triangulate 後編
天水二葉桃
第1話
いつの時代のどこの国なのかもわからないところで、山の
それは何か大きな紛争が終わった後。全てがあっけなく、何か無血開城に近いやり方でそれが成し遂げられた後のようだったが、そこに集まる人々はそれにどうやら納得をしていない様子。要は行き場のない衝動を持て余し、犠牲を求め、血に飢えた嫉みや怒り、憎悪へと、自らその衝動を注ぎ込み高ぶったような興奮状態がその場の空気を支配していた。そして先頭で弁舌を振う彼はそれをよく読みとり、才知ある言葉で巧みに彼らの夢を鮮やかに語り、勇気や信念を奮い立たせ、そこに希望のようなものをもたせていたのだった。
やがて人々は意を結集させその険しい山を征服することにしたようだった。山頂にある神殿に奉納されている財宝を財源にするという目的もあったようだ。
その魅力的なリーダーに先導されて彼ら彼女らは
翌朝、朝日が射し辺りが明るくなるとすぐに若者に続いて未だ霧が濃く漂う森の奥深くへと彼ら彼女らは入って行き、その険しい山を頂上を目指して登り始めた。厳しい道のりを歯を食いしばり、自らの大きな理想のために山頂を目指したのだ。人々の努力や信念は
しかし彼ら彼女らは気づいていなかった。先導する若者が導く道のりは、あの鏡の湖を境に、鏡に映った山頂へと導く現実と幻想が妖しく織り交ざった下降への道のりだったのだ。
地下奥深く冥界と呼ばれるような場所、人が地獄と呼ぶ場所へと、彼ら彼女らは自ら望み
その夢から目覚めて、私は妙な夢を見た、としばらく夢の余韻の中にいた。
私はその夢の中の若者が何故か姿形はまったく違うのに、
話が少し前後するが
その間、彼女はちゃっかり登校して来ていたので成績を落としてもいなかった。家族が休学届を出した後にそれをしていたので、何故か彼女の家にバレずにしばらくそれは続けたられたが、家出からひと月ほど経つ頃にやっとバレて、校内で教師に呼び出された聡子はそのまま待機していた家族に連れられて自宅に帰らされたのだった。彼女の部屋から制服や教科書などがこっそり持ち出されていることに気づいた家族が学校に連絡して協力を要請したからだ。
「案外見つからないものだったから、逆にこっちが驚いたくらいだったわ」
けろっとして彼女は翌日も普通に登校してきた。
家出期間中は彼氏の親が管理する家具付きの単身者向けアパートにこっそり居候していたらしいがそれが彼の両親にバレそうになっていた矢先だったので、本人的にも潮時かなと思ったらしく、あっさり自宅に帰って、今後自分を閉じ込めたり何かを強制するような事があれば、今度こそ本気で家出すると家族にはったりをかましたら、普段おとなしいお嬢様が反旗を
「晴れて解禁になった。初めからこうすればよかった」
聡子は今まで自分が耐え忍んだ日々は何だったんだ、と怒っていたけれど。
しかしその話にはまだ後日談があって、一旦彼女の婚約話も含めて保留というか無期限凍結された後にその元婚約者は態度を軟化させて、彼女にずいぶん優しく親切になって、それでもこまめに彼女に会いに家に通っていたらしく、それで彼女もさすがに情にほだされたのかあまり
そんな状態が半年以上も続くと、さすがに聡子も
「なんだかやさしく真綿で首を
そんなことを言っていた。
強硬姿勢で周囲から反対されていたときの方が何故か楽だったらしい。
自分さえ折れればすべてがまるく納まり、元どおりになる──それをなんだか無言のプレッシャーとして受けるほうがことのほか辛いのだそうな。
「自分が悪いことしているわけでもないのに、何か悪いみたいな気分になる」
そう言ってはよくため息をついていた。
聡子としては自分でできる範囲でだけれど筋はしっかり通したわけだし、いわば納得していない相手や無期限凍結にした家同士の婚約話に関して未練がましく無言の圧力を加える家族の方にこそ本当は問題があるわけだけれど、その空間に入ると奇妙な磁場が働くかのように、彼女さえそれを受け容れさえすればこの不快な状況は解決される、という論理がまことしやかな正義のように思われてくるのだそうだ。
「うちはいつのまにかとんでもない魔境になってしまったみたい。というより、元々そうだったのかも。私が意識したり気づかなかっただけで。なんだかしきたりだの伝統だのともったいつけて代々この家の男女を縛ってきた
「なんなの、その八墓村や犬神家みたいなオットロシィ表現は」
私がおののきながら言うと、聡子はさっくりと言った。
「本当に代々苦しんだ先祖の祟りとか呪いってものがあるんじゃないかとか思ってしまうほど、リアル異次元空間だって言いたいわけよ」
「なんかすごい表現だけど、言いたいことはよくわかったよ」
「呪いや祟りなら、パーッとお
キイナが半分本気半分冗談でそう言うと
「そんなことで済むならいくらでもお願いしたい気分。でもそれって、私の気分はいくらかスッキリ祓われても根本的なことは解決しない気がする」
真面目に聡子が返答していたので、私も同意した。
「うーん、なんかそれもわかる気がするなあ」
「でしょ、要は問題を抱えている渦中の人がどう在りたいか次第で、本人がそれを望まず問題そのものにしがみついている場合は意味があまりないというか、もしかしたらより態度を硬化させることになるかも? こっちが状況も無視してひとりでスッキリしたら。この場合はスッキリしたい私と、呪縛という澱にしがみついていたい母や妹を始め血族のことを言うんだけどさ。集団で結集してこられたら、ちょっと怖いなってのもあるし」
「本気で逃げ出したくなるね、それは」
「今度こそ本気で駆け落ちしたくなるんじゃない?」
「それは最後の手段としていつも頭にある。でも、まだ学生だし、ちゃんと学校は卒業したいし進学して勉強もしたいから、将来のことを考えても今は仕方ないかなって思うけど、いざというときには飛び出せるように力はためておこうかなって思うんだよね。あと、
凛とした佇まいできっぱりそう言い切る聡子は、やはりどこまでも聡子だった。
「恋は盲目かと思ってたけど、芯は変わらなかったみたいだね」
私が何となくほうっとため息をつきながら言うと、
「むしろ今回の輝幸とのことのおかげで、その芯が太くなった気もする。そこは感謝しているのだけれど、もしかしたら彼が望む女性像からはかけ離れていってしまうかもしれないって、一瞬ひやっとするときがある」
「へえ」
「今はこうしていられるけれど、先ってわからないし、私自身もその時になってみないと、どうしたいのかどうするのかわからない。愛されることよりも、もっと大切なものができるかもしれない。それを選ぶかもしれない。だからどんなにすごく盛り上がっている時も、いつか別れる時が来るかもしれないことも忘れたことないんだよね。というよりも常にそれは頭の片隅にある」
私たちは高校三年生になっていた。
私はまだ十七歳だったけれど、聡子もキイナも一足先に十八歳になっていた。一番乗りで十八になったキイナは車の免許を取りその行動範囲を一気に広げ出し、聡子は今から進学した後のことも見据えていて、私はみんなと一緒に進学するよりも海外留学を検討していた。
私は彼女を見つめた。
「なんかわかるよ。それ」
彼女も私を見つめて言った。
「本気になればなるほど、そういうものなのかもね。現実を見つめ続けることになる。自分自身の本当のことから目を逸らせなくなるの」
たまに老神父様がにこにこしてこっちを見てきて私も会釈をする以外は一人でぼうっとしたり本を読んだり居眠りしたりして過ごした。他の時間では一人になれることがあまりなかったので、意識して一人の時間をとろうとしていたのかもしれない。
愛されることよりも大切なこと──
聡子の言っていた話は、女の子にとってはけっこう切実な問題になってくるのではないだろうか。
別に必ずしも二者択一にしなくてはいけないこともないけれど、でも、立ち止まって考えてしまう。一つの運命の分岐点だったり、成長するために、新しい扉を開くために、そうした地点を通過していかないといけなくなる、そんな気がした。
本当は男女関係なく訪れるものだと思うけれど。
それにそれは単に恋愛関係だけに限らない。他者から受け入れられること、好意を受けること、仲間と認められること、そのなかでまもられること。例えば家族や身内のメンバーとして受け入れられ愛されることやその中でまもられること、そうしたことのすべてにも言えることだと思う。
その頃私は昔の音楽にはまっていて Beatles の Let it be を授業をさぼってイヤホンでよく聞いていた。パイプオルガンの音が好きだったのもある。
あるがままに、あるがままに、あるがままに──
実際にマリア像を前にその歌を聞いていると、マリア様から本当にそう語りかけられているような気分にもなった。
でも別に彼は私を追い詰めたりもしないし、閉じ込めたりしているわけでもないから、私の被害妄想じみた単なる考えすぎなのかもしれないけど。それか、単純に反抗心をどっかに持ってしまう私の性格の問題か。
ごくたまにおそってくる、何となくこわいから逃げ出したいような感じを除けば、私たちはけっこう仲良くうまくやっていたと思う。
彼の下で働きだしてから私は彼を不思議な夢で一度だけ見たことがあった。
正確にはそれは彼の姿形をした人ではなかったけれど、何故か私はその人物を彼だと認識していた。
どこか南国風の植物がある美しい寺院の庭に私はいて、彼と一緒にいるのだ。
彼は老師のような年老いた高僧で片足が少し不自由だった。歩くときに少し引きずる程度。なので彼はゆっくり歩く。私は見習いの小僧さんらしく少年だった。何だか変わったお仕着せの服を着ていた。私はその庭にある
夢はただそれだけだった。
なんというか、それは現実での私たちの関係にもちょっと似ていたように思った。聖一さんとの会話はときに禅問答みたいなものだったからだ。でもそれはそれで私には新鮮だったし、何より彼は博識で、妙にカンが鋭く、しかも不思議なことも教えてくれる。他の人とは話すことのできないことを、彼とならたくさん話すことができたのもあり、私はおおむねそれを楽しんでいた。
聡子とのその会話からそんなに日が経っていないある日のこと、彼はこんなことを私に話した。
「人間の知性の成長は思春期ごろ、もしくは成人したくらいでほぼ止まると考えられてきたのだけれど、本当は死ぬまでずっと成長し続けるものなんだよ。そして死んでから後もね。魂はずっと進化し続ける。だから僕たちは生きている間も進化し続けるんだよ。脳の
「社会人になっても年をとっても大学で学んだりする人もいるものね」
「それもあるけれど、僕が言っているのは、intelligence、知能についてではなく、mind、考え方や思考について。世界観といってもいいけれど。世界を認識する枠組み、とか」
「なんとなくわかるようなわからないような」
「新しいプログラムや文書が学習することで増やしていくことのできるもの、intelligence だとしたら、それらをどこまで活用できるかは、OS(オペレーティングシステム)で決まるでしょう? そのOSそのものを進化させることが、mind の成長や進化、考え方、思考など、世界を認識する枠組みを進化させるってこと」
「ふーん、そうなんだ。ずっとアップグレードしていくことができるってこと?」
「そう、そんな感じ」
「それ、年齢と共に成長していくの? 例えば私は今十七歳だけれど、十年後、ちゃんとアップグレードできているのかな? それとも何か学習みたいな努力がいるの?」
「自然に成長・進化するけれど、でも必ずしも年齢と共にというわけでもないし、人によってさまざまかなあ。僕が見てきた感じでは、思春期で止まってしまっている人もけっこういる」
「私も?」
「君は今思春期まっただ中でしょう。でも、君はずいぶん早いスピードで大人になりつつあって、成長期まっただ中って感じだよね。見ていて面白い」
「そうなの?」
大人っぽく見られてきているってことかな。
ちょっと嬉しく思っていたら、彼は
「大人の知性には大まかに言って三段階あるって言われているんだけれど、
「そうなの?」
「うん、何となく見ていてそんな感じだけど」
「それってどんな感じなの?」
私がちょっと食いつき気味に尋ねると、彼はじっと私を見つめた。
あ、まただ。不思議なあの眼。透明な眼差し。
私も彼の眼をまっすぐに見つめ返していた。
しばらく見つめ合っているような状態が続いたけれど、彼はふっと微笑んだ。
「人間の成長や発達って色んな側面があって一面だけではないんだよ。それらは波のように波及し合っているけれども、ある面でかなり高度な成長を遂げていても、違う面では未成熟だったりもする。だから突出した面の段階があれば他の面もそこまで引き上げるだけの潜在力はあるってことでもあるけれど、だからと言って必ずしもそうなるとも保証はされていない。すべて君しだいだ。君はまだまだアンバランスで子供の面もあるし、とても大人びた面もある。そういうこと」
「ふーん」
「mind、考え方や思考の進化は、深く自分自身を内省する能力の進化でもあって、それは同時に自分を取り巻く世界を理解する能力の進化でもある。だから世界観の進化ってことでもある。それは視野の拓かれ方や自分自身をよくわかって内省し、同時に世界を認識し深く理解していく仕方を成長させていくということ。その為には失敗を恐れずに色んな経験をしていくと同時に、《深化》が必要になるんだよ。他者や世界と関わることそれに拓かれてあることだけではだめで、深い内省が能力の基盤になるから、あちこち動き回らずにじっとして深く内省していくことも大切になる。それらをバランスよく、車の両輪のように、もしくは振り子運動のようにして、自然に成長していく。だから、孤独を恐れないことも大切になってくる。成長していくには群れから外れることも必要だってこと。君はもうある意味で群れから独立していて、自分なりの価値観や視点を確立しつつある。必ずしも文化的規範に捉われることなく取捨選択しているし、人に依存せず他人の意見に左右されず、個人として自律的に行動している。これは大人の知性の大まかな三段階の二段階目、『自己主導型知性』の特徴でもあるんだよね」
「一段目は?」
「『環境順応型知性』といわれていて、順応主義で指示待ちの状態かな。他者に認めてもらうことが大切なので、自分の周囲や権威者に認めてもらおうと努力精進もする。チームプレーには向いているけれど、自主性には欠けるかもしれない。でもこの段階は大切なステップだから、ここを通ってその限界を突破するために次の段階の『自己主導型知性』へ移行する」
「三段目は?」
「『自己変容型知性』、問題発見を志向し、あらゆるシステムや秩序などが断片的、あるいは不完全である、
「ふーん、面白いね」
「これは大まかな区分だけれど、本当はもっと先もあるし、実際にはこの三段階の間もグラデーションになっていて、ここからはこう、とはっきりした境界線があるわけではないけれども、便宜上そのように区分けされて研究されているんだよね」
「成長していくのに時間はあまり関係ないの?」
「関係あるけれど、必ずしも時間をかければ成長するというものでもないんだよ」
「どういうこと?」
「基本的に知性のレベルが複雑になるほど、成長には時間がかかる。十年二十年と長い熟成の時間が必要になるものだけれど、でも必ずしもそれだけの時間をかけて年齢を重ねても、成長したり進化したりせずに、ある段階で固定されてしまったように、そこで固着している場合も多いんだよね。ある意味それも執着と言ってもいいのかもしれないけれど」
「その段階に自分でこだわっているということ?」
「愛着というか、次の段階も視野に入ってはいても、そっちへと成長することを促されていても、現時点の段階に留まっていたい、
私は何となく、聡子の家族のことを思った。
「成長して行こうとする人の足を、そういう人たちが意識的に引っ張るということはないの? 次へ進むことを促されていても自分がそこに留まっていたいのに、近くに次の世界へ飛び立とうとしている人がいては、都合が悪いんじゃない? 耽溺していたいのならなおさらそうなるんじゃないかな」
彼は私をじっと見つめた。
そして淡々と言った。
「それはよくあることだし、仕方ないものだと思うことだね。でもそれにも意味がある。そうやってすぐに飛ばずに力をためて、より深めておく必要のある何かがそこにあるんだよ、時期が来ておおきくそこを飛び立つことも可能だし。いずれ全てを捨て去っていくための、そのための内省期間ということであれば、それもそれだけの力をためて磨いておく時間が必要だから。いまそこにある幻想の
「海!! ちょうどよかった、助けてよ!!」
と私たちの目の前に現れた。
海はぎょっとしたように彼女を見て、それから向こうの車に目をやった。
「もめてんの?」
「そう、しつこくて。ちょっと一緒に来てくれない?」
海は仕方ないなあ、というようにため息をついて、私に、ちょっと待ってて、と言ってから彼女と一緒に車の方に歩いて行き、何か中にいる男性と話していたが、しばらくして車は走り去って行った。よくわからないが、追っ払ったらしい。私はエントランスの入り口でそれを
誰だろう、そう思いながら彼らが戻ってくるのを待っていたら、彼女が照れたように嫌がる彼にむりやり腕を組んで、そうして二人仲良く帰ってきたので、さすがに私もちょっとむっとしていた。
海は私の顔を見て、
「これ、
彼女を指さして言った。そうして
「こっちは神奈。俺の彼女」
菫さんに私を紹介してから、
「急に来るから驚いただろ。なんでここに来るんだよ」
「しようがないじゃないの。逃げる口実探してたら、ちょうどあんたたちのマンションが近かったんだもの。弟の家に用事があるって言ってここまで送らせたの。なのに、ここについたら弟なんて嘘だろうとか言い出して帰そうとしなくて。本当にちょうどよかった。助かったわ。あ、タクシー呼んでこのまま帰るから、彼女との時間は邪魔しないよ、神奈ちゃんもごめんね? ありがとう」
菫さんはそう言って、さっさと携帯で最寄りのタクシー会社を検索して自分で呼んでいた。
「とりあえずエントランスホールの中で待とう。ないとは思うけど、あいつがまた戻って来たら厄介だし」
海は入り口を開錠して、私たちを中のホールへ入れた。ちょっとしたロビーがあるので、そこにあるソファに座って少し三人で話していたら、軽くクラクションの音がしてタクシーが来たので彼女はじゃあね、と笑って手を振って去って行った。
「きれいなひとだね」
彼女を見送りながらほうっと吐息をついて私が言うと、海は
「嵐のようにやって来て去って行ったなあ。台風みたいなやつだ」
ちょっと面白かったので笑ったけど
「失礼だよ」
とも言った。
「笑ったくせに」
言いながら、彼はエレベーターに乗りこみ目的階のボタンを押した。なんとなく私はその狭い二人きりの空間で、尋ねてみた。
「ねえ、なんで菫さんを見た時、あんなに驚いてたの?」
「べつにそんなに驚いてないだろう」
「ぎょっとしてたよ」
そうツッコんでみたのは、何となく、あやしい、と思う何かがあったんだと思う。カンとしかいいようのないもの。これが女のカンというものなのか。
海は黙って、目的階でエレベーターを降りて私を部屋に入れてから、言った。
「昔、菫の友達の何人かと関係を持ってた。向こうは大人だし、こっちは盛りのついたがきだし、遊びみたいなもので体だけの関係」
さすがに私はショックだった。
「それいつのことなの」
「13歳のときから。神奈に俺らが好きだって言うまでちょこちょこ関係は持ってた」
「もしかして
「そう」
「でもその後は何も関係ないよ。お互いにあとくされのないものだったし」
だから何だか二人とも女慣れというか、妙に余裕かましてたんだな、と私は納得しつつ、突然のカミングアウトにどう対処していいのかさっぱりわからなくなった。嫉妬というほどのものは感じなかったけれど、私の知らない二人の側面を知ってなんだか急に知らない人を見るような気持ちにはなった。相手のすべてを知っているわけではないし、意外な面や知らない面があるのは当たり前のことなんだけれど、気持ちが追いつかない、みたいな感じ。
「怒った?」
海が私の顔を
「怒ってない。でも、ちょっと時間が欲しい」
目の前のことにどういう立ち位置をとっていいのかさっぱりわからなかった。
怒るべきなのか?
嫉妬するべきなのか?
悲しむべきなのか?
そのどれもが私には何だかガラスを
海は眉をひそめるようにして私を見た。
「それってしばらく会うのをやめるってこと?」
あ、そうか、そういう方法もあるのね。
言われてはじめてそれに気づいたくらい、なんだかぽかんとしていたのだ。
「えっと、それでもいいならそうしてもいい」
「なんでだよ、そんなのいいわけないだろう」
「ならちょっと考えさせて。保留ってことで」
そう言って私は学生
なんとなくつきあいだしたとは言え、私たちの関係はそれほど進展もしていず、たまに抱きしめられたり軽くキスを交わす程度だったので、なんかちょっと自分でもどう気持ちに整理をつけていいのやらわからなかった。過去のことなので、嫉妬という感じはあまりないけれども、でもだからと言ってわだかまりが全くないわけでもない、という感じだった。あとからものすごくジェラシーに悩まされるのかもしれないなあとも思いつつ、ガラス越しの風景を眺めているかのような実感のなさで、なんだかまた厄介なことになったな、という感じだけが実感をもってある。
「前にさ」
海が教科書に目を落としながら声をかけてきたので、私は彼の方を見た。彼はそのまま顔を上げずに続けて言った。
「神奈、言ってたじゃん。性への興味だけでも成立するものだろうって。それは恋とか愛とは別物だから必ずしも一緒のものではないだろっていうようなこと」
私は彼を見ながら言った。
「要はそういうことだと言いたいわけね」
言いながら、何か責めてるみたいな口調だな、と思ったので
「別に怒ってないから」
と付け足したけれど、それも何かさらに責めているみたいに聞えた。
それでこっちを見つめて黙りこむ海と一緒に私も黙りこんだ。
何か言えば責めているみたいに聞こえてしまうし、何を言えばいいのかもわからない。しばらくそうしてたら、海が私の手を取って
「ちょっとこっち来て」
と廊下に引っぱって行き、二つ並んである海と陸の個室の海の部屋の方のドアを開けた。二人が試験前に泊り込んだりするので、その個室にはベッドと本棚と机とノートパソコンくらいしかなかったが、清潔に整えられていた。
「ちょっと座って」
そう言って彼はベッドの上に私を座らせると、隣に座った。これはなんかまずいかも、と私が立ち上がろうとしたら、彼はそのまま私に覆いかぶさるようにして押し倒してキスしてきた。そのまま膝を割って自分の体を押し入れ、片手を私の服の中にもぐり込ませてきたので、
「ちょっと、まって!」
と押しとどめるように彼を両手で思いきりつき離すと、海は私を見下ろしていたけれど、
「そんなに気にするなら、してみたらいいじゃんか。難しく考えるからおかしくなるんだろう」
と平然と言ったので、
「それとこれとは別でしょう!!」
とさすがに私も怒った。
「別だろうが一緒だろうが、もう何でもいいよ。というより、神奈が好きだから今まで手出さないできたのに、何で遊び程度のことでやきもち焼かれないといけないんだよ? 何でこんなふうに俺たちがおかしくならないといけないんだよ」
「やいてない!!」
あたまにきて、覆いかぶさる彼のお腹に蹴りを入れたら、彼は寸前でそれをかわして、私から身を離した。そうして私を見下ろすようにして
「うそつけ。思いきり不機嫌じゃないか」
スカートがめくれていたのでそれを直していたら、がちゃがちゃと玄関の方からドアを開ける音がした。陸が帰ってきたのが分かったので思わず二人とも黙り込んで息をひそめてしまった。
陸が浴室に入っていく音が聞こえるまで私たちはなんとなくじっとして黙りこんでいた。
「ごめん、ちょっと頭に血が上った」
海が私にそう言って謝ってきたので、私も謝った。思いきり蹴り入れようとしたし、不機嫌ではあったのも事実だし。
「ちょっと時間が欲しい。海とそうなるのが嫌ってことでもない。でもこんな風になし崩しなのは嫌だ」
簡潔に思うところを述べたら、そんなに怒っているようには聞こえなかったので、海も素直に頷いてくれた。それでほっとしていたら、
「キスしていい?」
と聞いて手を握ってきたので、そのまま唇を重ねて、また熱くなってきたらどうやって止めようかな、と何となく考えていたら、向こうからすっとすぐに身体を離してくれた。
「陸ともちゃんと話してよ。俺が勝手にばらしちゃったし」
「何を話すの?」
「事情は俺から話しとくから、時間が欲しいっていう、あれ」
「わかった」
妙に公平なんだなあ、と思いながら私は
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