第3話 インターナル・ヒロイック《Ⅲ》
魔法師と言う存在の有能性を図るのに、例えば魔力量や扱える魔法の数、或いは術式の解析速度などは無駄だ。それらには当然個人差があるし、そんなもので図れるような浅いものではない。
だから有能な魔法師は如何に己の力を制御下に置けるか、と言うところで評価される。
強大な力を振るうのは簡単だ。だが制御するのは何よりも難しい。最大限力を引き出しつつ、その力を常にコントロールし続けることに意味がある。
故に魔法師は常にパートナーを傍に置くことを好む。大切なものがあると言うのは、ひとつの枷となり、魔法を安定させるのに欠かせない精神的支柱になるからだ。
胡蝶は、それが要らないと思っていた。
ずっと、長いこと、一人で活動してきた。隊長である松仙にもパートナーをとることを何度も勧められてきた。けれども、それを長らく断りつづけた。
だから聞かれることがある。
何故灰を選んだのか、と。
その理由は彼にある。そして彼にしかない。
互いに互いを欲し、相手のことを理解しているからこそ自分達は最高のパートナーたりうるのだと。
彼は常に冷徹で冷酷で冷静だ。
ただまっすぐと進む様は羨ましくもある。無い物ねだりの二人と言うだけだと言うのは、あるけど。だからこそ。
剣が抜き放たれる。鯉口を切られた彼の刀はまっすぐと銃口を切り落とした。それと同時に施設のすべての魔法系統の設備をジャックできた。
壁から手を離し、即座に足を踏み出す。
「夢に溺れろ」
鈍色の液体、月影水銀と胡蝶が呼ぶそれが、男の頭を飲み込んだ。
僅かに抵抗しようとしたその体がすぐに緩みきった。都合のいい夢を彼は見ているはずだ。これはそう言う物質なのだから。
「手間を掛けさせたな」
「構わんよ。君の護衛が私の任務だ。むしろこちらの方が手間を掛けさせてしまった位だ」
武骨な彼の手が頭を撫でてくれた。そしてそれとなく先行するように前に出る。立派な筋肉質の背中に、彼の長い白銀の髪が揺れる。
長く伸ばしているそれは胡蝶のお気に入りだ。
しなやかながらしっかりとついた筋肉。
廃棄区画で幼少期を過ごす羽目になった胡蝶が永遠に得られない、恵まれた体格。男女差云々ではなく羨ましい。
こうして前を歩かれるとまだまだ自分は頼ってもらえるような人間ではないのだと痛切する。もちろんそれが原動力になるのだが。
「…………
「良いんじゃないか? お手入れは私にやらせてくれ。自信があるんだ」
「ん。考えとく」
背はもう伸びない。魔力がどんなに上昇しても背が伸びることはあり得ない。この細い腕に肉がつくこともない。
胡蝶は永遠に、大人にはなれない。
これが、この国の呪縛だ。
「……胡蝶。この奥が長野基地の本部だ。気を引き締めろ」
考え込んでいたことすら見透かされているようだ。案じるような声音の全てが、ただただ、胡蝶へと注がれている。
「分かってるよ。ここでしくじる訳ねえだろうが」
最奥の扉を開いた瞬間、胡蝶と灰は思わず顔をしかめた。
鋼鉄の床の、本来であれば会議などを行うであろうその部屋の全てに血液と何らかの体液、腐敗した食物が散乱していた。
「…………どう言うことだ」
以前、彼のパソコンを借りて遊んだグロテスクなホラーゲームのロード画面に良く似たその惨状に困惑が収まらない。
あちこちにサンドバッグのように打ち捨てられた死体の全てはまるで限界まで食事をしたように腹が膨れ上がっており、口からは未消化の食べ物が散らばっている。かと思えば床に何とも知れぬ体液があちこちにぶちまけられていた。
手袋を付けて口を開く。死ぬ直前まで食べ物を食べていたのではないか、と思われる。専門ではないのでこれはただの真似事にすぎないわけだが。
それよりも胡蝶が探しているのは別のものだった。
「胡蝶?」
「んー、軍人なら誰でも持ってると思うんだがな。何よりコイツ、地位が高そうだし……っと、あったあった。やっぱ持ってんじゃねえか」
取り出したのは真っ黒く煤け、細かく碎け散った石だった。
「宝石かね?」
「いや、魔法の発動を補助してくれる石だ。本来は瞳の色と連動した色になってる」
「ふむ、ヴァルハライドの核のようなものか。彼は黒目と言うことか?」
「いや……」
ヴァルハライドと言うのはこの石と役割が同じだがそれよりも遥かに強力な、ひとつの兵器だ。
上位互換で選ばれた人間しか扱うことのできない武器、ヴァルハライド。その核もこの演算石と同じように主人の瞳と同じ色を持つわけだが……。
「良く見ろ。これは黒じゃねえ。結果的に黒く見えてるだけで……あれだ。単純にどんな光も反射してない色だ。別に黒な訳じゃない。いや、黒の定義が全ての光を吸収する、なら黒なんだが」
「うん??」
「まあ、良く見ろ。光が反射してないがこう傾けると内部でタールみたいな液体が流れるのが見えるんだ。いろんな色が混ざりあってできた色だから、その流れてる様が視認できるみてえだな」
特殊だ。どう表現したら良いのか正直迷うが、無数の色の顔料を混ぜて集めて作ったなにかのようだ。
粉末の粒一つ一つが光を反射して無数の色を黒の中に描いている。それでいてこの石には、底無しの闇が詰まっているようだ。
一応確認したが、この石の持ち主の軍人の瞳の色は鳶色だった。一般的な瞳の色と言っておおよそ差し支えがないだろう。
「そうなると変だな。なんでこの石は持ち主の瞳の色じゃねえ色に変色してんだ?」
「確かに、気になるな」
更に言えばこの中に封入されている魔力はまるで汚泥だ。魔力の自然な姿は澄んだ水に最も類似しているのを考えるに。
「…………まるで、汚染されたみたいだな」
破片をじっとみて、やがて興味を無くしたように胡蝶はそれを床に打ち捨てた。
しばらく部屋を散策していると、棚に隠れた一角に一輪の花が、赤い紅い花が咲いていた。放射状に伸びる赤くしなやかな花弁がゆらりゆらりと季節でもないのに揺れている。
「……彼岸花? なんでこんなとこに? っつーか鋼鉄の床から。なんで?」
「彼岸花か。不思議な魅力がある花だな。これが妖艶、と言うのか? 目が惹き付けられる」
「……――ま、その花もこれだけ群れて咲いてれば不吉の証に見えるな」
軍の基地内、人間の体から、鋼鉄の壁から、ところ狭しと赤い花弁が揺れる。それはある種の極楽浄土のようですら、あった。
「ふむ。奥に行こう」
「音と匂いは?」
「あまり良くないがそうした方が良いと思う。それに、いざとなったらオレが贄になれば良い」
「させねえから。それだけは絶対ねえから」
ふざけながら踏み込んだ、彼岸花が咲き乱れていた通路の奥に、何者かが立っていた。
焦点の合わない瞳で剣を震える手で握っている、一人の男だ。ピアスに嵌められている、その青い瞳と同じ色をしているはずの鉱石が夥しい量の負の感情でできた、黒い霧のようなものを纏っている。
黒髪を後ろで結わえた帝都の軍服を着たその男は、泣きながら嗤っていた。
「しの、後ろに下がれ。あれは、まずいぞ……!」
「あ、ァ、ぁ、あ、ぼく、ボク、僕、は…………」
壊れた蓄音機から溢れ落ちる音声のようなものがその喉から放たれる。鉱石の中にドロリ、と汚泥が注がれたのが遠目から確認できた。
「なんで……どうして……ぼくをかみさまはたすけてくれないの?」
「チッ……しの!!」
軍服を着た少年が一気に踏み込む。彼の刀の軌道を地面から生えた槍の柵が阻んだ。
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