28 作戦失敗?



 その日の夜、シェラは緊張した面持ちで、とある扉の前にいた。

 この扉はルディオの部屋へと直接続いている。

 普段は鍵をかけていて、ルディオが入ってくるには、シェラが持っている鍵を使わなければならない。


 初めてこれから自室となる部屋を訪れたとき、彼は言っていた。


『この扉の鍵は君に預けておく。君の部屋に行く時はノックをするから、私に会いたいと思ってくれるなら鍵を開けてくれ』


 結局その日以降、この扉が叩かれたことはない。そもそも隣の住人がほとんど部屋にいないのだから、当たり前なのだが。


 だから今日は、こちら側から叩いてみようと思う。


 時刻はちょうど日付が変わる頃。

 いつもはとっくに寝ている時間である。


 つい先ほど彼が戻ってきたようで、隣室の扉が開かれる音が聞こえた。今はたしかに人の気配もする。

 あまり時間をおくと彼が寝てしまう可能性もあるため、早いうちに作戦を実行しようと思う。


 大きく息を吸って、吐き出した。


 いざ扉を叩こうと手を上げた瞬間、カチャ――という音が目の前から聞こえる。


「?」


 何の音かと小首を傾げると、ドアノブがゆっくりと下がっていき――


「え……」


 静かに音を立てながら、扉が開かれた。

 中途半端に上げた右手はそのままに、シェラは向こう側にいた人物を凝視する。


 そこには、同じようにシェラを見たまま固まっているルディオがいた。

 緑の瞳を大きく見開いて、取っ手に手をかけたままの体勢でピクリとも動かない。


 たっぷり十秒は見つめ合って、先に口を開いたのはシェラだった。


「えっと……」


 その声に我に返ったのか、彼はびくりと身体を揺らす。一歩扉から後ずさり、明らかに動揺を含んだ声で言った。


「なぜ、起きて……」


 確かにいつもは寝入っている時間ではあるが、だからと言って責められるほどの時間でもない。

 抗議しようと口を開きかけたが、彼の言葉が遮る。


「いや、起きているのは……おかしくはないな。むしろ、おかしいのは私の方か……」


 独り言のように呟く。

 先ほどのカチャッという音は、恐らく鍵を開けた音だろう。この扉を開けるには、シェラが持っている鍵が必要なはずだが、ルディオはいま自ら鍵を開けていた。

 状況的におかしいのは、確かに彼の方である。


「ああ、だからこれは、その……」


 これほど動揺している姿を見るのは初めてだ。

 どう言うことかとじっと見つめると、ルディオはまた一歩後ずさり、小さい声で答えた。


「……すまない。弁解を……させてくれ…………」




   *




 ソファに腰を落ち着けて、一息つく。

 ここは初めて入る、ルディオの部屋。

 あの後、彼は謝罪を述べながら、シェラを自室に招き入れてくれた。


「寒くないか?」


 ナイトドレスにカーディガンを一枚羽織っただけのシェラに、厚手のガウンをかけてくれる。

 普段使っている物なのだろう。ふわりと彼の匂いが鼻孔をくすぐった。


「大丈夫です。ありがとうございます」


 礼を言うと、彼はぎこちなくほほ笑んだ。

 その様子からは、普段の凛々しさは微塵も感じられない。まるで、爪を切られた猫のようだ。


「君は……なぜ扉の前に?」

「あなたに会いたくて」

「……そうか」


 素直に答えると、隣に座った彼は小さな声で頷いた。


「ルディオ様は、どうしてわたくしの部屋に? 鍵はこちらで持っている物だけじゃなかったのですか?」


 純粋なシェラの質問に、彼は気まずそうに眉を寄せる。


「鍵は……何かあった時のために、もうひとつ作ってあった。使う予定はなかったから、金庫にしまっていたんだが……」


 一度言葉を切って、視線を逸らす。


「距離を置いておきながら、結局自分で言ったことを破るなんて、本当に馬鹿らしいな」

「距離を……?」


 やはり避けられていたらしい。

 予想していた通りの事態に、滲みそうになる涙を隠そうと俯いた。


「忙しさを理由に会いに行かなかったことは、申し訳ないと思っている。君はこうして私の帰りを待って、会いにきてくれたというのに」

「それは……わたくしに会いたくなかった、ということでしょうか?」


 ずきりと痛んだ胸に手をあて、目の前にある新緑色の瞳を覗き込む。

 ルディオはシェラの瞳をじっと見つめ、それからゆっくりと口を開いた。


「そう思えれば……よかったんだがな。どうやら私は、もう引き返せないところまで来てしまったらしい。自分から避けておいて、耐えられずにこれを使ってしまうなんてな」


 懐から鍵を取り出して、彼は自身の手のひらに載せた。


「仕事を終えて自室に戻ったはずが、気づいたら君の部屋にいた。疲れていてあまりよく覚えていないんだが、無意識に持ち出したらしい」


 鍵を見つめ、申し訳なさそうに眉尻を下げながら言葉を続ける。


「一度許してしまうと、もう止められなくてな……悪いと思いつつも、何度も君の寝顔を見に行った」

「何度も……?」

「そうだな。もう……一週間になるか」


 衝撃の事実に、徐々に頬が熱をもっていく。

 一週間も前から、彼に寝顔を盗み見されていたと言うのか。


「起こしていただければ……!」

「起こしたら、そのまま何もしないでいられる自信がなかった」

「え……?」


 意味がわからず首を傾げると、彼の腕が背中に回され抱き寄せられる。


「!?」

「ああもう、全てが遅いな。初めから素直になっておくべきだった。そうすれば、君を傷つけずに済んだのに」

「ルディオ様?」


 真意を探るように、腕の中から彼の顔を見上げる。


「すまない。君を避けていたことも、勝手に部屋に入ったことも、ここ数日の私の行動は本当に浅はかだった。許してくれとは言わない。だが、もう自分の気持ちに嘘はつけそうもない」

「ちょ、ちょっと待ってください!」


 一人で勝手に話を進めるルディオに待ったをかける。

 何が起きているのか、何を言われているのか、理解が追いつかない。


 だから、まずははっきりさせなくては。


「ルディオ様は……わたしを好いてくれているのですか?」


 自惚れでもいい。間違いでもいい。

 そう、覚悟の上で問いかけた。


「妻を好きになっては、いけないか?」


 思考が止まる。

 ぽかんと口を開けたまま、緑の瞳を見つめ返した。


 微動だにしなくなったシェラに、ルディオは顔を近づけて言う。


「もし、私の気持ちが迷惑であれば、今すぐこの腕を振り払って逃げてほしい」


 そんなこと、できるわけがない。

 ずっとこの腕の温もりを、求めていたのだから。


 ぶんぶんと音が鳴りそうな勢いで、首を横に振る。

 ルディオは目尻を下げて、小さくほほ笑んだ。


「逃げないのなら、覚悟することだな。君も、そして、私も――」


 そのまま唇が重なる。

 お互いの体温を確かめるようにそっと触れ合って、ゆっくりと離れた。


 初めてのキスに、頭がくらくらする。

 嬉しさと恥ずかしさで、顔が赤く染まっていった。



 しばらく余韻に浸るように彼の胸に凭れていると、思い出したようにルディオが言う。


「何か欲しいものはあるか? 勝手に部屋に入った詫びに、なんでも揃えるが」


 罪悪感は残っていたようで、彼はそんなことを提案してきた。


 一番欲しかったものは、たった今もらってしまった。

 それは――彼の心。

 これ以上に欲しいものはない。


 しばし考えて、シェラは思いついたことを口にする。


「では、その鍵をください」


 彼が予備で持っていた、二人の部屋を繋ぐ扉の鍵を示した。


「これは、いざという時にないと――」

「いえ、もう鍵はかけません。あなたの部屋に、自由に出入りする権利をください」


 強引かとも思ったが、少し悩んだ様子を見せてから、彼は頷いてくれた。


「わかった。私から言い出したことだし、許可しよう」

「ありがとうございます」


 別に、彼の部屋を物色しようというわけではない。

 ルディオがシェラの部屋を勝手に訪れていたと聞いて、ある野望が思い浮かんだのだ。それを実行するためには、彼の部屋に自由に入れることが最低条件だった。


 そのあとは自室に戻り、一人でベッドに入った。

 本当はヴェータにいた頃のように彼と一緒に眠りたかったのだが、それは許可してくれなかった。


 横になり、大きく息を吐く。


 嫌われているわけではなかった。

 むしろその逆で……彼に好かれているなんて、本当に夢のようだ。


 しかし、込み上げてくる嬉しさとは逆に、不安も同じくらい押し寄せてくる。

 本当に、このまま彼の隣にいてもいいのだろうか。


 この身体は普通とは違う。

 生命力のすり減ったシェラは、見た目は若くとも、生きるための力は老人のようなものだ。

 王太子の妻になると言うことは、子を成さなければならない。果たしてシェラに、その大役が務まるのか。


 それ以前に、いつまで生きられるのかすら分からないのだ。

 こんな身体で彼に愛してもらおうなんて、本当におこがましいと思う。


 でも、それでも……少しでも長く、そばにいたい。

 最近は力を全く使っていないからか体調も良いし、このまま普通の人と同じように生きられたら――


 今まで、散々頑張ってきたのだ。

 少しくらいわがままを言ってもいいだろう。


 そう自分に言い聞かせ、深い眠りについた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る