4  既成事実



「いま、なんと……?」


 よほど驚いたのか、手を引こうとした中途半端な姿勢で彼は言う。


 いま視えたものは過去か未来か、それとも彼の記憶か。

 シェラの力は、視ること。

 対象の過去や未来を、映像として脳内で視ることができてしまう。


 現在のシェラの力はかなり不安定で、視ようとしなくても映像が流れ込んでくることがある。

 視えたとしてもかなり不鮮明で、内容がはっきりとわからないことも多い。

 そんな状態の中で認識できたものは、黄金色のたてがみが朝焼けに透けるように輝く、大きな獣の姿だった。


 あまりにも幻想的なその光景に、思わず声をもらしてしまったのだ。


 見開いた瞳をスッと細め、眉間に深くしわを刻みながら、ルディオは再度問いかけた。


「なぜ、そう思った?」

「そ、れは……」


 口にしてしまったことを撤回できるはずもなく。

 睨みつけるようにシェラを見たルディオに、思わず身体が竦む。


 あの黄金色の獣と、彼がどう関係しているのか、先ほどの映像からは分からない。だがこの反応を見ると、なにかしらの関係があると察せられた。

 経験則からして、勝手に流れ込んでくる映像は、その人が強く縛られているものであることが多い。

 これ以上は踏み込まない方がいいだろう。


「あなたの長い金色の髪が、昔絵本で見た、黄金のたてがみを持つ獅子ライオンに似ていたので……」


 多少不自然ではあるが、なんとか言い訳をする。

 シェラの朝焼け色の瞳をじっと見つめていた彼は、少しして目を逸らした。


「獅子……か。確かに、似ているかもな」


 俯くように視線を落とす。

 室内が沈黙に包まれ、なんとも言えない居心地の悪さを感じていると、ルディオが口を開いた。


「話を戻すが、本当に君を私の妻として迎えていいんだな? 祖国を離れることになるが」


 再びやわらかい雰囲気をまとい、話題を変える。

 緊迫した空気が解けていくのを感じ、ほっと胸を撫でおろした。


「ええ、構いません」


 この国から離れられるのであれば、むしろ本望だ。

 行く先に何が待ち受けているのかはわからない。未来を視ようにも、今のシェラではまともに力を使うことなどできないだろう。

 でも、それでいい。

 この人に着いていくと、決めたのだから。


 しかし、ヴェータを出るのは簡単なことではない。バルトハイルが、あの強欲な王が許すはずがないのだ。


「どうやって、兄を納得させるのですか?」


 疑問を口にすると、にやりと不適な笑みを浮かべながらルディオは言った。


「納得させる必要はない。納得せざるを得ない状況にもっていく」


 先を促すように首を傾げる。

 しばらく静観していたハランが口を挟んだ。


「既成事実を作ってしまえばいいんだよ」

「きせい、じじつ……?」

「ルディと寝ればいい」


 ぽかんと口を開けたまま固まる。

 それは、つまり、ルディオに抱かれると言う意味で――


 確かに夫婦になるのであれば、いずれは避けられないことだろう。しかし、今すぐどうこうなれるほど大人ではない。

 もちろん未経験だし、できれば心の準備をする時間がほしい。うん、そう、一年くらいは。


 動揺が顔に出ていたのか、ルディオが窘めるように言った。


「ハラン、やめろ。そういうことばかり言うから、女性から嫌厭されるんだ」

「僕は既婚だよ? 奥さん以外の女性にどう思われようと関係ないね」

「私の妻には、気に入られておいた方がいいんじゃないか?」


 『私の妻』と言う言葉に、一瞬心臓が跳ねる。

 そうだ、この人の妻になるのだ。求められたら、応じなければならないのかもしれない。

 徐々に頬が赤く染まっていくシェラを目に留めたハランが、くすりと笑う。


「ほら、彼女もまんざらじゃなさそうだけど?」


 意地悪く言うハランの言葉を聞いて、隣に座る人がシェラの顔を覗き込む。


「君がその方がいいと言うなら、私は構わないが?」

「よくありません!!」


 思いっきり首を振って否定した。

 これはこれで失礼な気もするが、そんなことを気にしている余裕はない。


 少しだけ涙目になっていたシェラを見たルディオは、横目で向かいの人物を睨む。


「おまえのせいで、泣いてしまったじゃないか」


 不機嫌を声に滲ませながら、目尻にたまった涙をルディオの指先が掬いとる。

 その優しいしぐさに、今までに感じたことのないような安堵感が押し寄せてきた。


 まだ会って数時間も経たないのに、この人に触れられると、なんだかふわふわと身体が軽くなった心地がする。

 とても不思議な感覚だった。


「……すみません。はしたない姿をお見せしました」

「いや、あいつに苛められたら、すぐに言うといい」

「そうさせてもらいます」


 彼がハンカチを手渡してくれたので、目尻を拭う。

 こんなふうに人に優しくされたのはいつぶりだろう。

 自然と浮かんだ笑顔を向けると、彼もほほ笑み返してくれた。


「仲を深めるのはいいことだけど、そろそろ本題に入ったほうがいいんじゃないかな?」

「おまえが余計なことを言ったからだろ」

「あーそうだっけ? それはすまなかったね。で、どうするんだい?」


 真面目な顔で問いかける。

 つられて、シェラも彼の顔を見上げた。


「至急、婚姻関係の書類を用意してくれ。この国のもので構わない」

「なるほど、仰せのままに」


 返事をするなり、ハランは立ち上がる。

 ルディオの指示を実行するために、部屋の入口へと歩き出そうとして、思い出したように振り返った。


「ああ、そういえば自己紹介がまだだったね。僕はハランシュカ、王太子殿下の忠実なしもべだよ。よろしく、シェラ殿下」

「その言い方はやめろと言っているだろう」


 おどけたような言葉に、ルディオが抗議の声をあげる。


 ハランというのはフルネームではなかったようだ。

 次期宰相候補という肩書からして、この人はルディオの補佐官か、それに近い人物なのだろう。


「よろしくお願いします、ハランシュカ様」

「未来の王妃様なんだ。敬称はいらないよ」


 シェラが座ったまま頷くと、ハランシュカはにこりと笑って歩き出す。


「ルーゼを呼んできてくれ」

「了解」


 ルディオの言葉に背を向けたまま返事をして、そのまま扉の外へと消えていった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る