破綻の章 綻ぶ花、芽吹く悪意
第18話 綻べよ、心の花《 Ⅰ 》
松仙の就任セレモニーから半年が経過した頃だった。胡蝶は慌てて階段を駆け上がる。そして一番奥の医務室を開けた。
「松仙っ!!」
「久しぶりだね、胡蝶」
半年ぶりに会う旧友は、少し窶れていた。だが特筆すべきなのはその吊し上げられた右足だろう。ギプスで固定までされている。
「け、怪我は!? 平気なのか!?」
「胡蝶、落ち着け。松仙、これは見舞いのフルーツだ。良かったら食べてくれ」
「ありがとう」
後ろから余裕そうに現れた灰は、サイドテーブルに果物のはいった籠を置いた。それからパイプ椅子を胡蝶の分も出してさくっと組み立てる。
「それで? 怪我の具合はどうなんだ!? 仕事中に撃たれたって言ってたけど」
「見ての通り、ぼくは全然平気――」
「犯人は生きてないよな!? ぶち殺したよな!?」
「あ、そっちの心配か」
報復モットー。半年でアゲハを見事急成長させた胡蝶の心配は松仙ではなくて報復の方だった。戦争の時から一切変わってないスタンスに松仙が頭を抱えるのも無理はなかった。
「そっちはもう。桜華がたまたま来てたからその場でくびり殺してくれたよ」
「そ、そうか! それは、それはうん、良かったな!」
思わず適当な返事になってしまった。これはいけない。怪我の心配もしなければ松仙が傷つくかもしれない、と胡蝶は頭を絞り……。
「い、生きてて良かったな!」
「胡蝶…………」
生きてて良かったな、は胡蝶にとっての最上表現なのでどうしようもない。それを理解している松仙も何も言わずに微笑むだけだった。
「で、実際どうなんだ?」
「うーん。どうやら普段は杖をつくことになりそう。足の神経を傷付けてしまったみたいでね」
「なるほど。まあ、胡蝶ではないが、無事で良かった。心の底からそう思うよ」
仕事の最中、賊が押し入ってきて太ももの付け根の辺りを弾丸で撃たれたそうだ。あと少しずれていれば下半身が使い物にならなくなっていたかもしれないと、時雨からは聞いている。
「ところで、二人はなんで一緒に来たんだい?」
「ああ。話せば長くなるのだが……」
「一緒に住んでるんだ」
告げた結論に灰が頭を抱え、松仙の瞳が鋭くなった。情緒の発達レベルが甘いと言われている胡蝶だけがなにも分かっていない。
「灰」
「手は出していない」
「だとしても良識ってものはないのかな? それに自分よがりだとは思わないの?」
「一応アゲハ団員が皆いるから、別に二人でひとつの布団を使ってるわけではない。それと独りよがりなのは分かってる」
手を上げて降参しながらも淡々と事実を認める灰に松仙は疑心の目を向ける。
「灰はアゲハの仕事も手伝ってくれてるぞ」
「……まあ、ならいいけど」
「それに、松仙が仕事を失ったってきっと私は同じことをするぜ」
剥かれたリンゴに伸びていた手が止まった。驚いたように彼はこちらを見ている。
「なに驚いた顔をしてるんだよ」
「……いや……だって……灰とぼくは、違う人間だよ?」
「なにいってんだ。お前も灰も同じ人間だろ」
それはひどく純粋な言葉だった。
同じ人間だから、の意味が違う。多いに違う。だが語り合ったところでそれとこれが、分かり会えるだろうか。
時に価値観の解離――つまり視点の解離は絶望的な不理解をもたらす。
言語と言うのはあくまで、類似した思考回路や視点を持つもの同士が、多少の差異を失くすための意志疎通手段であり、例えばこんな風に価値や視点が解離すれば言語なんて、本当に、意味がないのだ。
言語なんて、無意味で、無価値だと、突きつけられたようで。
「と、とにかく、灰。きみにはぼくを撃った反対勢力の組織について調べてほしい」
仕切り直すように告げた言葉に、灰の瞳が僅かに開かれた。まるでなにかに怒りを覚えたような、そんな表情だ。
「……了解した。さ、胡蝶。あまり長居して松仙の傷に触ってはいかん。行くぞ」
「ん? お、おう」
灰に言われて胡蝶も病室を後にする。
「……窶れてたなぁ、松仙」
「おやおや、なんだかんだ心配してたのかね?」
「そりゃそうだろ。半年忙しくて連絡取れなかったのはアイツだけじゃねえ。私らだって暇じゃなかった。イギリスとフランス……アメリカと中国、エジプトの五つに支部ができるくらいだからな」
「……半年にしては素晴らしい戦果だな。さすがは一ノ瀬くんと言ったところか」
作戦やアゲハの組織指針については胡蝶の考え方を元に夜蝶が組み上げてるのだ。彼の手腕には度々、灰も舌を巻くほどである。
「ねぇねとは連絡取ってたけどさ、松仙は忙しいかなぁと思ってなかなか取らなかったし。こんなことになるならもう少しこまめに取るべきだったかな……」
「まあまあ、後悔は先に立たずと言うだろう。これからはこまめに取れば良いさ」
「うーん……」
胡蝶が首を捻る。そのまま黙って考え事をし始めた彼女に、灰はクスリと笑みを溢したのだった。
泊まることにしたホテルの部屋に入ってから、ふと胡蝶が動きを止めた。考えがまとまったと言うように振り替える。
「そういや松仙が反対勢力つってたが、今そんなの、国にいるのか?」
「どう言うことかね?」
「そのままの意味だよ。私はあのセレモニーの日を覚えてる」
聞いたことのないやけつくような歓声。
人々の誰もが戦争の終わりと、穏やかにして凡人の王を歓迎していた。彼の政策は重箱の隅をつつかない限りはボロがなかったし、支持率もかなり高いはずだ。
更に言えば。
「この国は困窮してる。そして、疲弊してる」
数年かけられた圧政に国は耐えかねていた。
繰り返される無意味な戦争は国民の生活や活気と言うものを根こそぎ奪いさり……廃棄区画を形成するに至ったはずだ。
「そんな中でまだ国取り合戦をしたいバカがいるのか?」
「胡蝶。もしひとつ言えるとすれば、だ。バカだから考えもなくこんなときに決起して反抗している、と言うこともある」
「……自分が賢いと思ってる能無しか」
「ひどい言い種だな」
それ以上嗜めるわけでもなく彼は肩を竦めた。否定も肯定もないと言うことはあながち間違いではないと言うことだろう。そう、受け取る。
だがまだなにか引っ掛かる。
あの日感じた、肌に纏わりつくあの嫌な流れを自棄に鮮明に感じるのは気のせいだろうか。露出している二の腕を軽く擦ってやれば、鳥肌が立っていた。
「まあ、調べてみれば分かる話だ」
「それもそうか。うちの情報網を使うか?」
「いや……」
思ったよりも早く飛んできた否定に目を瞬かせる。眉を寄せた灰はベストをハンガーにかけていた。視線はただ、そのベストを見つめている。
「……平気だ。こちらの独自の情報網で事足りるだろう」
「そんなの持ってたのか?」
「…………胡蝶。世の中で一番難しいのは、不在証明だ。ないと言うことを証明することより難しいことはないのだよ」
的はずれにも聞こえる答えに首をかしげる。だがこれ以上答えるつもりはないらしく、彼はそのまま、シャツとスラックスに着替えをもって二つあるシャワールームのひとつに消えていった。
しばらくして聞こえてきたシャワーの音を背景に、納得のいかない思考を切り上げてしまおうと模索する。が、結局その方法すらも見つからず。
胡蝶は一人、眠れない夜を過ごすことになったのだった。
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