人喰い神獣5

 翌日の昼過ぎ。私は宣言通りまたあの洞窟へと向かった。もちろん神主さんにはバレないようにこっそりと。

 洞窟に着くと当たり前のように注連縄を潜り中へ。少し奥まで進むとまるで私を出迎えてくれるように壁に火が灯った。私は足を止めるとその灯りに照らされた気高い白銀の神様を見つめた。見舞い違いじゃなくてちゃんとそこにいた事に少し安心しながら。

 そんな神様は体を丸め静かに寝ている。


「神様お昼寝中?」


 ただ微かに上下する大きな体を眺めた後、何故その結論に至ったのかそっと神様に近づき自分も一緒に昼寝をしようと腰を下ろした。

 そして起こさぬようにゆっくりと神様に凭れかかる。昨日も感じた事だけど改めて神様の毛はとても柔らかくふわりとしていてさながらお日様に十分照らされた干したての布団。そのあまりの気持ちよさに私はあっという間に眠りへと落ちていった。

 どれぐらい時間が経ったんだろう。気が付けば神様の鋭い目が私を見ていた。睨みつけているようにも見えたかもしれないけど、私は全くそんな風には感じなかった。まるで子犬の可愛い時期を知っているかのように。


「あれ? もうお昼寝終わり?」


 私にとってそれはほんの一瞬の出来事で全然眠った気はしなかった。


「何をしている?」

「お昼寝」


 若干その後の欠伸に呑まれながらも当然だと言うように答えた私は立ち上がり大きく伸びをした。そしてあっという間に先ほどまでの眠気を追いやると神様の方へ跳ぶように振り返った。


「遊ぼ!」


 少し休んだ事で有り余る元気を手に入れた私はすっかりその気になっていた。

 だけど神様は何も言わず再び眠りについてしまい、私はどうして遊んでくれないんだと自分勝手にも顔を顰めた。それだけならまだしも無理やり起こそうと柔らかな毛並みに触れ力一杯揺らし始める。

 すると、神様は私を押しのけるように顔を上げた。当然と言えば当然だが苛立ちを露わにした声を上げながら。


「さっさと出て行け!」


 その声はさながら百獣の王ライオンの咆哮。私の小さな体など吹き飛ばしてしまいそうな程に凄まじい声だった。

 もしここで恐怖や心咎めのような感情を抱いていたとしたら私はその場を去ったかもしれない。

 でも子どもとは時に恐ろしいもので私は遊びたい一心だった。

 だからポーチからお菓子袋を取り出すとそこからグミを一つ手に出した。そしてそれを神様へと差し出した。


「はい。神様はお願いを叶えてくれるんだよね。だってママとパパはみんなが元気でいられますようにってお願いしてるもん。でも私、お金持ってないから代わりにこれあげる」


 毎年初詣で両親や沢山の大人たちが揃ってお金を投げ入れては両手を合わせている姿を見ていた私は、神様とはそういう存在なんだと思っていた。お金の代わりにお願いを叶えてくれるんだと。でもそこは神様だから五円とか少額でよくてその気持ちが大事だとも思っていた。

 だから私はグミを差し出したのだ。子どもの自分にとっては大事なお菓子を。


「いらん」

「大丈夫。おいしいよ」


 でも神様は全く興味がないと言うように顔を背けた。


「おいしいのに」


 私はそう呟くとそのグミを自分の口へ放り込んだ。


「じゃあ早く遊ぼ!」


 何故、差し出したグミを受け取りもしなかったのに自分の願いを叶えてもらえると思ったのかは、もうあの頃の私しか知らない。


「――儂はこの場所から出られん。分かったらさっさと出て行け」


 怒鳴りつけようが一向に消えない子ども。神様は溜息交じりで説明をした。


「どうして出られないの?」

「そういう術がかけられている」

「ほんとに? でも私は出られるよ?」


 それでも尚、引く気のない私があまりにも鬱陶しかったんだと思う。神様は大きな溜息を零すと立ち上がり出入口の方へ歩き始めた。私はてっきり遊んでくれるだと思い心をスキップさせながらその後を追う。

 すぐに注連縄が横断する出入口まで行くと神様は一度、私の方を振り向いてから前足をその注連縄へ触れるように伸ばし始めた。そしてその足が注連縄を通り抜けようとしたその時、激しい音と共に稲妻のようなものが走った。同時に神様の前足が弾かれる。

 それを見ていた私は注連縄の前まで足を進めると、もしかしたら自分も同じようになるんじゃないかと思い恐々としながら手を伸ばした。よく考えればあれを見た後に何故手を伸ばせたんだろうか?

 だけど小さな手はすんなり何事もなく注連縄の向こう側へ。私はそのまま外に出ると神様の方を振り返った。


「これで分かったか?」

「これが悪いの?」

「そうだ」


 私が注連縄を指差しながらそう尋ねると面倒くさそうにしながらも神様は答えてくれた。神様はやっぱり優しいのかそれ以上に私が面倒だったのかは考えないでおこう。

 とにかく目の前の注連縄の所為で神様は出られなくて、更にその所為で私と遊んでくれない。

 それならばこの注連縄をどければいい、そう単純思考で考えた私は早速手を伸ばした。


「無駄だ。お前如きがどうにか出来る――」


 神様が呆れ声でそう言うのも構わず私は握った手に精一杯力を籠める。

 すると力を入れた甲斐も無く意外にもあっさりと注連縄は外れた。


「やったー! これで遊べるよ!」


 あくまでも頭の中は遊ぶ事で一杯だった私は、まだ片側は岩に繋がったままの注連縄を片手に一人で大きく万歳。

 そんな私を見つめる神様は微かに瞠目し一人だけ時が止まってしまったように立ち尽くしていた。

 折角、注連縄を外したのに一向に出てこない神様。もどかしさを感じた私は注連縄を手放しその足元まで駆けた。そしてまるで父の手を引くように前足へ両手を伸ばした。


「早く行こうよ」


 でも当然ながら自分の倍どころではない大きさの体をどうにか出来るわけも無い。


「お前……一体何者だ?」


 足元の私へ向けられた相変わらず鋭く、訝しげな視線。


「私は鳴海乃愛って言うの。あれ? 言ってなかったっけ?」


 だけどそれは神様の求めている答えでは無かったのだろう。その視線は依然と私を睨むように見つめていた。それに対し私が首を傾げながら見上げ返していると、神様は目を逸らし外へ。今度はあの稲妻のようなものがそれを阻むこと無くすんなり木漏れ日を浴びた。

 この時彼がどれ程の歳月ぶりに洞窟の外に出たかなんて当時の私には見当も付かなかったし、そもそもそんな事は気にもしてなかった。でも木々越しに蒼穹を見上げる彼は生まれ故郷を見るかのように懐古としている気がした。少なくともそういう感情が涌き上がる程には久しいんだろう。


「お散歩しよ!」


 でもそんな感慨深くなっている神様に対し、私は空気も読まずにそう駆け寄った。


「背中乗せて」


 その言葉に見上げていた顔を少し下ろした神様は横目で私を見下ろした。数秒の間、無言で私を見下ろすと何かを言うわけでもなくそっと態勢が低くなる。私はそれを(いや、私じゃなくてもそう受け取るだろう)乗って良いという意味に捉え「わぁーい」と声を出して神様の大きな背中に飛び乗った。凭れて昼寝をした時と同じでふわふわとした毛で覆われた神様の乗り心地は最高。

 そして私が背中に乗ると神様はゆっくりと立ち上がった。


「レッツゴー!」

「落ちるなよ」


 拳を握った片手を天高く掲げた私に神様は落ち着いた声で言うと軽快に走り出した。

 規則性無く並んだ木々の間をまるで風のように駆け抜ける神様。その背中で私は風を感じていた。顔や体を駆け抜ける風、激しい揺れに振り落とされないようにするのはゲームみたいで楽しかったのをよく覚えてる。

 心做しか彼も清々しさを感じているように見えた。でも想像すら出来ない程、長い間あの洞窟に閉じ込められてたのなら久しぶりに森で体を動かせて心身共に開放的な気分になるのも想像に難くない。

 もっともこの頃の私は自分が楽しむのに夢中で神様も楽しんでるんだぐらいにしか思ってなかったけど。

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