人喰い神獣3

 自転車を止め先に降りた父は次に私を降ろすと水筒とタオルを手渡した。


「これ中に持って行ってな。それとママに言ってちゃんと水飲むんだぞ」

「分かった」

「じゃあパパはコレを片付けてくるから先に入ってて」

「うん」


 私は言われた通り先に中へ入り、母に水筒とタオルを渡し何か飲みたいと伝えた。


「先に手を洗ってうがいしてきなさい」

「はーい」


 手を丁寧に洗いうがいをし、キッチンへ行くと母が入れてくれた麦茶を一気に飲み干す。汗で水分を消費しまだ熱い体へ冷たい麦茶は気持ち好く染み渡った。


「ぷはー」


 飲み終えるとお風呂上りにビールを飲んだ父を真似るような声を出しながらコップをテーブルに置いた。


「それ飲んだらお風呂に入っちゃいなさい。汗かいてるんだから」

「はーい」


 母に返事をしてから私はいつも言われている通りコップを流し台に持って行ってからお風呂へと入った。汗をかいた体をしっかり洗ってから湯船に肩まで浸かる。温かな湯に体を包み込まれ息を吐き出せば体だけでなく心までリラックス。沢山汗をかいて、沢山遊んだ日は余計に気持ちいい。

 だけどあまり長風呂はせず二十分ぐらいで湯船から上がりお風呂を出た。

 それから時間を適当に過ごし祖母と母が作った夕食を食べ、食後のまったりとした時間を過ごしていた私は縁側に座る祖母の隣に腰かけた。


「ねぇばぁば。この島に神様っているの?」

「いるかどうかは分からないけど、そういう話は昔からあるね」

「どんなお話?」

「聞きたいかい?」

「うん! お話大好き!」


 寝る前に母や父が読んでくれる本。私は物語を聞くのが好きだった。

 だから祖母からも楽しい話が聞けるんだと既に心躍らせていた。


「昔々、この島には人を喰う大きな獣がおった。あまりに恐れた人々はこの獣を崇め山に祀る為の神社を建てた。それから人の代わりに供物を送り崇め続けたことでその獣はいつしか神様へと変わっていった。そして島中から真口まくち(まぐち)神と崇められたその神様はそれから島を守り始めた。真口神様のおかげで災害や厄災から守られたこの島の人々は長い間、平和に暮らすことが出来きとった。それに感謝した人々は守り神としてより一層信仰心を強め崇めた。それと実は守り神として島を守っとった真口神様には他にも特別な力があって――それは善悪を見分けることが出来たんだ」

「悪い子が分かるの?」

「真口神様にはお見通しさ。その力で悪い人を見極めて罰を与えるのも真口神様の役目だったんだよ。ばあちゃんが乃愛ちゃんぐらいの時は、嘘ついたら真口神様に食べられるぞって言われとったなぁ」


 私はそれを聞くと少し怖くなってしまいそっと心の中で嘘はつかないでおこうと決めた。


「じゃあじゃあ、あの階段の上にはその神社? があるの?」

「そう。山の上にあるのが真口神様の為の神社だね。真口神社って言うんだよ」

「じゃあ今もその神様がばぁばたちを守ってくれてるんだね」

「そうだったらいいんだけどね」


 私とは裏腹に祖母は寂しげな表情を浮かべていた。


「実は今、真口神様はいないんだよ」

「どうして? お出かけ?」

「今から三百~四百年程前。いつも通り山から下りてきた真口神様は自由気ままに村を歩き回ったそうだ。だがいつもならそのまま山に帰る真口神様がその日は村人を一人喰ってしまった。それに村人は驚いたがきっとその者は悪人でそれを見抜いた真口神様が喰ったのだろうとすぐに納得した。だがその次の日もそのまた次の日も山から下りてきた真口神様は毎回村人を喰らっていった。普段なら半年に数回しか下りてこない真口神様が毎日のように下りて来ては村人を喰う。この行動に村人は段々疑問を持ち始めた。そしてある時、真口神様は神主様を喰ろうた。さすがに村人はおかしいと思い真口神様が昔の人喰い獣に戻ったのだと考えてね。そして話し合いの結果、島の外から陰陽師を招き真口神様を封じることに決まった。そうと決まるとお金を出し合い陰陽師に依頼し、無事に真口神様を封じる事に成功した。それ以来、この島から守り神は消えそれを祀る神社は封印場所を管理する場所に変わったんだよ。一応、今でも神社としての役目も担ってるけどね」


 その話は少し難しくあまり理解出来なかったが、神様が今は居ないということだけは分かった。


「乃愛ちゃんには少し難しかったね」

「んー。神様は悪い事しちゃったってこと?」

「まぁ、そういうことだね」

「でも何で神様は悪い事しちゃったの?」

「何でだろうねぇ。何か理由があったのか。それともただ本当に人を食べただけなのか。今はもう真口神様しか事の真相は分からないだろうね」


 真口神はどうして悪い事をしたのだろう。祖母の話を聞いた私は幼いながら疑問を抱いていた。




「いってきまーす!」


 次の日。朝食を食べ終えた私はショルダーポーチと水筒を下げ元気に家を飛び出した。


「気を付けなさいよ!」

「はーい!」


 家から聞こえた母の声に返事をしながら通りに出た私はそこで一度足を止めた。そして帽子が落ちないように手で押さえながら空を見上げる。大好きな色が一杯に塗られた大空には今日も今日とて燦々とした太陽が私を照らしてくれていた。少し照らし過ぎで暑いけどそれは良しとしよう。

 そんなことを頭の中で考えた後、前を向き再び歩みを進めた。

 私はこの日、昨日父から教えてもらった川へ行った。透明で綺麗な川は冷たくて気持ちよく、暑い夏にはもってこいの遊び場だった。手を入れみたり、足だけ浸かってみたり、元気に泳ぐ魚を見てみたり。父も子どもの頃こうやって遊んでいたのだろうか? あの頃は遊ぶのに夢中だったが今考えてみればそう思う。

 しばらく川で遊ぶと飽きたという訳ではないが次は海に行こうとその場を離れ、太陽に見守れながら歩き始めた。

 その途中、足を止めた私の目の先には上へと続く石階段。それを眺めながら脳裏では祖母の話を思い出していた。この上には昔、真口神を祀っていた神社がある。

 私は石階段を一段ずつ上り始めた。見た目より疲れる階段を上り切ると息を少し荒らしながら鳥居を見上げる。そして神額に書かれた真口の文字を昨日の祖母の言葉を思い出しながら読み上げてみた。


「ま……ぐ……ち」


 読めた事に若干の満足感を覚えながら視線を下ろし鳥居を通り抜ける。階段の上には短いが真っすぐ参道が伸びていてその先には小さな拝殿とその後ろに(それよりは)少し大きめの建物が建てられていた。

 私は境内を見回しながら綺麗に掃除された参道を歩き数段の階段を上って拝殿へ。賽銭箱の前で立ち止まるがポッケに入っていたのはちょっとしたお菓子だけ。お賽銭は持っていなかった。

 だから何もすることの無かった私はただ拝殿を見上げていた。


「おや? 参拝者とは珍しいね」


 賽銭箱の上にある大きな鈴を見上げていると後ろから男性の温和な声が聞こえた。振り返ってみるとそこには装束を着て眼鏡をかけた声の通り優しそうな中年男性が立っていた。手には竹ぼうきを持っている。


「こんにちは」


 私はとりあえず母に言われている通りちゃんと挨拶をした。


「こんにちは。一人で来たのかな?」

「うん」

「でも見慣れない顔だし、この島に住んでる子じゃないよね。お嬢ちゃんお名前は何て言うのかな?」

「鳴海乃愛!」


 大きく手を上げながら元気に名前を口にした。私は自分の名前が好きだ。だからいつも堂々とそしてアピールするようにハッキリと大きく名前を言っていた。


「鳴海……。あぁ、鳴海さんのとこの」

「ばぁばとじぃじ知ってるの?」

「もちろん。この島は狭いからね。島に住む人ならみんな知り合いだよ」

「みんなばぁばとじぃじ知ってるってこと?」

「そういうことだね」


 それは小さな島ならではの繋がり。だけど私は自分の祖父母が有名な気がして少し嬉しくて誇らしかった。


「おじさんはだーれ?」

「おじさんは天笠政則。ここを管理してる人だよ」

「ねぇもうここに神様はいないってほんと?」

「いないというより閉じ込められてるっていうのが正解だね」

「悪い事しちゃったから?」

「そう言われてるけど今となっては本当かどうかは分からないね」

「悪い事してないのに閉じ込められちゃったの?」


 私は思わず小首を傾げた。


「そうかもしれないし、本当に悪い事をしちゃったかもしれない。でも何かがあったことは確かだと思うよ。じゃないと神様を封印するなんてことしないと思うからね」


 正直に言って神主さんの言ってることはちんぷんかんぷんだった。


「ここに神様がいるの?」


 そんな私が指を指したのは拝殿。賽銭箱の向こう側だった。


「拝殿の裏側に本殿というところに祀られてるんだ。でもここの神様は更にこの神社の裏側にある山に閉じ込められてるって話だからこの神社内にはいないんだ」


 説明をしながら神主さんが指を指した先には私の掌ぐらいありそうな南京錠で固く閉じられた木造門があり、近くには関係者以外立ち入り禁止の文字が書かれた看板が立てられていた。


「私も神様に会いたい!」

「んー。それは無理かなぁ」


 この時の私は閉じ込められているだけならドア越しなどで会えるのではないかと思っていたのだ。そんな私の発言に神主さんは苦笑いを浮かべた。


「神様は閉じ込められてるしそれに裏の山は立ち入り禁止なんだ」

「どうして?」

「そういう決まりだからね。学校やお家にも決まり事はあるでしょ? やっちゃいけないこととか」

「うん。ある」

「それと同じこと。だから山には入っちゃダメだよ。危ないからね」

「分かった」


 その神様という存在に会ってみたかった私は渋々といった返事をする。

 島という小さな場所にいる神様だからか私は親近感とは少し違う身近さを勝手に感じていた。普段、神様という神秘的な存在や神社などの場所を身近に感じる機会がないからか余計にそう感じたのかもしれない。


「良い子だね。それじゃあおじさんはやることがあるから。またね」

「うん。バイバーイ」


 仕事に戻る神主さんに手を振った私は階段へと足を進めた。

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