第一章

石宮誠司と文芸部

第1話 石宮誠司と桜木舞花の入学 前半


 日本では時間を守る事は美徳とされている。部活に遅刻すれば先輩に嫌われるし、会社に遅刻しようものならリストラ候補待ったなしだ。


 唐突だが今日ほど、時間ギリギリに行動する事が世間で悪と見なされる理由が実感出来た日はなかっただろう。


 今日は4月9日、県立文神高校の入学式。

 この日、俺は高校生と化すのだ。

 今朝は余裕ある時刻に起床し、優雅に朝食を嗜んだ。電車の時刻表もバッチリ把握済みだし、超余裕。

 あー俺も青春をするんだな! ガハハ!


 ……その後何を思ったのか二度寝してしまい、予定ギリギリの電車に乗り込む事となる。

 駅を出て、そのまま全速力。やはり俺の他に生徒は見当たらない。


 ——これは良くない。


 駅から高校までの距離は長い。


「だがな、俺よ。ここで頑張らずしていつ頑張る?」


と意気込んで走り続ける。

 途中公園に差し掛かった。ここを通れば近道になる。俺は迷わず入った。

 公園には人がほとんど居なかったが、道脇の花壇には花が綺麗に植えられていて、周囲の桜の木も満開だった。


「——綺麗だな」


 いかんいかん。花見をする余裕はない。

 ゼエゼエと運動不足を実感しつつ走っていると、公園の道端でしゃがみ込んでいる茶髪のボブヘアーの女の子を見つけた。俺と同じ高校のブレザーを着ている。

 俺は少し呼吸を整えてから


「ねぇ、君!」


と、急がなくてはと思いつつ、放って置くのも悪い気がして声をかけた。

 彼女は苦しそうにこちらに振り向いた。


「おいおい、大丈夫か?」

「……だ、大丈夫……しん…心配しないで」


と、彼女は立ち上がろうとしたが、上手くいかず地面に手と膝を付いた。


「くッ……すみません、目眩がしたもので」

「肩を貸そうか?」

「あり、がとう……ございます……」

「その様子では学校に行くのはキツそうだ。少しベンチで休もう。ほらあそこ。ちょうど日陰だ。よし、立てるね? いいぞ、その意気だ」


 ベンチまで彼女を連れてくると、ポケットからハンカチを取り出し、そこに敷いた。


「さ、座って」

「ありがとうございます。でも、遅刻しませんか?」

「良いよ、入学式なんて行こうが行くまいが関係ないさ」

「入学式……と言う事は一年生? 私も一年生。なーんだ、てっきり先輩かと思った」

「大人っぽく見えた?」

「ううん、新入生が遅刻するとは思わなかった!」

「違いない」


 安心したのか、アハハと彼女は笑う。


「あのさ、名前教えてよ」

「石宮誠司だ。よろしく」

「私、桜木舞花。よろしくね、石宮君」


 桜木舞花はクリクリとした大きな目に優しい声をした女だった。スタイルも良く、実に可愛らしい。

 今は体調が悪い為に無愛想気味になっているだろうが、それでもはにかんだように笑う姿は愛嬌があり、実にモテそうなタイプだ。


「この後どうする? 親御さんに電話して迎えを頼むか、それとも保健室まで頑張る?」

「ここで少し休んでから保健室に行く。私はもう大丈夫だから、先行きなよ、石宮君」


と、青ざめた顔で彼女はそう言う。

 そんな彼女を前に、下心の有無に関わらず、「はいそうですか」とこの場を立ち去る奴はいないだろう。


「うーん、どうせ遅刻だ。最後まで付き合わせてくれよ」

「そう? じゃあここで少しの間、私の話し相手になってよ」

「喜んで。一緒に入学式をサボタージュしようぜ」


 俺は彼女の隣に一人分の隙間を空けて座った。


「中学はどこだったの?」

「俺は文神西。君は?」

「私は文神南」

「海が見える所だ」

「うん、そうだよ」


 すぐに話題が尽きた。思うように広がらない。お互いに距離を測っているからだろう。

 仕方ない、ここは一つ俺から十八番おはこを披露してやろう。


「なあ、桜木さん」

「何?」

「彼氏いる?」


 ポカンとした彼女と目が合った。


「いや、違うんだ。他意はないよ!」

「ふふ、変なの。いないよ。私、あんまり可愛くないから彼氏出来たことないんだ」


 意外だった。

 この質問から今度は『恋人いない歴=年齢』の自虐に持ち込もうと思っていたのだ。

 まあ良い、続けよう。


「じ、実はな。俺もいないんだ」

「はは、確かにいなさそー」

「失敬な。それは置いておいて、こんな俺でも恋はしたことがあって——————」


 それは全くの無為の時間だった。

 入学式という一大行事をすっぽかして、俺は桜木に過去の失恋談を聞かせている。

 彼女はそれをさも楽しそうに笑う。

 現実逃避したかの様な、どこか悠々自適な時間の無駄遣い感。


 ———こう言うのも、案外悪くないな。


 気がつくと1時間程経過していた。とっくに入学式は始まっているだろう。


「さてと、そろそろ行こうぜ」

「そうだね。話してたら元気になったし、ありがとうね。あ、ハンカチありがとう。洗って返すよ」

「良いよ、そのままで」


 ベンチから立ち上がって、彼女からハンカチを受け取る。


「とりあえず学校に着いたら保健室に行こう。そこまでは付き合うよ」

「良いの? でもなんでそんなに親切にしてくれるの?」

「うーん……あんな所で苦しそうにしている君を放って置くのは忍びなかったし、さっきも言ったが、乗りかかった船だ、最後まで付き合わせて欲しいんだよ」

「ちぇっ、良いやつかよ」


 グイグイと肘を横腹に当てられる。

 ……くすぐったい。



 

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