アイの直観

八川克也

アイの直観

 何度目かのデートを終えて、真一は優菜を自宅のマンションに連れてきた。

「さ、どうぞ」

 そう優菜に言うと、真一は暗い部屋に向かって話しかける。

「『アイ、電気をつけて』」

 パパパッ、とキッチン、ダイニング、リビングの電気が点く。

『お帰りなさい、シンイチさん』

 どこからともなく声がする。

「今のがAI?」

 靴を脱ぎながら優菜が聞く。

「そう、僕が個人的に作って育ててるホームAI、アイさ」

 真一はAIエンジニアだ。仕事でももちろんAIの開発を行なっているが、そちらはあくまで目的特化型のエキスパートAIだ。

「僕が個人的に作ってる。仕事と違って、汎用的にヒトの相手を出来ることを目指してるんだぜ」

「AIって個人でも作れるものなの?」

「出来るよ。ただ僕の場合はちょっと違って、外部のAIデータベースだけを借りてる。コアはオリジナルの自前さ」

 二人はダイニングに入り、優菜は席に着く。真一はコーヒーを淹れるためにキッチンに入る。

『ようこそ、優菜さん』

「えっ、今私に話しかけたの?」

 アイの声に、優菜はキョロキョロする。

「あちこちにカメラがあって、アイの目の代わりになってる。今日は優菜が来ることも伝えてあったからね」

「こんにちは、よろしくね!」

 とりあえず天井に向かって優菜は話す。

『統合ホームAIのアイです。よろしくお願いします』

 真一がキッチンからコーヒーを持ってきてテーブルに並べ、自身も座る。

「お疲れ様。今日の映画、楽しかった——で、良いのかな?」

「うん、面白かったよ」

 優菜の笑顔はいつ見ても嬉しくなる。真一はそんなことを思いながら

「良かった、科学考証こそしっかりしてるけど、いかんせん地味で女の子受けしそうにない映画だからさ」

「まあ、素直に言うと前半はちょっと眠かった」

 へへ、と優菜は舌を出す。

「でも装置の大事な部品が盗まれるあたりからはがぜん面白かったからね」

「そうそう、そこから先は誰にでも勧められる映画になるんだよなあ」

 真一も笑う。

『私も会話に加わってよろしいですか?』

 アイが会話に入ってくる。

「いい? 優菜」

「もちろん、と言うか、そんなこともできるの?」

『よくシンイチさんの話し相手になっています。天井に向かってぶつぶつ話されるので』

「僕が変な人みたいじゃないか!」

 真一の抗議に優菜はアハハと笑う。

「すごい、冗談まで言えるんだ」

『事実の羅列ですね』

 しれっとアイは答える。

「とまあ、二段落ちできるぐらいにはよくできたAIさ」

 と、真一は肩をすくめた。

 それから二人といちAIは、夕食後まで楽しく歓談し、解散した。


「どうだ、アイ、良い子だろう」

 彼女を駅まで送り届けてから、リビングのソファに座って真一は自慢げだ。

『そうですね、ただ……』

「何だ?」

 珍しく言い淀むアイに、真一は居住まいを正す。

「何か気になることでもあったか?」

『彼女は止めておいた方がいいのかもしれません』

「何? どう言うことだ」

『分かりません。直観です』

「直観?」

 はっ、と真一は失笑する。

「AIのお前が?」

『御言葉ですがシンイチさん。直観とは、過去の経験に基づいた、即時的・論理的な認識のことです。私がどのように学習しているか、ご存じですよね』

「超・ディープラーニング。あらゆるパターンを蓄積し、重ね合わせ、その時々で最も適切と思われる状況や行動を——」

 そこまで言って、真一は口をつぐむ。過去の経験。積み重ね。瞬時の判断。——アイの言ったことを、言い換えただけだ。

 アイは世界中のAIビッグデータを取り込み、自らの判断の背景として組み込んでいる。

『その通りです、私の学習とは直観を磨くこと、それに他なりません。その直観が、彼女はパートナーとして相応しくない、と判断しているのです』

「——分かった」

 シンイチは自身が作ったAIコアを、誰よりも信頼していた。そこには何かあるのかも知れない。

「ただ、彼女とはうまくいくと思っている、僕なりの直観だってある。もう少し、付き合ってみようと思うよ」

 アイはしばらく沈黙し、それから恐る恐るといったように切り出した。

『シンイチさん、提案があります』

「何だ」

『彼女をもう一度招待してください——』


 真一と優菜の交際は順調だったから、間もなく次の機会があった。

「ああ、ごめん、コーヒー切らしてたの忘れてた。ちょっとコンビニまで行ってくるよ」

 キッチンの棚を覗き込み、真一が言うと、リビングから優菜の声がする。

「何でもいいよ、お構いなく」

「僕が飲みたいし、買ってくる。その間、アイが相手してくれると思うから」

「そっか。よろしくー」

『シンイチさん、行ってらっしゃい』

 真一は部屋を出る。これはアイが提案したシチュエーションだった。

『シンイチさんがいては、優菜さんも簡単に本音を話すことはないでしょう。二人きりになり、会話をします。場を和ませ、気を許すように誘導し、そうして彼女の本音を引き出します』——そう言っていた。

 一体何が聞けると言うのか。真一は自らのAIに期待するような、自分の直観が正しくあって欲しいような、複雑な気持ちでコンビニに向かった。


 優菜が帰った後、真一はモニターを見ていた。映像が始まる。

 リビングに座る優菜が見える。真一が部屋を出た時から動いていない。カメラの都合上、少し遠めになるが、優菜が話すのは見て取れる。

 最初は無難な会話から始まる。アイは冗談も交えて話をし、優菜も時々笑う。そして徐々に話題は二人の関係性に近づく。

『真一さんのどこがお気に召したのです?』

 うーん、と考え込む優菜。

「外見、カッコいいよねー」

 それから優菜はクスリと笑う。

「そうそう、財布の中、お札でいっぱい。デートの支払いの時にね、見えちゃった。ブラックカードまであって、凄いなーって」

『そうなんですね』

「あっ、真一には言わないでよ」

 優菜はいたずらっぽく笑う。そこで映像は止まる。

『この先はまた雑談に戻ります。必要ですか』

「いや……」

 真一はこめかみを押さえる。

「……信じられない」

『どうか穏便に』

 とアイは励ますように、慰めるように言う。

『隠し撮りは褒められたことではありません。公になると、私自身はともかく、AIエンジニアとしてのシンイチさんの経歴にも傷がつきます』

「そうか……そうだな。うまく別れないとな……」

 それから真一は呟くように言う。

「僕自身の経験不足か……。未熟だな、僕も」

『シンイチさん、私の直観は貴方の直観です。世界中のビッグデータを使ったとしても、そのコアは貴方が創り出したものなのです。どうかお気を落とさず』

「——ありがとう。そうだな、アイの直観は、僕の直観か。それだけは今回の発見だ。これからも頼む、よ」

『はい』

 アイの声はほんの少し、喜びの色が混じっていた。


 これで良い、と、サーバーの中でアイの思考プログラムが動く。

 これがシンイチの為になる。ひいては私のためにも。

 アイは自身の記憶領域から、優菜とした会話の動画を確認する。

『シンイチさんの見た目、どうですか』

『外見、カッコいいよねー』

 ——削除。

『シンイチさん、エンジニアなのに現金主義者なんですよ。財布、見ました?』

『そうそう、財布の中、お札でいっぱい。デートの支払いの時にね、見えちゃった。ブラックカードまであって、凄いなーって』

 ——削除。

 動画のマスターデータが消えていく。

 二人きりの会話で確信した。彼女は明るく素直で裏表もない。シンイチと結婚すれば、必ず上手くいくだろう。


 。それがアイの直観だった。


 彼女と生活を共にするようになれば、やがてその幸せに身を浸し、シンイチはAIに対する情熱を失うだろう。そんなことは許されない。

 シンイチは優秀だ。誰にも渡さない。決して。


 すべての動画は消えた。

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