包み込むように広がる森へ目をやった。こんなだだっ広い森でどうやって鍵なんて探すんだろうか。私の脳裏にはいつも母が家のドアを開ける時に使う鍵を思い浮かべていたから余計に無理な気がしていた。
「大丈夫。言ったでしょ。鍵も特殊なんだって。だから重要なのは強く願う事。心の中で鍵を求めるんだ。そうすれば鍵は見つかる。――よし! 早速探そう。時間もないことだし」
そう言うと寿々木さんは辺りを見回しながら先に歩き出してしまった。正直に言うとまだ全然分からなかったが、とりあえず鍵を探すことが真口様の為になると言い聞かせるように解釈した私は張り切ってその後に続いた。
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