あなたに逢えてよかった〜101人の物語
逢坂 透
1人目 超速アイスドール アンザイさん
アンザイさんが初めて夢に現れた。
最後にお見かけしてから、25年以上の時が経ってから。
どうして今になってと、少し懐かしく、当時のことを思い出した。
アンザイさんは新卒で入社したアパレルの会社の、確か4年先輩だった
1浪2留に果てに、仕方なく社会にでることにした僕と、年齢的には一つしか違わない。
けれど、アンザイさんは圧倒的に大人に見えた。
総務に所属していて、その会社では社長秘書も兼ねていたし、エントランスの受付にも座って、完全に会社の顔として働いていた。
「ホレちゃ、ダメだぞ。
変な気を起こして、アンドウさんに手を出したら、お前なんかあっという間に組み伏せられちゃうぞ。
アンドウさんはなあ、合気道の有段者だからな」
配属された部署の先輩に、入社して2日目にはそう注意された。
わざわざそんな風に釘を刺されたので、はっきりと気がついたのだけれど、アンザイさんは完璧に整った顔立ちをしていた。
肌も透明な白さをしていて、実家のピアノの上に置いてあった、まるであのフランス人形そのものだと思った。
会社の女性の制服は、ブルーのボタンダウンシャツに、緑のタータンチェックの巻きスカート。
トラッドテイストのアパレルの会社だったから。
アンザイさんがそんな制服を着て動いていると、その姿はもう、全部が映画のワンシーンのようだった。
歩くときの背筋も、スッと立っていて美しい。
ただ、
そのスピードが、
普通ではなかった。
アンザイさんが特別な、もう一つの点はその速度にあった。
すべての動作が、もの凄く速くて、なんだか3倍速の早送りを見ているような感覚になるのだ。
頭の細胞の動きも同じだった。
対処案件が持ち込まれると、話を3〜4割くらい聞いたかという段階で動き出していた。
問題の全貌など見る前に、先に片付けて消し去ってしまう。
そんな勢いなのだ
そして、どんな案件にも、表情ひとつ変えない。
誰よりも速く、仕事を次々に片付けていく。
僕はといえば、動けないし、手間はかかるし、ミスも多い。
最悪の新卒だっだから、本物の社会人の凄さに圧倒された。
僕の世界に衝撃的に現れた。
“超速のアイスドール”
それがアンザイさんだった
※ ※ ※
同じ会社にいても、部署も違っていた。
僕が入社して2年ほどでアンザイさんが退職してしまったから、あまり時間を共にすることがなかった。
ちゃんと一緒に仕事ができたのも1回だけ。
でも、その日のことは鮮明に覚えている。
会社で出していた雑誌の販促資料を封入する作業を、本社のスタッフが手分けして行う機会があった。
真夏で、クーラーの効きがわるい倉庫の中。
借り出された本社スタッフ5人で作業をしていた。
プリントを数枚と小冊子2つ、そして雑誌本誌を、セットにして封筒に詰めて閉じる。
ラインを作って一人づつ順番に歩いてピッキングして回っていく。
一人ひとりで完結する作業だから、どうしても個人のスピード差が出てしまう。
そんな作業場に、超速のアイスドールが入るとどうなるか。
僕らの2〜3周がアンザイさんの5周になってしまうわけだ。
アンザイさんは毎回、前の人につっかえ、追い越さなければならなくなる。
午前中がそんな感じで進んでいく中、僕はずっとアンザイさんの動きを見ていた。
何がスピードの違いを生むのか。
常に一つの動作をしながら、次の動作への予備運動を入れている。
作業工程を、一つ一つではなく、連続した全体の流れとして処理していく。
紙めくりのゴムキャップをつけた指先を落とす位置、足を置く位置なども、考え抜かれた感じがする。
狂いなく最短時間を叩き出すために、完璧なマシーンになって身体を制御する。
そして、そのスピードを1周ごとに、コンマ何秒かでも削って速くしようとしている。
僕はその動きを真似た。
超速のアイスドールに近づこうとして、そして確実に速くなっていった。
昼休憩に入る頃には、アンザイさんの5周が、僕の4周くらいにはなっていた。
どうなったかというと、午後はアンザイさんの提案で、作業場を2つに分けることになった。
5人のメンバーを、3人と2人に分けて、別々のラインで作業するのだ。
その2人の方のアンザイさんのパートナーに僕が指名された。
会社に入って一番誇らしい瞬間だった
午後の作業時間中、未熟な分は駆け足をしながらアンザイさんを追った。
無駄な動きをしないように、ただ集中して、足を、腕を、指を動かした。
単純作業が、なんだか生き生きしてくる。
途中からランナーズハイのような感覚で気持ちよくさえなっている。
3人チームよりも遥かに多くの資料をセットした。
その日は全体で通常の2日分以上の作業をやり切った
仕事終わりにアンザイさんから、
「お疲れ様」
と声をかけてもらえた。
その時の、僕のことを認めてくれたような表情を忘れない。
アンザイさんと僕の眼がしっかりと合ったのは、その時が最初で最後。
そして、その日を境に、僕は働くことに対して少しだけ自信を持てたと思う。
※ ※ ※
アンザイさんは佐賀の実家に帰られたと聞いた。
そして、幼馴染みの素敵な旦那様と結婚したんだと。
そうかあ、アンザイさんは結婚相手も超速で決めていたんだなぁと、僕は思った。
そして、25年以上経って、夢に現れたアンザイさん。
こんな風に、アンザイさんのことを思い出していて、僕は、本当に忘れていた。
その後のアンザイさんに、最後のエピソードがあったことに気付いた。
今も、それが確かなことだったか、記憶違いではないかとさえ思いたい。
僕もその会社を辞めて、久しぶりのOB・OG同窓会の席。
アンザイのその後の運命について耳にしてしまった。
交通事故だったと。
止まっている車に、ダンプが突っ込んできたのだと。
酷い事故だったのに、アンザイさんの顔には傷一つなくて、本当にただ眠っているようだったと。
僕は、それを聞いた時に、すぐに記憶にフタをしたんだと思う。
アンザイさんが、夢に現れた理由は、そのフタを開けることだったのかな。
そう、アンザイさんは、超速だったけれど、アイスドールなんかじゃなかった。
真っ直ぐで、一生懸命で、集中して仕事をする喜びを知っていた人。
そして、実はとてもかわいらしい人。
いつものように話を途中まで聞いて処理した案件が、全然勘違いだったことがあった。
アンザイさんの透明な白い肌が、キレイにピンクに染まった。
恥ずかしそうな表情をしていたアンザイさん。
夢に現れてくださって、ありがとうございました。
魂が触れ合う時間は短くても、消えない縁ができるのですね。
来世でも、ご一緒に超速で仕事ができる日が来ますね。
あの日、仕事の喜びを知りました。
この世界でアンザイさんと逢えてよかったです。
もう忘れることは決してありません。
ほんとうに、ありがとうございました。
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