第8話 真相と推理


 アリス達は法廷内の閑散とした一隅に移動しました。生き物達のざわめきから離れて、この場所ならゆっくりと話を聞けそうでした。

 スペードの2は一度法廷の中央を見遣ると、おもむろに推理を話し始めました。

「なぜ犯人は、見張り塔のハートのAを狙ったのか。このことはずっと僕を悩ませてきた疑問だった。朝日が昇ったときに、僕達夢人は、眩暈と共にこの夢を見始める。そして先ほどのA達の証人尋問によると、ダイヤのAは同じ時刻、日が昇ると同時に見張り塔に向かっていると考えられる。朝日によって、見張り塔は周囲からもよく目立つよね。仮にハートのAの目を掻い潜り、誰かが見張り塔を昇り降りしてハートのAを突き落としていたら、ダイヤのAは気付かなかったのだろうか。それに加えて、夢人には眩暈から復帰するタイムラグがある。つまりだ。日が昇ると同時に夢を見始めた僕たち夢人は、どう頑張ってもハートのAを突き落とすことは出来ないんだよ」

「言われてみれば……、そうかもしれないわ。わたし達はこの不思議の国の生き物を全て把握しているわけじゃないから、絶対とは言えないけれど、可能性は高いと思う」

 スペードの2は、ここまでアリスが納得したことを確かめると、頷き返し、

「しかしこれは、おかしな話だ」

 と、否定の一言を加えました。

「僕が見張り塔の現場で出した、犯人の条件を覚えているかな。第一条件として、犯人はアリスというキャラクターを知っている人物、つまり夢人であることと完全に矛盾してしまうんだ。

 それなら犯人はこの不思議の国の生き物なのか。僕はその可能性は以前に君に話した通り疑問視していたよね。ここが不思議の国を模した世界ならば、アリスを知っている生き物は存在しないはずだから。――だったら、やはり犯人は夢人でしかあり得ない。ならばどんな状況なら事件は起こり得るのか。散々悩んだ挙句、アリスの台詞を聞いたときに、あることに気が付いたんだ。夢人は日が昇り始めた頃に夢を見る。これは色んな夢人に訊いたように、帰納的に考えてほぼ事実として捉えていい。それから立っていられないほどの眩暈がしばらく続くことも」

 アリスは、スペードの2の言いたいことが何となく分かってきました。

「想像してみて欲しい。あの見張り塔は二人分の狭さしかなく、四方を囲む板はトランプの腰の高さ程度しかなかった。夢人が見張り塔にいるハートのAとなり不思議の国に体現したとして、まともに歩くこともままならないほどの眩暈を感じた夢人は、板の一辺に寄りかかり、不運にもそのまま向こう側に落下してしまったんだ。角笛が吹かれなかった理由も、槍の反撃が無かったことも、そもそも犯人がいなかったのだから当然のことだ。血が乾き切っていなかったことから、日が昇り始めた頃に落ちたのだろうことも、この推理を補足出来る。

 つまり、ハートのAは殺されたんじゃない。あの事件は夢人が夢を見たタイミングで起きた不運な事故だったんだ」

 アリスは沈鬱な面持ちで、独りごつように言葉を零します。

「……事故。そういえば、ハンプティ・ダンプティさんである小金丸さんも、塀に座ってなければ眩暈によって落ちていたかもしれないと言っていたわ……。ハートのAさんに入り込んだ名前も知らない夢人は、わずか十何秒かの間に夢から覚めてしまったのね。何が起きたのかも、分からないままに」

「そうだね……。その人は夢を見たことさえ自覚していないかもしれない。結局、猟奇的な夢人がいないと判明して安心したけれど、何とも言えない幕引きだ」

 スペードの2は俯きがちに言い、彼の推理を締め括りました。

 事故死。

 真相は物悲しくも、あっけないものでした。

 しかしアリスには未だに解かれていない謎が残されていることを理解しています。

 ハートのAは事故死でした。ならば、一層の事、あの謎のダイイング・メッセージは何だったのか。そしてダイヤのAは誰に体を切られたのか。スペードの2の推理では、そのことが一切明るみになっていません。

 そして、スペードの2が語った推理を聞き終えたとき、アリスは、ここに至ってようやく、陰で暗躍していた犯人の正体と思惑の全てに気が付いたのです。

「わたしにも、真相が分かったわ」

「真相? 真相なら……、そうか、ダイイング・メッセージのことだね」

「ええ。助手の立場から推理を披露するのも変かしら」

「構わないよ。ワトソン役の方がうわてのミステリだって多く存在するのだから」

「それなら、遠慮なく……」

 アリスは頭の中で推理を整理すると、順に話し始めました。

「偽のダイイング・メッセージを残した第一条件と第二条件は、ハートのAが事故だったという真相が明かされても変わらないわ。アリスの名前を知っているのは、あなたが言った通りよ。夢を見ている人はみんな日本人だということも、同じ。そして不思議の国のアリスの物語は何度も翻訳されたり、子供向けに絵本になったり、ディズニー映画でも有名よね。つまり、ほとんどの日本人がタイトルを知っていておかしくないけれど、当然のように、本を読んでいない人も映画を見ていない人もいるはずだわ。

 ただ、主人公がアリスだということを知らない人は、ほんの一握りだと思うの。『不思議の国のアリス』というタイトルで分かる通り、映画も同様に、タイトルに名前が書かれているのだから」

「そうだね。『エラリー・クイーンの冒険』という本のタイトルを見て、エラリー・クイーン以外が主人公だと穿った見方をする人は、ほとんどいないだろうな」

 アリスはその本を知りませんでしたが、彼が言っている意味は同じだと判断して続きを話しました。

「そしてその『不思議の国のアリス』の本のように、あるいは今まで体験してきたように、そしてあなたが三回目の夢として確信しているように……アリスの名前どころか、存在を初めから知っている生き物はいないと言い切れそうだわ。そしてわたしがアリスとしてこの夢の世界にやってきて、見張り塔に辿り着く前に名前を教えた生き物は、唯一チェシャネコさんだけなの。そのチェシャネコさんを、あなたは夢人ではないだろうと推理していた。今でも意見は変わってない?」

「もちろん、変わってないさ。今回のチェシャネコも、おそらく元からこの夢の世界にいる生き物だよ」

「それを聞いて安心したわ。……だから、例の偽のダイイング・メッセージを書くことの出来る生き物は、夢を見ている人間が入り込んでいる生き物に限定されるわ。具体的には、今までの冒険で出会った夢人達、ハンプティ・ダンプティ、トカゲのビル、盛岡さんのスペードの2と、もちろん客観的に見れば、わたしであるアリスも含まれるわね。そしてわたし達が出会えなかった夢人と、わたし達が気付けなかった夢人。

 これが偽のダイイング・メッセージを書いた生き物の第一条件と第二条件。……生き物という言い方はもうやめた方が良いわね。その人物の第一条件と第二条件よ」

「申し分のない考察だと思うよ。今挙げた中に偽のダイイング・メッセージを記した犯人はいるはずだ。しかし、二つの条件に該当するのはほとんどの夢人になってしまう。更には僕達が知らない夢人がいる以上、犯人が絞れないよね」

 裁判はまだ続いているようです。またもや同じ証人を呼び出して、同じような質問を王様がしています。夢人とはいえ、トカゲのビルも一人ではどうすることも出来ずに、手を拱いているようでした。

「わたしなりに新たな条件を付け足せないか考えたの。そして至った更なる犯人の条件は、盛岡さんが掲げた条件に加えて、『落下死した遺体の傍に、偽のダイイング・メッセージとして誰かの名前を書く必要のある人物』というもの。これを第三の条件としてわたしは提示したいの」

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