第16話 揺れて、歪み、やがて朽ちて《 Ⅰ 》

「乾杯~!!」

 その掛け声と共に会場のあちこちでガラスのコップ同士がぶつかる音が響いた。胡蝶も素っ気ない態度で松仙や時雨、灰とグラスをぶつけ合う。

「結局またこのメンツで食べることになるのか……ボクもっとべっぴんさんと食べたかったぁ!」

「ほう? 愚妹では不満だと?」

「…………も、黙秘します」

「まあまあ。あれだけいつも一緒にいれば仲良し判定もされるでしょう? そうだよね?」

「うん、まあ……そうとも言えるだろうな」

 四人はその言葉に首をかしげる。


 四人は割りと地位も所属もバラバラである。

 灰は一応アゲハに派遣されており、胡蝶はアゲハ部隊部隊長。時雨は民間の策士で、松仙は今やこの国のトップだ。


 だが常に共にいた。

 そしてどいつもこいつも顔がある程度整っていると評判だったのだ。胡蝶の女性としては生意気にとられるツンとした済まし顔も少年のように見られて可愛がられていたようで、四人は人気があったのだ。


 戦場の、目の保養として。


 叢雲隊には女性隊員も多いから起こった事態だと言えるが、それはそうとして顔は良かった。問題は性格がちょっと……だいぶ、残念だったと言うところだろう。


 ちなみに時雨に恋をした一人の女性が時雨に接近しようとしたのだが、常に周りに誰かしらいる状況に耐えかねて、会いに行こうとした胡蝶を問い詰めたところ中継ぎをしてもらえて出会った時雨の性格はくそだった、と言う話しもある。


 つまり常に四人組にしておきたいのだ。

 顔の良さとかもあるし、性格があれなのも露見しにくくなる。あれなのも。

 桜華はにっこりと笑う。くれぐれも余計なことを起こすなよ、と言う意味を込めて。

「そう言えば松仙、桜華に言わなくて良いの?」

「? 松仙? なにか我に言うことがあるのか」

「ぎゃああああ!! 無い!! 無いよ、無い!! ぜぜんないから!!!」

 桜華が首をかしげる横で胡蝶はブドウジュースを飲む。なぜ思いきって言わないのか……ああ、ダメだ。

(多分これ、聞いちゃダメなやつだな)

「全然平気だからぁあああ!!」


 結局、叫んだ結果怒られた松仙はちびちびと日本酒を飲んでいた。時雨は横でまだ笑っている。

「も、もうぼくの話はいいだろ!?」

「だ、だって、ふふ、天下のしょ、しょ、ふふ」

「笑うなよ……」

「気にするな、松仙。時雨は笑い上戸だ」

 二本目の瓶をらっぱ飲みしている時雨への補足が灰から飛んだ。

「……そう言えば、灰はなんでこの戦争に参加したんだっけ」

「話題が戦場から進歩してねえけど」

「む? 松仙は知らないのか?」

「?? うん。灰とはこの話をして無い。そう、だよね……?」

「まあ、確かに話してないが知っているかと思ってた」

 知ってる、と松仙が首をかしげる。灰と松仙はそんなに年齢が変わらない。もしかしてどこかで接点があったのではないか、と彼は思い返し始める。


「もー、覚えてないのかい? 松仙。灰は〈朝比奈計画〉の第一被害者だよ」


 時雨の言葉に松仙の指先からワイングラスが滑り落ちた。赤紫の液体がカーペットにどこまでも広がっていく。血の気が引いた、青白い顔で信じがたいものを見るように松仙は灰を見下ろす。

「……………………〈朝比奈計画〉?」

「そ。朝比奈 うつつと鶴野 ヒロシゲの計画の元に進んだ軍人育成計画だよ。覚えてなあい?」

 朝比奈、と言うのは軍上層部に多く所属していた、いわゆる〈貴族〉の家の一つだ。その当主の名が確か、朝比奈 現だったと記憶している。

 そして鶴野 ヒロシゲは――。


 松仙が言葉を失ってただ呆然と灰を見つめている。

 そうだ。鶴野 ヒロシゲは松仙の父だ。

「ま、待って……〈朝比奈計画〉は計画段階で頓挫したんじゃ」

「いやいや、なに言ってるの? 被験者は集まったよ。幾つかの弱小貴族の息子も含めて十五人。そこにパトロンとして九条 トオルの援助もあって第一回朝比奈計画は実行されたんだ」

「時雨。その〈朝比奈計画〉ってなんなんだ?」

 時雨は心底嬉しそうに微笑む。

 九条家が獄幻家の遠い親戚だったから聞いたわけだが……なんでか、胸騒ぎがする。

「胡蝶。理想の軍人ってどんなんだと思う?」

「……? なんだそれ」

「人はさ、人を殺すのに抵抗があるんだよ。本能レベルでね。その行為が倫理的に違反してると言う『常識』があるから精神を病み、正しく殺せないんだ。でもそんなの、理想の軍人じゃない」


 より多くの人間を殺せる人間こそが理想の軍人だと、ある男は提唱し、軍上層は反対しなかった。

 だが常識の壊滅はそう簡単に行えることではない。

 倫理、常識、知識、理性、罪悪感……これらは大人になるにつれて培われていくものだ。

「だから子供のうちに、その常識を壊滅させようと軍が考えた。その計画の一部が〈朝比奈計画〉だ、胡蝶」

「そ。子供同士を殺し遭わせて、敵味方関係なく殺害できるように育て上げたんだ。それでいて知性での判断も行えるように……ね」

「まあ、皮肉なものだな。その理想の軍人が軍を壊滅させたのだから」

 灰がビールを呷る。

「…………が、時雨。何も責めるような口調で言わなくても良いんじゃないのか?」

「あは、ごめーん。怖かった?」

「あれは確かに私の性格形成に大きな影響を及ぼしたが、それが原因で軍部にいるわけではない。ただ」

 彼はそこで言葉を区切った。彼はひどく、落ち着いて穏やかな声で、どうしようもないことだと言うのと同じように笑った。

「ただ、同じことがもう起こってほしくない、だけなんだ」

「………………約束するよ」

 松仙の声が聞こえた。その表情が翳っていて良く見えない。だが、何故かギラギラと光る翡翠の瞳だけが、逆光の中で輝いている。


「もう二度と、軍部で〈朝比奈計画〉及び類似する計画が実行されることは、決して、ないよ」


 心臓の音が自棄に煩い。何かが皮膚の傍を掠めて胎動しているような気がする。嫌なものだ。星の全てを包み込む、あの流れではなくて、もっと大きく、抗いようのない、過酷な流れを感じる。

 この濁流に流されたら、どうなってしまうのか。


 足元の影が沸騰したかのように気泡を浮かび上がらせる。瞳が僅かに熱を持つのも気にせず、ただ汚染されていく思考に身が沈んでいく。


(そうだ。いつだっては自ら炎の中に飛び込んでいく。その美しく尊い魂。それなのに■はそれを貶して汚してしまう。許さない。許せない。私の蝶を、そんな風に)

「……愚妹?」

 桜華の声に思考が現実に帰ってくる。集まり始めていた魔力を胡蝶は慌てて踏み潰した。ぐしゃり、と形を持ちかけていた魔力が踏み潰される。

「ん? なんだ?」

「いや、顔色が悪かったからな……具合はどうだ?」

「悪いところなんてねえよ、ねぇね」

 先ほどの肌を舐めるような嫌な感覚はどこかに消え失せていた。だが松仙の思い詰めたような顔だけが――いつまでも、心残りだった。

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