5 わたくしの護衛
二人きりになった部屋の中で、シェラは確認するように問いかけた。
「書類を用意させて、どうするのですか?」
「もちろん、然るべきところに提出する」
それはわかる。
口約束で婚姻は成り立たないのだから、いずれ正式に書類を作成する必要があるだろう。
「それはわかるのですが、至急というのは……?」
「そのままの意味だ。書類が用意でき次第、今日中にサインしてもらう」
「今日ですか!?」
「そうだ。反対される前に、結婚してしまえばいい」
心の準備が――という言葉は、飲み込まざるを得なかった。
これを否定したら、ハランシュカの言っていた、既成事実とやらを作らせられるかもしれない。
喉まで出かかった言葉をのみこんで、歯切れ悪く頷いた。
「な、なるほど」
そうこうしているうちに、部屋の扉が叩かれる。
ルディオが入室を促すと、黒い隊服を着た、騎士と思われる一人の女性が姿を現した。まっすぐに伸びた長い金髪を頭の高い位置で結い、馬の尻尾のように垂らしている。
この人は確か、主城から離宮へ移動する際に、周りにいた騎士の中で見た気がする。
「殿下、お呼びですか?」
「ああ、紹介しておく。私の妻だ」
シェラの肩に手を添えて、ルディオが言った。
二人の顔を交互に見ながら、女性はきれいなほほ笑みを浮かべる。
「寝言は寝て言え?」
「冗談ではないから、いま言ったんだ」
「…………」
長い沈黙とともに、女性はシェラをじっと見つめる。なんとも言えない居心地の悪さを感じたが、しばらくして、危機迫る様子で駆け寄ってきた。
「あぁ! こんな男に捕まってしまうなんてかわいそうに!」
「おまえがそれを言うのか……」
女性はシェラの手を両手で握りながら膝を突き、嘆きの声をもらす。
「こんなにも可愛らしいお姫さまが殿下の餌食に……まだお若く見えますのに、本当によろしかったのですか?」
「えっ……と、はい」
何がなんだわからず、とりあえず頷く。
助けを求めるようにルディオの顔を見上げると、彼は柳眉を寄せて溜め息を吐いた。
「ルーゼ、その辺にしておけ。シェラが困ってる」
「あら、これは失礼。私としたことが、珍しく取り乱してしまいました」
言うなり握っていた手を放し、その場に立ち上がる。背筋を伸ばし姿勢を正してから、先ほどとは打って変わった凛とした声で話しだした。
「私は王太子殿下付きの近衛騎士、ルーゼ・フォーラスと申します」
ルーゼと名乗った女性は、お手本とも言えるような美しい一礼をする。
つられて頭を下げると、大人の女性が見せる、少し妖艶さを含んだほほ笑みを返された。恐ろしく綺麗な顔立ちをした人だ。
「で、ルディ。これはどう言うこと?」
今度は腰に両手をあて、眉を寄せながらルディオを睨んだ。ころころと変わる表情が面白くて、つい目で追ってしまう。
「彼女と結婚する。ハランに書類を用意させているから、戻り次第夫婦になる予定だ」
「いろいろとツッコミどころが多すぎるんだけど!? ハランは止めなかったの?」
「あいつは賛成していた」
ルーゼは右手で眉間を押さえて、唸るように言った。
「どいつもこいつも……わかったわ、事情はあとでハランに聞く。それで、私を呼んだのはどういう用件?」
「彼女をしばらくこの離宮で保護する。シェラに付いてもらいたい」
その返答に、ルーゼはぴくりと片眉をつりあげる。
「なるほど、了解」
いまいち話の流れが把握できていないシェラとは違い、二人は短い会話で相手の意図することを理解したようだ。
ルーゼは騎士と言う身分ながら、ルディオのことを愛称で呼んでいた。口調もかなり砕けたものだし、二人が相当親しい仲だということが伝わってくる。
「シェラ、女性同士の方が良いだろうから、ルーゼを君の護衛にする。身の回りの世話も彼女が手伝うから、何かあったら頼ってくれ」
「え!? 待ってください! 自分のことは自分でします……!」
近衛と言えば、とても腕の立つ騎士のはず。女性でその地位に就いているのであれば、よほどの努力をしてきたと想像できる。そんな人に、侍女の真似事などさせるわけにはいかない。
慌てて断りを入れるも、ルーゼが再び目の前で膝を突いた。
「シェラ様、気にされる必要はございません。私はもともと、王太子妃付きの近衛になる予定だったのです。予定がいきなり現実になって少々動揺しましたが、本日から全力でお護りさせていただきます」
右手を胸の前に添え、誓いを立てるように言う。その真面目な振る舞いに、拒否することは躊躇われた。
シェラのそばにいることが、彼女にとっての仕事であり、そして誇りなのだろう。
「わかりました。よろしくお願いします、ルーゼさん」
シェラが納得したのを確認して、ルディオが続けて言う。
「生活に必要なものは離宮に届けさせるが、もし主城に戻る必要がある時は、必ずルーゼを連れて行くように。ここから出る時は、絶対に一人で行動してはいけない」
用心深すぎる気もするが、これにはきっと、監視の意味も含まれているのではないかと思う。
いくら婚姻を結ぶからと言っても、今日会ったばかりの敵国の王妹を、全面的に信用することは難しいだろう。あやしい行動をとらないか、監視目的であれば自然と納得できる。
「気をつけます」
ルディオに向き直り頷いた。
「それと、ここでの部屋についてだが……悪いが、私と同じ部屋を使ってもらいたい」
「……え?」
同じ部屋とは言葉のままの意味だろうか。いや、それ以外にないのだが。
「護るべき対象は、一カ所に集めた方がやりやすいんだ。もともと配置分けできるほどの騎士を連れてきていないから、彼らの手間を省くためにも、同じ部屋を使ってもらえると助かる」
「シェラ様、ここは私たちからしたら敵陣のど真ん中です。警護の質を保つためにも、協力していただけませんか?」
この離宮に来た時の外の様子からして、建物自体にもかなり厳重な警備が敷かれていたと記憶している。それでも、離宮の中が完全に安全だとは言い切れないのだろう。
二人に説得されてしまっては、お世話になる方の身としては無理だなんて言えない。
そもそもこれから夫婦になるのだ。夫となる人と同じ部屋で生活すること自体は、なんら不自然ではない。
「そういうことなら、同じ部屋を使わせていただきます。私の方こそ、皆さんにいらぬ手間をかけさせてしまい、申し訳ありません」
頭を下げ、謝罪をする。
アレストリアからきた騎士たちの仕事を増やしてしまうことは、避けられない。負担にならないように、自分にできることをしよう。
彼はありがとうと礼を言ってから、おもむろにシェラの顔を覗き込む。
「大丈夫そうだな」
「?」
「少し前まで、だいぶ顔色が悪かった。今は随分と良くなったが、本当に体調が悪いようなら、医師に診せなくてはと思っていたんだ」
「あ……」
そう言えば、バルトハイルと二人でルディオと会うまでは、起き上がるのもつらいほど身体がだるかった。
聖女の力は、使えば使うほど身体に負担がかかる。
シェラは十歳の頃より力を使い続けてきたせいで、生命力――生きていくために必要な力が、かなり希薄になっている。これは寿命のようなもので、休息をとっても回復しない。
見た目は少女だが、その生命力は今際の老人と変わらないのだ。
「大丈夫です。だいぶ楽になったので」
普段であれば多少身体が軽くなる時があるくらいで、根本的に回復はしないのだが、今日は違った。完全にではないが、だるさがほぼ消えているのだ。
なんだかお腹も空いてきた気がする。
最近は常になかった食欲の存在を思い出してしまったからか、シェラのお腹がくぅと鳴った。
「ふっ……なんだ、腹が減っていたのか」
「す、すみません!」
「いや、いい時間だし夕食にしよう」
彼はくすくすと笑いながら、ルーゼに食事の用意を指示する。
恥ずかしさに火照る頬を両手で押さえながら、窓の外で沈みゆく夕日を見ていた。
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