番外編

雑貨屋さんの姉

「真咲さん、玲美さんは今何をしているの?」

駅から会社までの大通りから、真咲の雑貨屋とは反対の通りの脇道を入った所にある、小さなビア・バー。

少し前までは真咲の姉、玲美が勤めていたのだが、今はもういない。

「あー、なんや自分の店出す準備しとる言うてたなぁ。」

エルディンガーのドゥンケルを飲みながら、真咲は言った。

「ほら、姉貴に借りてた金、返したやろ?それでな、資金ができた言うて。」

これもなかなか旨いな、と満足そうに笑い、真咲はグラスを杏奈に勧める。

「味見してみぃひん?」

「うん。」

真咲からグラスを受け取り、杏奈はその黒い液体を口に含んだ。

とたんに広がる、香ばしくも仄かな甘苦さに、杏奈は頬を緩めた。

「美味しい・・・・」

「せやろ~?また、お気に入りが増えたなぁ。」

「さすが、玲美さんがお勧めするだけありますね。これも、美味しいですし。」

杏奈の前にあるのは、同じエルディンガーではあるが、ヴァイスビア。

綺麗な黄金色だ。

「玲美さんは、真咲さんにとって、どんなお姉さんですか?」

ヴァイスビアを飲みながら、杏奈は真咲に尋ねる。

玲美は近い将来、杏奈にとって義姉となる人だ。

玲美とは接する機会も多く、ざっくばらんで気さくな性格であることは既に分かってはいるものの、真咲自身からはあまり玲美の話を聞いたことがない。

「ん~、そやなぁ。」

少し視線を宙に彷徨わせた後、真咲は話し始めた。

「ええ姉ちゃんやで。俺の家、自営業で両親共働きやったから、ちっさい頃から姉ちゃんにはよう面倒見てもろてな・・・・



「真咲っ、ほら、お弁当!」

「サンキュ、姉ちゃん。」

「こらっ、違うでしょっ!『おおきに』でしょっ!」

「はいはい、おおきに。」

(いつまで続くんだ、ねーちゃんの関西弁好き・・・・)

玲美が作った弁当を受け取りながら、真咲はそっとため息をついた。

中学に入ってから、弁当は毎日、仕事で忙しい両親に代わって、3つ年上の姉、玲美が作ってくれている。

弁当の他にも、学校で準備するように言われたものの殆どは、玲美が揃えてくれていた。

玲美は真咲にとって、小さな頃から親のような存在だった。

3つ違いのため、真咲が地元の中学に進学した年に玲美は高校に進学。中学では、小学校の時のように同じ学校に通うことは無かった。

だが、弟の真咲も知らない中学の間に、玲美はいつの間にか、かなりモテるようになっていたらしい。

玲美宛の手紙(所謂、ファンレター/ラブレター)を渡される事もあれば、真咲の先輩にあたる人達から玲美の連絡先を執拗に聞かれることもあり、中学に入ってからの真咲は少しだけ、玲美の弟である事に嫌気が差していた。

そこに加わったのが、玲美からの『関西弁使用指令』である。

(あんな奴の、何がいいんだよ。全然わかんねー。)

玲美が関西弁にドハマりしたのは、テレビで見た、玲美曰く『イケメン芸人』のせいとのこと。

「いい?真咲。あんたはこれから、関西弁を勉強しなさい。そしたら、姉ちゃんは毎日関西弁が聞けて幸せになれるし、あんたはカッコ良さ3割増しくらいになって、きっとモテるし。一石二鳥でしょ?」

そう言って、玲美は録画した大量のお笑い番組を真咲に見させたのだ。

(姉ちゃんの前世は、絶対に関西人だ。間違いない。)

お陰で真咲は、毎日うんざりするほどお笑い番組を見せられ、寝不足の日々を過ごす羽目になっていた。


「お前、茶倉玲美の弟だろ?」

学校からの帰り道。

真咲はまたも、見たことの無い年上と思われる他校の男子生徒に呼び止められた。

「そうですけど・・・・」

小さく答え、素早く回りを見回す。

だが、男子生徒の後ろには、他にも数人の姿があり、逃げ道はありそうに無い。

(参ったな、どうしよう・・・・)

焦る真咲に、男子生徒は案の定、玲美の連絡先を教えるよう、迫ってきた。

「いいじゃねぇか、連絡先くらい。」

「こっ、個人情報なんでっ!」

もし、この男子生徒が良さそうな奴だったら、教えてやってもいいかな、とも思っていた真咲だったが。

(こんな粗暴な奴に、姉ちゃんの連絡先なんて教えてやるもんか、絶対!)

真咲は精一杯の意地を見せ、男子生徒を睨み付ける。

「てめぇ・・・・」

胸ぐらを捕まれ、真咲は思わず目をつぶる。

「痛い目見たくなかったら・・・・」

「だったら、何なん?」

(姉ちゃん?!)

聞き覚えのある声に目を開けると、そこにあったのは、腕組みをして男子生徒を睨み付けている姉の姿。

「あんた、うちの可愛い弟に何してくれてんねん。」

「あっ・・・・っと、これは・・・・」

いきなり男子生徒から解放された真咲は、その場に尻餅をつく。

「こないなことして、ただで済むと思てへんやろなぁ?」

殊更ゆっくりと真咲に歩み寄り、ヘタリこんだままの真咲を抱き起こすと、玲美は言った。

「よう覚えとき。次は・・・・無いで?」

腹の底から響くような、怒りをはらんだ低い声。

(なんか姉ちゃん・・・・かっこいい・・・・)

ぼんやりと姉の姿を眺める真咲の目の前で。

ジリジリと後ずさりすると、男子生徒達は、蜘蛛の子を散らすように、走って逃げて行った。

「ごめんね、真咲。大丈夫だった?」

そう言って真咲の顔を覗き込む玲美の顔は、いつもの優しい姉の顔。

「姉ちゃん・・・・」

「なに?どこか、痛い?」

心配顔の玲美に、真咲は言った。

「姉ちゃん、超かっこいいな!」

「それはね、真咲。」

ニッと白い歯を見せて、玲美が笑う。

「関西弁のおかげだよ、きっと。」

(確かに・・・・そうかも。)

真咲は、先ほどの玲美の言葉を思い返してみる。

あれをもし、いつもの言葉で言っていたとしたならば。

(うん、あの迫力は出ないな、きっと。)

「どう?本気で関西弁使う気になった?」

そう問う玲美に、真咲は大きく頷いた。

「うん!俺も、姉ちゃんみたくカッコよくなるよ!」

「はい、言い直し。」

玲美は腕組みをし、真咲に命じる。

「えっと・・・・俺も、頑張るで!」

「まぁ、合格、かな。」

腕組みをとき、真咲の頭を軽く撫でて玲美は笑った。

「さ、帰ろっか。」

「せやな。」

「おっ、いいねぇ、その調子!」

「まかしとき!」

大量に見させられたお笑い番組のお陰か、ちょっとした単語であれば、なんとか真咲の頭の中にも残っている。

(ちょっと本気でやってみるのも、いいかもな。じゃなくて、ええかもな~。)

前を歩く玲美の背中を見ながら、真咲はそんなことを思っていた。



ってまぁ、そないな訳で、こうなっとるんやけどな。」

そう言って、真咲はドゥンケルで喉を潤すが。

「カッコ良さ3割増し、ですか・・・・」

ボソリと呟いた杏奈の言葉に、思わずむせかえる。

「ちょっ、杏奈ちゃん?そこ、あんまり突っ込まんといてくれる?」

「すいません、ちょっと気になっちゃいまして。」

「じゃあ、これからは標準語で話そうか?」

「・・・・ふっ。」

「杏奈ちゃん?」

「ふふふふっ・・・・ごめんなさい、なんか真咲さんぽくなくて。」

最初は堪えていたものの、とうとう吹き出してしまった杏奈に、真咲もつられて笑ってしまう。

「私は、今のままの真咲さんがいいです。」

「そか。おおきに。」

隣で微笑む杏奈を見ながら、真咲は思っていた。

(もし姉ちゃんが関西弁好きやなかったら、もしかしたら・・・・杏奈ちゃんとこないな関係にはなられへんかったかも・・・・なんて、な。)


【雑貨屋さんの姉 終】

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