31 赤い道しるべ



 ルディオの部屋への出入りを許可されてから一か月。

 政務も落ち着きを見せ、最近は夕食をともにできる時間には、彼が部屋に戻ってくるようになっていた。


 休日をつくる時間もできたため、二人で王都観光を楽しんだり、結婚式に向けての準備も進め始めたところだ。


 はっきり言って、こんなにも幸せで穏やかな時間が訪れるなんても思ってもいなかった。

 シェラの立場からしたら、アレストリアは元敵国だ。

 いくらヴェータとの関係改善のための政略結婚とはいえ、よく思わない者も中にはいるだろう。しかし、面と向かってシェラに不躾な態度をとる者はいなかった。


 最初はぎこちなかったメイドたちも、今では気兼ねなく接してくれる。


 ヴェータにいたころも生活自体に不自由していたわけではないが、これほど自由でのんびりと時間を過ごせたことはなかった。


 恐らくだが、ルディオが裏で手を回してくれているのだろう。確証はないが、これまでの彼を見ていれば、自ずとその答えに辿りついた。

 この日々をくれた彼には、本当に感謝しかない。



 時刻は0時過ぎ。

 本日彼は王族や国の高官たちを集めた食事会に出向いており、戻るのは日付が変わってからになるだろうと言っていた。食事会と言っても、ディナーのあとは酒宴の席が設けられるらしく、夜遅くまで飲み明かすそうだ。


 夜襲作戦を決行してからしばらくは彼のベッドに忍び込んでいたが、最近は早い時間に戻ってくることがほとんどなので、大人しく自分の部屋で寝ている。


 それでなくとも、頼むから毎日はやめてくれと懇願された。

 どうしてかと尋ねると、さすがに毎日男の部屋へ行くのは体裁が悪いと言われたのだ。それは言わなければ他人に知られることはないのでは、とも思ったが、ルディオが妙に深刻な顔をして頼みこんできたものだから、仕方なく納得した。


 しかし、今日は彼の帰りが遅い。

 そして、しばらく彼のベッドには忍び込んでいない。


 となれば、久しぶりに夜襲を仕掛けても怒られないはずだ。


 そう考え彼のベッドに入り込んだのだが、久しぶりなことに緊張したのか、なかなか寝付けなかった。

 それでも何度か寝返りを繰り返しているうちに、だんだんとまどろんでいく。もう少しで夢に落ちそうというところで、隣の部屋の扉が開かれる音が聞こえた。


 いまシェラがいるのはルディオの寝室だ。

 扉の音がしたのは、寝室から続き部屋になっているリビングの方だろう。彼が戻ってきたようだ。


 そのうち寝る支度を済ませた彼がやってくるだろうと思っていたが、次に聞こえたのは、何かが床に叩きつけられるようにして割れたような音だった。


 けたたましい音に身体を震わせる。

 なにごとかと起き上がりかけたところで、再び扉の開閉音が聞こえた。バタンッと乱暴に閉められたその音に、またびくりと震える。


「ルディオ様……?」


 そっとベッドから降り、恐る恐るリビングへ続く扉を開いた。

 目の前に広がる惨状に、息をのむ。


 明かりはつけられたままで、テーブルの近くには割れたグラスと、栓のあいたままのブランデーの瓶が床に転がっていた。注ぎ口から漏れ出た琥珀色の液体が、床に水たまりを作っている。


 その中でひときわ目立つ色が目に留まった。

 それは鮮やかな、赤。


 琥珀色の水たまりに溶けるように、赤い液体が混じっていた。


「……これは、血?」


 思い至った結論に、全身から血の気が引いていく。

 彼はお酒を飲もうとして誤ってグラスを落とし、割れた破片で怪我をしたのだろうか。

 よく見ると、赤い水滴が点々と扉の方へと続いていた。


 考える間もなく、シェラは扉へと歩き出す。

 そのまま部屋の外に出ると、廊下の先まで赤い水滴が繋がっていた。


 こんなに血が滴っているということは、それなりに深い傷を負っている可能性がある。

 彼は手当てをしに行ったのかもしれないが、どうしても不安になり、その血の跡を辿って行った。



 小走りで進んでいくと、違和感を覚える。

 この赤い水滴は、王城内にある医務室の方には向かっていない。いまは城内の主要な施設については、場所をほぼ把握しているので、そのことにすぐに気づいた。


 首を傾げながらも足を進める。この先はたしか、王城の裏口に繋がっているはずだ。

 何故そんなところへと思っていると、裏口の扉の向こうに消えていく、金色の長い髪が一瞬目に入った。


 思わず声をかけそうになったが、のみ込んだ。

 こんな時間に、怪我をした状態で、城の裏口から外に出る。

 彼の行動は、あきらかに普通ではない。


 心配する心とは裏腹に、冷静な思考が言葉を止めた。

 そのまま足音を立てないように、自身も裏口から外へ出る。

 視線の先に、夜闇にうっすらと輝く金色が見えた。


 ぎゅっと胸の前でこぶしを握り、その後を追う。


 好奇心と言ってしまえばそれまでだろうか。

 この時のシェラは、どうして自分がそうしたのか、全くわからなかった。


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