第3話 狂ったお茶会
トランプ兵の集団が向かった方向とは反対の森に入ります。
しばらく進むと、木の枝の上にまたもやニヤついた猫の顔が出現しました。こんどは首から下が透明な状態です。
「右に行くとお茶会に出るよ。左に行くと海に出るよ」
「さっきはよくも騙してくれたわね。おかげで散々な目に遭ったじゃない!」
アリスは怒った口調で言いました。
「嘘は付いてないよ」
ニヤニヤと顔だけを出現させたまま言い張ります。
「それも嘘なんでしょ? もう騙されないんだから」
アリスは頬を膨らませて睨みつけました。
「もしかしたら、チェシャネコは本当のことを言ってるつもりなのかも。自分から見て、左右のことを言っているんじゃないかな」
「チェシャネコ?」
その言葉の響きは、現実世界でも聞いたことはありました。
「このネコの名前だよ。侯爵夫人のところのネコさ」
「そうなの?」妙に詳しいスペードの2にも訊きたいことはありましたが、まずはチェシャネコに問いかけます。
「チェシャネコさん。あなたから見て、右の方向でお茶会が催されているのね?」
「そうだよ」
あっけなく理屈が判明しました。
「分かったわ、あなたを信じてみる」
スペードの2にも確認をとると、彼は深く頷きました。
「右に行こう」
そう言って森の中をのしのしと進んで行きました。薄っぺらなトランプの背中を追うようにアリスも付いていきます。
「ばいばい、チェシャネコさん」
去り際にふと振り向いて言ったアリスでしたが、もうチェシャネコの姿は消えて見えなくなっていました。
しばらくすると、今度こそ正解の場所に出たようでした。
木々の開けた場所に一軒の家が建っていました。そして、その前庭ではテーブルと椅子が用意されていて、生き物達がお茶会らしきことをしているように窺えました。
「三月ウサギと帽子屋とヤマネがいるはずだ」
スペードの2がアリスに耳打ちしながら、アリス達はそこに近づきます。
「席は空いてないよ」
席は十分に空いていましたが、帽子屋が、(帽子を被っているのでこのキャラクターは帽子屋だとアリスは判断しました)アリス達を見るなり邪険に言いました。
「僕達は座らなくて結構。その代わり話が訊きたいんだ」
スペードの2はそう話を切り出しながら、
「今日、見張り塔に行った生き物を知っているかい?」
「私達はずっとお茶会をしていたからねえ」
帽子屋は言いました。
「それは何時頃からかな。正確な時間が分かるなら教えて欲しいんだけど」
帽子屋は渋々といった顔つきでポケットから懐中時計を取り出して、
「私達は……」
じっとそれを眺めたり、耳を澄ませたりしていましたが、やがて、
「今日は何日だ?」
と、逆に問い掛けてくるのです。
アリスとスペードの2は顔を見合わせたあとに、アリスが夢に入る前の現実の日付を答えました。
「今日は四日よ」
「二日もずれているではないか!」
帽子屋は椅子の上で器用に飛び上がりながら驚きました。
「時間は分からないのに、日にちは分かるの? 変な時計ね」
アリスは正直に言いました。
帽子屋がむっとした様子で言い返してきます。
「君の時計は日にちは分かるのかね?」
「計算することは出来るわ」
「それなら年は分かるのか?」
「それは、困難よ。だって一日経てば一周してリセットされるもの」
「だったら私の時計と同じではないか!」
どこが同じなのかアリスには分かりませんでしたが、怒らせてしまったようなので黙ってやり過ごすことにしました。
代わりにスペードの2が問い掛けます。
「今日、誰かお茶会の間に抜け出した生き物はいるかい?」
「いないよ。そうだよなぁ、ヤマネ」
三月ウサギが答えて隣の席に同意を求めましたが、ヤマネとやらは寝ています。
「こいつは偶に寝ているんだ。だから偶に抜け出した生き物はいないよ」
「つまり誰かが偶に抜け出した可能性はあるのね?」
「それはないよ。ぼくは寝ていないからね」
三月ウサギが堂々と言いますが、本当かしら、とアリスはいぶかしみます。不思議の国の生き物達は寝ないのかしら?
不意に、スペードの2が耳打ちをしてきました。
「このさんび……三人は日にち単位でお茶会をしているんだ。つまり今日のアリバイがある。次に行こう」
彼がそう言うので、アリスは事情聴取に不満を持ちながらも立ち去ることにしました。
あんな証言で大丈夫だったのかしら。というより、あんな確認で本当に犯人から除外してもいいのかしら。
アリスは心底心配でした。
なので、そのことを正直にスペードの2に伝えました。
「いつも通りだったからね。おそらくあの三人の中には、誰も夢人は入っていないと思うよ」
「いつも通り?」
スペードの2はどう話そうか考える仕草をした後、
「実は、僕がこの夢を見るのは三回目なんだ。それで分かったことは、毎回同じ生き物達が登場して、ほとんど同じ行動をしていることなんだよ。さっきの三人もずっと席を回って交代しながら、同じカップでお茶を飲んでいるんだろうね。それゆえに彼らは夢人ではないと判断したってわけなんだ」
アリスは得心しながら、話を頭の中で整理しました。
「一回目も二回目も、殺人(?)事件が起きたの?」
「いいや、起きていないよ。こんなことは初めてだ」
スペードの2はさぞ困惑したような表情で言いました。
「せいぜいタルトを盗んだことで法廷が開かれるくらいだったよ。それでも、女王様が首をはねよ! と宣言して、犠牲になった生き物は少なくなかったな」
「おかしな世界ですものね。それだったら、トランプ兵である盛岡さんは一回目も二回目も冒険をしている場合ではなかったのではないかしら。お茶会などの様子を見に行くお仕事だったの?」
鋭いね、とスペードの2は口角を上げました。
「それが実は、毎回配役が違うらしいんだ。僕の場合は、一回目はグリフォン。二回目は……なんと、アリスだったからね」
「えぇ!?」
アリスは驚きの声を上げました。
男の人でも女の子になれることの驚嘆でしたが、世の中にはトランスジェンダーに苦しんでいる人も少なくないことを知っていたので、続きの言葉は控えました。
「実際になったのだから、本当だよ。きっと不思議の国の住人には、さぞボーイッシュな女の子に見えただろうな」
スペードの2は苦笑しながら言いました。
それから真面目な顔つきに戻って、(トランプ兵の表情がころころと変わるのは何だか面白いです)殊勝に言いました。
「話が脱線してしまったけれど、つまりだ。この不思議の国のストーリーが変化しているということは、君がアリスになったように、現実の誰かが何らかの生き物に入り込んで、ハートのAを突き落としたということになる」
「その人は……どうしてトランプさんを突き落としたのかしら」
「分からない。こんな狂った世界だからと、どうせ夢なんだと思って、好き勝手にやったのかもしれないね。だからといって生き物を殺す奴を、僕は許せない。絶対に」
スペードの2の口調は、犯人に対する憤りが沸々と感じられました。
アリスが最初に自覚したように、誰がこの夢を見ても夢だと判断するでしょう。それでも、こんな不思議でおかしな世界でも、生き物は生き物です。むやみに殺生をしていいはずがありません。アリスも彼の意見に賛成でした。
「グリフォンのときに出会った夢人がいたんだ。その人は何度もこの夢を見ていて、この夢のルール的なことを教えてくれた。僕がこの夢の世界を理解しているのは、その人のおかげでもあるんだけれど、残念なことに首をはねられてしまった。首をはねられた夢人はもう二度とこの夢に帰って来られないこともその人は言っていて、そのときの僕は半信半疑だったけれど、二回目も今回も、その人らしき生き物には出会えていない。やっぱり、首をはねられることは夢の終わりなんだと思う」
それを聞いて、スペードの2がアリス以上に捜査に積極的な理由が分かったような気がしました。猟奇的な人間など、女王様に突き出して首をはねてもらい、二度と不思議の国に帰って来させないようにしようと躍起になっているのでしょう。
「ただ、犯人の心理で一つ疑問点があるんだ」
「疑問点?」
「犯人が見張り塔のトランプ兵を狙った動機だよ。あそこは見張り塔が建っているだけあって見晴らしが良い。ということは、夜といえど誰かが近づけばハートのAは警戒したはずなんだ。それを実際に見張り塔の上に登ることを許してしまい、無抵抗かは分からないけれど、角笛を吹く暇さえ与えられずに、突き落とされている。この不思議の国には様々な生き物がいるから、それが可能な犯人がいてもおかしくはない。けれどやはり、わざわざ見張り塔の上にいるハートのAを狙う動機が見えてこないんだ」
アリスもその考えに同意でした。犯人はどうして見張り塔のハートのAを突き落としたのでしょう。殺戮がしたければ、可哀そうですが、この世界には無力な生き物は幾らでもいそうです。逆に、あまりにも強大な力を持ったキャラクターに入り込めたのなら、お城を丸ごと襲うことも出来そうだと思いました。
「ちなみに、日が暮れる前に犯人を見つけないと、僕たちトランプ兵が首を切られてしまうらしい。現実に影響はないと思うけれど、この夢を見られないのは寂しいね」
スペードの2も特段、アリスに答えを期待して話したわけではなさそうで、それだけ言うと黙ったまま森の奥へと進んで行きました。アリスも勿論彼の後を付いていきます。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます