第24話 草木生えぬ荒野だけが《Ⅱ》
松仙の様子に時雨は微笑んだ。
「まあ、オマエを責めても仕方ないよね。結局、これがこの星の意思なんだ」
「きみは、ワタシを憎んでないのか」
「憎む? まさか。憎まないよ」
「…………何故?」
時雨は満面の笑みを浮かべた。いつも通りの悪戯っ子のようなその笑みは、いまここでは不自然なもので。
「簡単さ。灰の死は流れの一つ。ボクのエゴ一つで繋ぎ止められるものではないし……どだい、ボクは神だ。結局、人として学習した情やなんやより神としての理性が勝つ。神には血も涙もないからね。頭の構造がそもそも違うんだよ。彼が死ぬって言えばボクもそれを止めることはできない」
「ちょっ、ちょっと待って? 死ぬ? 灰が、きみに死ぬって?」
「そうだよぉ? ま、松仙の企みが外れてるとは言わないけどさ。
「待てよ! あ、アイツっ……アイツは! あそこに来て死を悟ったんじゃないのか!?」
「うん、そうだよ?」
絶句したと同時に、なにか軽いものが地面に落ちる音がした。驚いた二人が音のした方向を見つめる。
地面には色鮮やかな花が散った。一本一本が丁寧に育てられ、丁寧に選定されたのだと言うことを雄弁に語っている。そこには贈る相手への思いやりすら込められていた。
落とした人物は――獄幻 胡蝶は、絶望を呑み込むような顔で呆然と、立ち尽くしていた。
「………………胡蝶?」
「…………死ぬのを、知っていた? 分かってて、戦いに行ったの?」
彼女らしからぬあどけない声に言葉が詰まる。彼女のイヤーカフについている水晶が滲むように黒ずんでいく。
「死ぬって分かってて、アイツは……これをくれたの?」
左手の薬指に嵌められたそれに時雨は目を見開いた。誰がなんと見ようと、それがいかなる意味を持とうともそれは紛れもない、愛に纏わるもので。
「あのバカ……!! 胡蝶ッ! 止めなさい! 早まるべきじゃない!!」
「……黙れ。うるさい。知らない。信じない」
「はあ!? それどころではないだろ!!」
「だから、信じないつってんだろ」
明確な拒絶が彼女の口から吐き出される。その瞳はもう、どこにも希望を見つけていなかった。
「嘘や誤魔化し、欺瞞ばかりのお前らの言うことなんて、なに一つとして、信じない」
その瞬間、肩にいような圧力がかかった。時雨は膝をつく。彼女の頭上に黒い太陽が現れ、そこから黒いタールのような魔力が流れ始める。
「胡蝶……」
「松仙。私はなんだってよかったんだ。私の大切な人たちが幸せなら、この国の幸福なんて関係なかったんだ。分かってたくせに踏み違えて」
「胡蝶、ワタシは君のためを」
「貴方が私の幸せを決めるのか」
自嘲を孕んだその言葉に松仙は息を止める。
魔力が、世界を歪めていく。彼女が世界を上書きしていく。都合のよい楽園を描き……否。心にある激情のままに、彼女は地上に地獄を描く。魔力は周囲の全てを凍らせていく。
息すらも凍る絶対零度の地獄を、鮮明に描いていく。
「……許さない。あの人を殺したお前も。その死を良しとするこの世界も。そして、あの人を見殺しにした私も、全部全部全部」
彼女は高らかに笑いながら身を削る量の魔力を手にする。
「心があるなら踏みにじりましょう。思いがあるなら手折りましょう。氷でできた棺で、こんな世界まるごと、葬りましょう」
これで善い世界なんて言わせないために。
最後の一滴まで凍てつかせて。
そうしてこの世界に残るものがあるのなら、それはきっと――。
「時雨ッ! 胡蝶を鎮圧する!」
「無理だ! ボクは今、干渉権を阻害されてる! 胡蝶には傷一つ追わせることができないどころか――キミを傷付けるかも知れない!!」
「どういうことだ!?」
「ボクより胡蝶の方が神格が上ってことだ!」
神格……?
神が持つ生物としての格だ。それが人間に適応される事はない。人間が科学と言う繁栄の道を選んだと言うことは、信仰の放棄であり神への可能性の放棄だ。故に人類は一切の神格を保有しないし、することもできない。それが原則であるはずだ。
「何故、胡蝶が」
「それを説明してる暇はない。言えることはただ一つ。獄幻家はキミら人類が思うよりも遥かに危険で、遥かに人道を踏み外していると言うこと、そして神への信仰が厚いと言うことだ」
「……ぼくがやるしかないってことか」
糸状になった魔力を竹棒状に編んだ。棒を構えると胡蝶を睨み付ける。ドロリと溢れ出す黒い魔力はまるで涙のようだ。それらが地上を覆っては凍りつかせていく。
「胡蝶ッ!」
声が、届かない。胡蝶の瞳から透き通った涙が溢れる。白い柔らかな頬に一本の筋が描かれる。
彼女が世界を食らった、その末にあるものは。
「それはしのが倒すべき悪となった私でしょうね」
その瞬間、無数の水銀が触手のように沸き立つ。松仙の棒はそれらを凪払った。地面に落ちた水銀はドロリと地面に落ちて、融けていく。恐らく吸収されているのだろう。
「彼女の耳飾りが黒くなりきる前に無力化しろ!」
「分かってる。戦えないなら動きの指示を出せ!」
棒を握り締めて踏み込んだ。棒高跳びの要領で地面に棒を打ち付けて、空へと飛び上がる。
「……“
「ッ!」
降り注ぐ十字架を飛び移っていく。胡蝶は杖を構えた。彼女の底無しの魔力が、公園を霜の降り注ぐ荒野へと塗り替えていく。
「“
「松仙、上空だ!!」
無数の氷の礫が空から降り注ぐ。全ての礫を棒にて振り払った。彼女は煩わしそうに唇をすぼめる。
「“
「胡蝶っ」
必死に伸ばした手は決して届かない。黒い水晶の枝が足を掠めた。血が吹き飛ぶ。上空で鷹が嘶いた。
だが冷静に、棒を投げる。
衝撃波を孕んだそれは胡蝶の水銀によって跡形もなく呑み込まれてしまった。
二本目の棒を握り締める。
松仙はありとあらゆる武具を扱うことができないが、その代わりに棒だけは想定以上の能力を引き出すことができる。
寒さのせいで吐いた息が白い。凪払われた体勢を整えるが想定より僅かに滑る。悴み指先の感覚が失われていく。
「……どうして」
馬鹿の一つ覚えのように、そう問いかける。
胡蝶はただ己の身体を優しく抱き締めた。そうすることでしかその寒さを癒せない。それがどこから来ているのか、胡蝶は分かっている。
これは、孤独だ。孤独の寒さだ。
ああ、そうだ。
最早、認めるしかない。
「彼は、私の心の全てだった……知らなきゃよかった。知らなければ、あの人の死が私のものだなんて思わなかったのに」
多くの人々が死んだ。
屍の上にのみこの死が成り立つのならば、彼の死に例外が適用されるはずがないのに。涙がただ溢れ落ちていく。
「あの人が大切なんて分からなければ、思わなければ、この感情の名前を知らなければ、心なんて持ってなければ」
自責の言葉が緩やかに吐かれていく。
死の上に連ねられた命では、彼の死を悼むことすらできない。
それならその機微を感じようとしているこの心を。
凍てつかせて、砕けさせて、その最後の一欠片すら遺さずに、きちんと壊したのならば。
その感情を殺した黄金の瞳が緩やかに見開かれる。
「………………この悼みも殺せるかな」
呟いた言葉は、誰にも届かない。
助けたいと願う人のもとにすらも。
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