第11話 叢雲隊《 Ⅱ 》

 その一言が、松仙のただひとつ、遺した無念だったのだろう。彼は即座に表情を切り替える。冷酷に、無慈悲に。その決断を急いたけれども、それでも、できることならば叶えたかった。


「ワタシは無血開城を望んでいた……だが、彼らはそうではないようだ」


 彼は無血開城を望んでいただけだ。

 とっくの昔に、誰かを廃して国を乗っ取ることを覚悟に決めている。青いだけの理想を語る、若者ではないのだから。

「彼らは業によりこの国に生きる地獄を作り出した。ならば」

 松仙は殺意と、冷酷とで告げる。

「灰」

「ああ、了解した。結局こうなるのか」

 灰が刀を抜く。消えぬ、洗えぬ業の匂いを撒き散らしながら、彼は立ち上がった。

「胡蝶」

「ん。急かして悪かったな。だが……こいつらの数十年は誤りだった。初めは正しかったかもしれない。それでも、もうどうしようもなく誤った。廃棄区画なんて作るべきじゃなかった。国のために、ただ尽くすべきだった。それが――かつて政治家を殺して、その席に着いたお前達の償いだったはずだ」

 水銀が拳銃を空中に編み上げていく。


 松仙は振り返らない。覚悟と冷徹だけが常に引き金を引く資格足りうるのならば、今の彼以上にその資格を持ちうる人間はきっとどこにもいないだろう。

「頼んだよ」

「了承した」

「これより」

 二人の声が重なる。

 この会議室に地獄を描くために。


「死刑を執行する」


 断末魔と血液とが会議室を吹き荒れる。助けを求めようと伸ばした手を灰の刀が切り捨てた。死にたくないと叫ぶ命乞いを胡蝶の弾丸が穿つ。

 救ってほしいのならば、助けてほしいのならば、人を人として扱えばよかったのだ。


 廃棄区画では昨日も今日も、いつかと同じように違法薬物の残骸が転がり、大人はその矜持を踏みにじられ、子供はただ虐げられている。

 その間彼らは、食卓で満足な食事と暖かい寝床と、帰れる場所があった。満ちてたりた、豊かな生活だ。


 優遇の傍らには常に冷遇があるなんて、少し考えればすぐに分かりそうなのに。


 灰の腕が閣下とよばれていた男の顔面を掴む。

「………………――ああ、本当に」

 死にたくないと喚く声がこの部屋の外に出ることはない。灰の低い声と、なんの感情も持ってない瞳が、なんでか悲しくて。

「反吐が出る」

 身体を突き破って飛び出した刀が血を撒き散らしながら無惨に男の命を奪った。力を喪った身体がまるで人形のように手の中から落ちる。


 悲鳴も、助けも、彼らを本当に助けてくれるかもしれない存在の元には届かないまま、ただ深く、深く……静寂の中に沈んで溺れていくのだった。


***


「容赦ないな……」

 清掃係を連れて現れた夜蝶の言葉に脛を蹴飛ばした。こちらがどんな思いで戦ってるかも知らないでこの男は。

「一ノ瀬くん、いつも悪いね」

「ああ、いえ、いいんですよ、松仙閣下……ちぃとばかり気が早かったか?」

「あはは。そうだね。それにぼくは閣下にはならないよ」

「…………は?」

 思わず受け取ったカロリーバーが手から滑った。灰がそれを受け止めて隣で食べ始めたのも気にせずに呆然と見つめる。

「まあ、その辺の話はおいおいとしていこう。そうだよね? とりあえず今は生き残りを従えるのが先だ」

「……ああ、そうだな。おい灰。私の飯食ったんだ。私の分まで働けよ」

「ん」

 突然話題を振られた灰は口許を拭った。


 それから、ごきゅん、とカロリーバーをやや喉に詰まらせそうになりながらも飲み込むと、惚けたように首を傾げた。

「なんのことだ?」

「誤魔化せたと思ってるとこがお前のすごいとこだよな。一ミリも誤魔化せてねえんだよ」

「それを言うなら君の誤魔化しも大概だろう」

「……それもそうか?」

「ところで水ものはあるか? なんでもいいんだが」

 夜蝶からペットボトルの水を受け取ると灰はちびちびと飲み始めた。食べ物を食うのが下手くそか。


 生き残りの説得には、それほど時間を要さなかった。もう既に軍部は半ば崩壊状態だったのもあるが、桜華の人望が途方もなかったのだ。

 『ぼくが敵に回すべきではないのは桜華かもしれない……』と松仙が頭を抱えるくらいだ。なかなか、稀有な光景だったので笑っておいた。


「……で? お前が軍の頂点に立たないってのはどう言うことだよ」

 松仙は困ったように微笑んだ。

「どうって言われても……ぼくが軍のトップになってこの国を牛耳る。それって今までの彼らとなにか違うかな」

 清掃はアゲハの清掃班が行っている。彼らは有能だから、明日にはこの会議室も綺麗になるだろう。

「違わないんだよ、胡蝶。なによりぼくが嫌だ。いつかぼくも同じように間違えるかもしれない……それが、怖い」

「松仙」

「だから三権分立を借りようと思って」

「『さんけんぶんりつ』」

 思わず別の言語が口から飛び出た。音はそのままだから意味は分かるだろうが、飛び出たのが少し恥ずかしい。

「まあ、仕組みはちょっと変えるけどね。とりあえず軍部はこのまま桜華に任せるつもりだ」

「……さんけんぶんりつってなんだ?」

「権力を一ヶ所に集中させないで三ヶ所に分散し、各々を監視することで独裁を防ぐ制度……だ。説明の間違いは気にしないでくれ。私はあまり詳しくない」

 灰の説明でも今一要領を得ず首を傾げる。ちなみにこの中で理解しているのはどうやら時雨と松仙だけのようだ。こいつら……。


 時雨は鼻で笑いながら口を開いた。

「ま、ボクはなんでも良いと思うよぉ。どーせ、ニンゲンの運営する国なんて長続きしないんだからさ」

「お前は分かってるなら真剣に話を聞け」

「えー、めんどくさぁい。大体、それやってもうまく行かないよ? どーせ、すぐにキミたち癒着して三権分立維持できないじゃん? ならダメで元々、国取り合戦できるくらい、国民が元気になるまで持てば良いでしょぉ?」

 松仙は少し不愉快そうな顔をした。だが時雨の言葉に間違いにもならないのだから、黙ったままだ。

「ま、アゲハが機能すればどうにかなるんじゃない?」

「………………あ?」

「機嫌悪い?」

「悪くねえけど……なんでアゲハ?」

 アゲハを解体するつもりはなかったが、何故アゲハに白羽の矢が立つのか。全く理解できない。と言うか、嫌な予感がする。面倒事を押し付けられるような、そんな予感が。


 その予感が直撃したとでも言うように時雨は唇を持ち上げた。

「アゲハにはこの国よりも外に羽ばたいてもらう」

「……………………なんで? いや、なんて?」

「えへへ、なんでもなんてもないよ。アゲハは最終的にどの国からの干渉を受けない国際組織になってもらうつもりだ」

「え、いや、は?」

 理解できない。だがこちらの心情を無視して淡々と説明が行われていく。

 曰く、廃棄区画問題はこの国だけではないらしく、多くの国で貧困層の増加や混乱に乗じた独裁政治が敷かれていると。


 そしてアゲハは武力をもってそういう混乱の抑止力になってほしいと。

「嫌なら良いんだよ。別の形でアゲハには仕事をしてもらうからね。ただ、この仕事にはメリットもある」

「アゲハに誰も手を出せなくなるってとこだろ」

「そ。犯罪者が多く含まれてるアゲハは今後、白い目で見られるよ。なにより廃棄区画の人間はそれだけで扱いにくい。ならいっそ、世界に羽ばたいちゃえよ」

 悪くない話だ。彼らが良いと言うのならば、そうするのが良いだろう。


 最もその結果、アゲハが暴走しないとも限らない。だが誰にも干渉されないのならば、それほどよいことはない。

 最も現実はそう甘くはないだろうけど……たぶん、できるような気がする。アゲハの皆は辛い環境にいたからこそ、どこか優しいところがある。彼らに安定した環境を与えたいのは胡蝶の望むところだ。

「…………ま。あいつらと話してやるよ」

「うん。そうしてよ」

 時雨の優しそうな表情に胡蝶はそっぽを向いた。

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