第13話 英雄という業《 Ⅱ 》
「……胡蝶。顔色が悪くないか?」
「あ?」
朝食の席、マーガリンをパンに塗りながら気遣うように灰がこちらを覗き込んでいた。頭痛のせいで頭を抑えていた掌を一度退けて顔を上げれば、他のメンバーも同じように心配そうな顔をしている。
「あー……気にするな、寝不足だよ」
「そうか? ならいいが……」
パンをスープに浸して口に運ぶ。
あの後、全く胡蝶は眠れなかった。
布団の中で不意に、悲鳴が聞こえてきて起き上がるのだ。三十分毎に。本当にらしくない。あの程度の地獄、なれていて当然のはずだ。
「……」
薬の量を増やすか、と当たりをつけた。あまり良い手ではないが睡眠はそのまま命に繋がる。悪い手でも利用せずにはいられない。
「そ、そう言えば、アゲハの話だけど……」
「ああ、それなら……」
「ボスー!!!」
食堂の扉が景気よく開け放たれた。まだ朝の九時だぞ、と驚いて振り向けば数人のがたいのいい男達が目の前に迫ってきていた。
「…………え゛?」
「こ、胡蝶ーーーーー!!????」
男達は胡蝶を抱き締めると涙を流していた。そのまま小さい胡蝶を慈しむようにナデナデし始める。
「ボス、一ノ瀬さんから全部聞きましたよおおおおお!!」
「おい、止めろ。近づくな。気持ち悪い」
「くぅうう!! 知らなかった! まさかボスが女だったなんて!!」
「…………は??」
灰がフォークを落とした。それを見ながらなんとなく、ああやっぱり厄介なことになったなあ、とホールドされたまま思うのだった。
ロビーではアゲハ団員が涙ぐみながら並んでいた。おろおろとしながら彼らの面倒を見つつも説明待ちの叢雲隊もセットで立ち尽くしていて、思わず眉間を抑える。
別に難しい話では――胡蝶にとっては、ない。
胡蝶は常に自分の性別を偽っていた。魔法で違和感をなくし、少なくとも信頼した時雨や松仙、灰にしか打ち明けてなかった。元から女だと知っていた桜華以外の数名だ。
「うっ……まさかボスが女で、しかもこんなちゃんこい子だとは」
「喧しいわ。誰がちゃんこいだよ」
「て言うかボスは薄いし細い」
「きちんと食べてるの?」
「食べてるの見てただろーが。つーかそう思うなら食事の時間に突っ込んでくるなや」
無理矢理泣いている団員を引き剥がしていく。
「て言うかなんで性別偽ってるんすか」
「……最初の頃、私が女だと思って襲ってきたやつがいてな」
団員全員の顔がひきつる。そんなに悲惨なことは起こらなかった。胡蝶が一発殴ったからだ。そう伝えると何故かより悲惨そうな顔になった。なんでだ。
「ま、それ以降用心に越したことはないと魔法をかけてあったんだがな」
「少年でもいいと言い寄ってきた輩がいた」
「怖……」
「もはや勇者じゃん」
誰が勇者なのか。認識の差があるような気がするので分からせるべきかもしれない。灰が死んだ目でその顛末を説明する。
「仕方ないので二度とそう言うことができないようになってもらった」
「えっ…………」
「仕方ない」
「……………………灰さんって、男ですよね?」
「軍人としての最高の才能は、どんな相手でも無情になれるというものだ」
胡蝶は詳細は知らないのだが、その刑罰を見た松仙が青白い顔で震えて、時雨が思わず狼の耳を出していたので。相当恐ろしかったに違いない。
「……ま、まあ、ボスに手を出して命があるのはもう見っけもんですもんね……」
「男としての命は終わったがな」
「………………」
お通夜のような沈黙が流れる。
その時、仲裁しようと殴りかかった灰は本当に怖かったので、以降はそういう不埒なやつも減ったのだと伝えたが彼らは疑うような目で灰を見上げるのだった。
「……いや、それは良いんですよ! 俺らはそんな命知らずじゃねえんで!」
「そうですよ!」
「ほう、胡蝶は可愛くないと」
「理不尽な問題をふっかけねーでくださいよ!!」
松仙がさりげなく後ろに立ってきた。見上げるがにこにことなんてことのない顔で笑っている。なのに全員じゃっかん後退した。
そう言えば身近にいる人間にそういう目に合わされる可能性を考えてなかったな、と不意に思い出す。仮にされても多分殺していたとは思うが。
仕方ない。胡蝶も一応乙女なのだ。
「そ、それよりも! 俺達を置いていくってどー言うことですか!」
彼が指差したのは、今朝張り紙をしておいた紙だ。昨日の件を紙にまとめて張り出しておいてもらったのだ。
「きちんと内容を読めよ。ついてきたくないやつはついてこなくて良いって書いてあるだろ」
「いや、あの文章! どうみても全員解雇届けじゃないですか!! それとも俺たちクビになるんですか!?」
思わず口を閉じた。
アゲハは松仙に頼まれて構築した、廃棄区画の中でもやる気のある人間や裏社会の人間を引っこ抜いて作った組織だ。
だが廃棄区画にいた人間とて人の子だ。
家族のいる者達もいる。ここから先は以前よりも更に苛烈になる可能性がある。少なくとも途中下車をするには今ほど良いタイミングはないだろう。
「騙し討ちのように連れていくことはできないだろ。ここ数年で家族ができたやつもいる。いわゆる堅気の仕事に切り替えたいやつもいるんじゃねえか?」
「ボス……」
「松仙に頼めば政府に関われるかもしんねーぞ。どんな人生でも、少なくとも肥溜めよりマシだ」
「でもその肥溜めから手を引いてくれたのはアンタじゃねえっすか……」
か細い声で、縋るように一人がそう言った。誰もがその言葉に頷く。
「その恩義にすがって人生を棒に振る気か? それにてめぇららしくもねえ。分かってるだろ。恩や情じゃ腹はふくれねえよ」
「ボス……私たちは今、お腹がいっぱいよ」
「だからこそ、恩や情ってのがどれくらい大切か知ったんだ」
廃棄区画に捨てられていた双子の声に胡蝶は目を閉じる。
彼らを突き放したい訳ではない。だが、恩や情があるからという理由で人生をふいにしてほしくないのだ。彼らは、もう十分苦しんだ。
肥溜めから這い上がるのは楽なことではない。
胡蝶はただ手を差し出しただけ。その手を頼りにするには己の力でよじ登るしかなかったはずだ。ましてやよじ登った先は戦場で、抗っても胡蝶は戦禍の中に彼らを突き落とした。
この先の、安寧を約束して。
「……面倒を見ないつもりじゃない。ただ、この先後悔してほしくないんだ。私がここにいるのは、お前達が幸せになるためだ。幸せになってほしくて、松仙に無理矢理お前達を引き取ってくれと頼み込んだ」
無理と無茶。金銭的余裕の無い叢雲隊により負荷をかけるような真似をしたと、胡蝶が苦痛を忍んで立葵に面会したりもした。ただそれは当然の域を出るものではない。
「…………ボス。それなら、私は降りることにするわ」
名乗り出たのは一人の女性だった。アイリスと言う名前だった。先月、結婚して家庭を持ったはずだ。戦うのは無理だろうと、食堂に配備していた。彼女の作るパンは絶品だった。
「好きにしろ」
「代わりに、アゲハの為に働かせてくれないかしら」
「…………………………あ??」
胡蝶が首をかしげたのをそのまま、アイリスは微笑む。
「アゲハの外から、アゲハの援助をするのよ。金銭的援助はボスのおうちがどうにかするよね? それならそうね、情報収集とかどうかしら」
「おい、待て」
「パン屋さんをしながら世間話を集めるの。それをこまめに報告するわ」
「待てつってんだろ! それがばれたらお前、家族までひどい目にあうかもしれないんだぞ! それが、今後アゲハが歩むイバラの道だ! 分かってるのか……?!」
「そうよ、分かってて私たちはそうするわ。だって耐えられないもの」
耐えられない? 何にだ、と問いただそうとした瞬間、桜華の手により遮られた。
桜華はゆるゆると顔を横に振り、しゃがんだ。
「愚妹。そなたが心配するのもよく分かる。だが心配しすぎて彼らの意思を阻害するのはそなたの思うところではなかろう」
「……それはそうだけど」
「良いか、愚妹。彼らは、遠くからでも良いからそなたに手を貸していたいのだ。我はそのように思われる愚妹が嬉しい。愚妹は違うか? 思われるのは迷惑か?」
そんなことはない。そんなことはない、けれど。
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